大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館

2025/5/26

文政五年六月衣類取戻出入

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ときは文政年間。ミツは十代の頃より江戸の西尾小左衛門という武家屋敷で奉公していた。西尾小左衛門は五百石取りの幕府直臣旗本である。ミツは武蔵国多摩郡蓮光寺村(現在の東京都多摩市連光寺)百姓の庄兵衛娘で、徳治郎という兄がいた。ミツは文政5年(1822)3月、西尾家の奉公を辞し、翌4月には松平幸之助への奉公をはじめた。松平幸之助は信濃国上田藩(現在の長野県上田市)松平家の屋敷と目される。

事件は松平家への奉公がはじまった直後に起きる。ミツが屋敷からいなくなったのである。驚いたミツの兄である徳治郎は松平家を訪問し、事情を尋ねたところ、どうやらミツがもともと勤めていた西尾家の家臣である塚原兵左衛門が囲い込んでいるらしい。早速、兵左衛門に問い合わせたところ、最初は否定していたが、ミツを預かっている旨を伝えた上で「ミツを吉十郎殿の妻として迎えたい」と兵左衛門が述べてきた。兄の徳治郎は当然断り、ミツの母が病気であるので、まずは帰宅してもらいたいと依頼し、ミツは実家へと戻った。

この吉十郎という人物について、渡辺豊治郎の名前で川越藩に仕えていると語っていたが、川越藩に問い合わせたところ、そのような人物はいないという。その後、吉十郎本人がミツの実家を訪れて執拗にミツとの結婚を求めたが、兄の徳治郎からは拒絶された。一方で、ミツを囲っていた兵左衛門は蓮光寺村の名主の元を訪れて、同様に吉十郎とミツとの結婚を認めてもらおうと画策したがうまくいかなかった。最終的にはミツの父と兄は奉行所に訴え出て、まだ兵左衛門宅に遺された衣服の返却と、二度とミツに近づかせないことを求めた。

以上が武蔵国多摩郡蓮光寺村富沢家文書に遺された「衣類取戻出入」と記されたミツの兄が幕府へ提出した願書の内容である。ミツの兄である徳治郎の視点で書かれたものであり、兵左衛門• 吉十郎がミツを誘拐し、開放後もストーカー被害に遭っているように見える。しかし、実際のところはどうだったのであろうか。ミツが一方的な被害者ではなく、吉十郎との間の純粋な恋愛から駆け落ちしたというストーリーを望みたいが、残念ながらこの古文書以外に関連資料は遺されておらず結末は分からない。この古文書のハッピーなエンディングを皆さんで考えていただきたい。

(西村慎太郎)

文部科学教育通信2025年5月12日掲載記事より

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