古典の心と新たな時代の到来―幕末の「源氏物語絵巻」―

国文学研究資料館では各地の日本文学とその関連資料を集積し、調査・研究を行っています。これらの資料群は点から点へ、線から面へとつながり、日本の文化の基盤について多くのことを教えてくれます。中には絵画資料も含まれるため、文学・美術史学双方の視座からの検討が必要です。
今回ご紹介する伝浮田一蕙(うきたいっけい)(1795〜1859)筆「源氏物語絵巻」は、『源氏物語』の桐壺(きりつぼ)巻から手習(てならい)巻までの53場面(夢浮橋(ゆめのうきはし)巻を欠く)をおさめた2巻の絵巻です。土佐光文(とさみつぶみ)(1812〜1879)による極書(きわめがき)が付属し、各巻末尾には「一蕙斎(いっけいさい)豊臣可為(よしため)筆」の墨書に「可為」の朱文瓢箪(ひょうたん)形印が捺されています(図1)。

若き日の一蕙は、この光文の父光孚(みつざね)(1780〜1852)のほか、いわゆる「復古大和絵」の祖として知られる田中訥言(たなかとつげん)(1767〜1823)に師事していました。二人の師から一蕙に伝えられたのは、古典的な大和絵の原点に立ち返り、模写を通じて古人の心を知ろうとする飽くなき探究の姿勢でした。それは決して、過去を甘く懐かしむだけの後ろ向きな態度ではなく、幕末期の激流のさなかで自分の足元をたしかめつつ、新たな時代へと着実に進んでゆくための周到な準備作業であったように思われます。
この点は、一蕙の絵画観を伝える『昔男画語(むかしおとこがご)』(国立国会図書館蔵)によっても知られます。曰く「たとへ何程よき画巻を沢山其まゝに写置たりとも、画に用る事をしらざれば只宝物にてゑきなし(どんなに素晴らしい絵巻を数多く模写しておいたとしても、自分の絵に取り込むのでなければただのお飾りで意味がない)」。信念の人であった一蕙は、後に黒船来航に際して憤激、幕府を批判するなどして獄中の人となりました。
当館蔵本は、53場面のうち皇居三の丸尚蔵館蔵狩野探幽(かのうたんゆう)(1602〜1674)筆「源氏物語図屏風」とは33場面、さらに尾張徳川家伝来清原雪信(きよはらゆきのぶ)(生没年未詳・母は探幽の姪)筆「源氏物語画帖」とでは47場面の図様が共通するなど、古画の影響が強く認められます。
また、高橋亨(たかはしとおる)氏ご架蔵の伝土佐光淳(とさみつあつ)筆「源氏画帖(粉本(ふんぽん))」とは11場面全ての図様が一致しますが、この粉本には「浮田蔵」という墨書があるとの由が注目されます。たとえば橋姫(はしひめ)巻(図2)では、左下に小柴垣(こしばがき)のもとに座って垣間見(かいまみ)をする薫が描かれていますが、こうした珍しい図様も雪信本・粉本・当館蔵本に共通のものです。このあたりの関係性については、今後の調査によっていろいろなことが分かってきそうで楽しみです。
(中西智子)
※今回ご紹介した「源氏物語絵巻」には以下のQRコードからアクセスできます。
<参考文献>
重田誠「浮田一蕙と古典絵巻―復古大和絵派の方法―」(『美術史研究』22、1985・3)
岩田美穂「清原雪信筆「源氏物語画帖」について」(『金鯱叢書第二三輯』思文閣出版、1996)
高橋亨「清原雪信の「源氏物語画帖」とその画風」(高橋亨・久富木原玲・中根千絵編『武家の文物と源氏物語絵―尾張徳川家伝来品を起点として』翰林書房、2012)
薄田大輔「浮田一蕙の生涯と画業」(徳川美術館編『復古やまと絵新たなる王朝美の世界―訥言・一蕙・為恭・清―』徳川美術館、2014)
文部科学教育通信2025年4月14日掲載記事より