日本の歳月見つめよう
旅が好きな人はバスや電車の窓から景色を眺めて楽しむことだろう。近くの家や田んぼはさっと通り抜け、遠くの学校や神社は静かに流れ、その奥に連なる山々は少しずつ動いていることに気づく。
視点によって物の位置が違って見えることを「視差」という。
実は視差に似た現象は読書でも起こる。新しく書かれた小説や随筆を読むと分かりやすい言葉が続き、中身もすっと入ってくるが、手を放した隙に内容も言葉も過ぎてゆく感覚がある。
これに対して数百年前、遡って平安時代に書かれた書物などは言葉も生活も人間関係も我々から遠く、歳月の中で動かないものに思われる。「古典」と言われる作品は、いつか車窓から眺め、心に深く残った山々の稜線のような印象を残す。
遠い時代から伝わった文学や記録史料は凛として近寄りがたいイメージがある。しかし丁寧に繙いていくと、ハッとするような小さな発見やほほえましい出会いがいっばいある。
「国文研千年の旅」では、国文学研究資料館が所蔵する貴重な古典籍(=江戸時代以前に作られた原本)と史料の中から、毎回、当館教員が書架から一点ずつを取り出し、繙き、皆さまと一緒に眺めていこうと思っている。
鎌倉時代中期、春日大社の神官らが詠んだ和歌と、その紙の裏に万葉集の歌を美しく書いた「春日懐紙」や、近世前期の兵学者山鹿素行が残した草稿(原稿)類を収めた山鹿文庫という重要文化財から、江戸市民が慣れ親しんだ絵入り小説、地図等々、とにかく多様なお宝が目白押しである。
奈良時代から武蔵国の中心として栄えた多摩地域の土壌は、歴史を刻み文学を育むのに適している。地域の文化が全国へと広がり、ゆっくりと流れる言葉と図像を眺めながら、日本の歳月を味わうきっかけを見つけていただきたい。近い「昔」と遠い古を往復することで、自分が歩く日常の風景もきっと鮮やかに、いっそう懐かしいものに見えてくるであろう。
(館長・ロバート キャンベル)
読売新聞多摩版2019年4月24日掲載記事より
※このページの記載情報は、2019年4月24日現在のものです。