引歌の世界ー『古今和歌集』から『源氏物語へ』
通常展示の一部のスペースを使って、当館所蔵の作品を展示いたします。
会 期:令和7年(2025年)1月23日(木)~4月18日(金)
閉室日:土曜、日曜、祝日、第4水曜
◯紫式部の生きた平安中期の貴族社会では、会話の中にさりげなく先行歌を引用することが流行していました。相手の引用の意図を即座に理解した上で、自分も連想をはたらかせ、テンポよく切り返すことがお洒落なやりとりのポイントでした。そうした「分かり合い」の楽しさは、たとえば、既存の有名な曲の歌詞や韻を引用しながら展開するという、現代のラップのことばの応酬などにも通じるのではないでしょうか。
◯『源氏物語』の中でも、先行歌のフレーズは、ある時は作中人物同士の会話の中に、またある時は彼らの心中思惟や地の文にさりげなく引用されています。韻文ならではのとめどない連想の情理によって余韻を響かせ、読者を物語の奥深くへと導いてゆくこのような文章の工夫は、古来「引歌(ひきうた)」という語を用いて把握されてきました。
◯本コーナーでは、『源氏物語』にとりわけ多く認められる『古今和歌集』からの「引歌」の例をご紹介します。当館蔵の古典籍とともに、高度に洗練された物語のことばの世界をお楽しみください。
展示ケース1
引歌の味わい① ―桐壺の更衣追懐と「闇のうつつ」(桐壺巻)―
◯『源氏物語玉の小櫛』(1-3)では、「引歌」とは「ただ一句ほど引用するだけで、元の歌全体の意味を想起させ、物語の文脈に響かせるもの」であると解説されています。人々の間で既に感動が共有されているような有名な古歌の引用は、新たに創作する物語に「あはれ」な情感を盛り込む際に便利だったと考えられます。
◯たとえば桐壺巻では、寵姫・桐壺の更衣(光源氏の母)を追懐する帝の心情が、『古今和歌集』の恋歌に用いられた「闇のうつつ」ということばを媒介に表現されています。元の歌では「「闇のうつつ」―暗闇の中での逢瀬なんて、夢で逢うよりも捉えどころがないものだ」という嘆きがうたわれていますが、物語ではこれを反転させ、「亡き更衣の姿がどれだけ鮮やかに目に浮かんだとしても、現実の逢瀬にはやはり及ばない」という文脈に変えています。作者は原典を一ひねりすることで、死別の厳しさをより強調したと言えます。
1-1 源氏物語(松野16-88) 16コマ https://doi.org/10.20730/200014285
〈翻刻〉
夕月夜のおかしきほとにいたし
たてさせ給てやかてなかめおはしま
すかやうのおりは御あそひなとせさせ
玉ひしに心ことなる物の音をかきな
らしはかなくきこえいつることは
も人よりはことなりしけはひかたちの
おもかけにつとそひておほさるゝにも
やみのうつゝには猶おとりけり命婦
1-2 古今和歌集(サ2-31) 100コマ https://doi.org/10.20730/200006203
〈翻刻〉
◯◯題しらす◯◯読人しらす
むは玉の闇のうつゝはさたかなる夢にいくらもまさらさりけり
1-3 源氏物語玉の小櫛(鵜飼96-784) 19コマ https://doi.org/10.20730/200019828
〈翻刻〉
◯◯◯引歌といふものゝ事
物語の詞の中に.古き歌の.たゞ一句などを引出て.またくその一歌(ヒトウタ)の意
をこめ.あるはその句のつゞきの詞の意をこめなどしたるを.引歌とい
ひて.其歌は.大かた河海抄に引出されたり.まれにもれたるなど.花鳥
展示ケース2
引歌の味わい② ―やりすぎは逆効果(松風巻)―
◯『源氏物語』には、しばしば「やりすぎて失敗する」人物が登場します。ここでは、過剰な引歌がかえって野暮となった例をご紹介します。
◯松風巻で、光源氏は上京してきた明石の君と三年ぶりに再会します。謹慎中の昔とは打って変わって、見違えるほど立派になった光源氏。対する明石の君も、またその幼い姫君も申し分のない様子です。光源氏は満足し、将来をあれこれと計画しながら去ってゆくのでした。
◯ここに光源氏の従者・靫負尉(ゆげいのじょう)と、明石の君付きの女房との会話の一幕が挿入されます。かつて恋人同士であった彼らの再会は、残念ながらすれ違いに終わります。その理由は、「お互い、変に気取りすぎたから」。特に女房の方は「八重立つ山」(白雲の八重立つ山の峰にだに住めば住みぬる世にこそありけれ)・「島隠れ」(ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれ行く舟をしぞ思ふ)・「松も昔の」(誰をかもしる人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに)と、ひと息に古歌のことばを三つも羅列するという念の入り様で、圧倒された男は、すっかり興ざめしてしまったのでした。『河海抄』(2-3)には関連しそうな歌がまとめて挙げられています。
2-1 源氏物語(高乗89-284) 504コマ https://doi.org/10.20730/200016223
〈翻刻〉
けしきはむをやへたつ山はさらにしま
かくれにもをとらさりけるを松も
むかしのとたとられつるにわすれぬ人も
物し給ひけるにたのもしなといふこよ
2-2 古今和歌集(貴重書99-2) *嘉禄本 https://doi.org/10.20730/200003050
・その1 13コマ
〈翻刻〉
とも見えす久方のあまきる雪のなへてふれゝは)ほの/\とあかしのうらの
あさきりにしまかくれ行舟をしそ思(赤人春のゝにすみれつみにとこ
・その2 61コマ
〈翻刻〉
ほの/\とあかしの浦のあさきりに嶋かくれ行舟をしそ思
この哥はある人のいはく柿本人麿か哥也
・その3 111コマ
〈翻刻〉
◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯藤原おきかせ
誰をかもしる人にせむたかさこの松も昔の友ならなくに
2-3 河海抄(ヨ1-7) *伝大井御門経名筆 11~12コマ https://doi.org/10.20730/200005690
やへたつ山は....../松もむかしのと
〈翻刻〉
やへたつ山はさらに嶋かくれにもおとらさりけり
◯◯身をうしと人しれす世を尋こし雲の八重たつ山にやはあらぬ
◯◯嶋かくれは明石也ほの/\との歌の心也
◯◯古今
◯◯白雲の八重たつ山の峰にたにすめは住ぬる世にこそ有けれ
◯◯伊行尺
◯◯高光少将世をのかれてよ河にすみける比御門より
◯◯都より雲の八重たつおく山のよ河の水はすみよかるらむ
◯◯◯御返事
◯◯九重のうちのみつねに恋しくて雲の八重たつ山は住うし
松もむかしのと
◯◯誰をかもしる人にせむ高砂の松もむかしの友ならなくに
展示ケース3
源氏引歌と藤原定家―「思ふ故」は『源氏物語』?
◯場面は浮舟の巻。宇治の山荘から浮舟をつれだした匂宮は、宇治川を渡る途中、川中に浮かぶ小島に舟を寄せると、「これなむ橘の小島」といって、「年経とも変はらむものか橘の小島のさきに契る心は」と歌を詠み、永遠の愛を誓います(3-1)。
◯匂宮のことばは、『古今和歌集』「今もかもさきにほふらむ橘の小島のさきの山吹の花」をうけてのものですが、実はこの歌、古い『古今集』本文では4句を「小島のくま」とするものが多く、平安期はむしろこちらが主流でした。これが「小島のさき」として今に伝わっているのは、鎌倉初期の歌人、藤原定家が自身の校訂本文(定家本)で「さき」を採用したからで(3-2)、そのことは彼の注釈書『顕註密勘』からも窺えます。
◯『顕註密勘』は他流の顕昭が記した注釈に定家が自身の見解を書き加えたもので(3-3)、顕昭が「くま」の本文を示すのに対し、定家は「思ふ故侍り」て、「さき」を用いると述べています。この「思ふ故」が、何であったのかは分かりませんが、あるいは定家が重んじた『源氏物語』の作中歌、すなわち上記の匂宮詠に「小島のさき」と詠まれていたことが関係しているのかもしれません。
3-1 十帖源氏
〈翻刻〉
これなんたちはなのこしまと申て御舟しばしさし
とゝむ岩のさましてさねれたるときは木の陰しけれり
◯◯宮◯年ふともかはらんものかたちはなの
◯◯◯◯こしまのさきにちきるこゝろは
3-2 古今和歌集
〈翻刻〉
◯◯◯題しらす◯◯◯◯◯よみ人しらず
今もかもさきにほふらん立花のこしまのさきの山吹の花
3-3 顕註密勘
〈翻刻〉
いまもかもさき匂ふらん橘のこしまのくまの款冬の花
◯◯◯◯(中略)
(藤原定家註)
◯\小嶋、まことに名所不分明。いかによみたるにか。但、思ふ故
◯◯侍りて、こしまのさきとさきとかきたるを用侍る也。
展示ケース4
引歌を味わうために―引歌集成書―
◯和歌の一部を引用することで元の歌全体の意味を想起させるのが「引歌」――とはいうものの、文中のたった一句から歌全部を思い起こすことは、後代の読者にとって必ずしも容易ではありません。『源氏釈』以来の「源氏注」は、こうした読者の理解を助けるため、本文の注釈のほか引歌の指摘も行っていますが、近世期になると引歌のみを集成した書物も現われるようになります。なかでも画期的なのは、いわゆる「絵入源氏物語」(4-2)に別冊として付される「源氏引歌」で(4-3)、本巻本文の庵点「〽」と本書とを対照することで、読者は引歌表現がどこあるのか、容易に把握できるようになりました。
◯現代の我々が源氏引歌を参照する際、至便であるのは伊井春樹編『源氏物語引歌索引』(笠間書院、1977)です(4-4)。全文が「国文学研究資料館学術情報リポジトリ」上で公開されていますので、是非ご覧ください。
4-1 源氏物語引歌
4-2 源氏物語
〈翻刻〉
くるまにしたひのり給ひて。をたぎ
とうふ所に。いといかめしうそのさほう
したるに。おはしつきたる心ち。いかばかり
かはありけん。\空しき御からをみる〳〵。
猶おはするものと思ふがいとかひなけ
れば。\はいになり給はんを見奉りて。
今はなき人とひたふるに思ひなりなん
と。さかしうの給へれど。くるまより
おちぬべうまどひ給へば。さは思ひつ。
かしと。人〴〵もてわづらひ聞ゆ。うち
より御つかひあり。三位のくらゐをくり
給よし勅使きて。その宣命よむな
むかなしきことなりける。女御とだに
いはせずなりぬるが。あかず口おしう
おぼさるれば。今ひときざみの位を
だにと。をくらせ給成けり。是につけても
にくみ給人々おほかり。物思ひしり給ふは。
さまかたちなどのめでたかりしこと心ば
せのなだらかにめやすくにくみがた
かりし事など。いまぞおぼし出る。さま
あしき御もてなしゆへこそ。すげなう
そねみ給しが。人がらの哀になさけ
ありし御心を。うへの女房なども恋
しのびあへり。\なくてぞとはかゝるおり
にやと見えたり。はかなく日比すぎて。
後のわざなどにもこまかにとふらはせ
給ふ。ほどふるまゝに。せんかたなうかな
しうおぼさるゝに。御かた〴〵の(御)とのゐ
などもたえてし給はず。ただ泪に
ひちてあかしくらさせ給へば。みたて
まつる人さへ\露けき秋なり。なきあ
とまで人のむねあくまじかりける
4-3 源氏物語引歌
〈翻刻〉
◯◯きりつほ
◯さもこそは夜半の嵐の寒からめあなはしたなの槙の板戸や
朗詠◯
◯君と我いかなる事を契りけん昔の世こそしらまほしけれ
後撰雑二 ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯高津内親王
◯なをき木にまがれる枝も有物をけをふき疵をいふがわりなき
古今恋上 ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯友則
◯ことに出ていはぬ計ぞみなせ川下にかよひて恋しき物を
万◯◯
◯夢にだに何かもみえぬみゆれ共我かもまよふ恋のしげきに
古哀傷 ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯僧正勝延
◯うつせみはからを見つゝもなぐさめつ深草の山煙だにたて
拾遺恋五 ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯よみ人しらず
◯もえはてゝはいと成なん時にこそ人を思ひのやまんごにせめ
◯ある時はありすさみににくかりきなくてぞ人の恋しかりける
後秋中 ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯よみ人しらず
◯人はいさことぞともなきながめにて我は露けき秋もしらるゝ
古恋三 ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯よみ人しらず
◯むば玉のやみのうつゝはさだかなる夢にいくらもまさらざりけり
後雑一 ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯兼輔
◯人の親の心はやみにあらね共子を思ふ道にまどひぬる哉
新勅春上 ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯紀貫之
◯とふ人もなき宿なれどくる春は八重葎にもさはらざりけり
4-4 源氏物語引歌索引
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