平安貴族は『伊勢物語』をどう読んだか
通常展示の一部のスペースを使って、当館所蔵の作品を展示いたします。
会期:
令和6年(2024年)4月18日(木)~8月9日(金)
閉室日:土曜、日曜、祝日、第4水曜
平仮名による文学創作が開花した平安時代。その草創期に生を受け、今日まで燦然と輝く不朽の名作『伊勢物語』は、在原業平をモチーフとする「昔男」の逸話を巧みに描き、その後の仮名文学の担い手となった平安貴族たちに計り知れない影響を与えてきました。
本コーナーでは、平安時代の物語文学・日記文学における『伊勢物語』引用を通して、そうした平安貴族たちの姿を垣間見ます。当館の所蔵する各作品の古典籍と共に展示するのは、2016年に当館へ寄贈された「鉄心斎文庫」が収める鎌倉〜南北朝期の『伊勢物語』古写本です。往古が偲ばれるその面影から、仮名文学を生み出した先人達が『伊勢物語』を愛読していた時代に思いを馳せつつご覧ください。
展示ケース1
1-1 『蜻蛉日記』 阿波国文庫本
藤原兼家の妾であった藤原道綱母は、満たされない夫婦仲と唯一の絆である息子・道綱の成長を『蜻蛉日記』に綴った。その中巻、長く訪れの絶えていた兼家が珍しく顔を出すも、たった一夜の後は再び遠のいてしまう場面で、道綱母は「ありしよりもけにものぞかなしき」と嘆く。展示資料は、佐渡出身の政治家・鵜飼郁次郎によって収集され、2011年に当館へ寄贈された「鵜飼文庫」の収蔵資料で、不忍文庫(屋代弘賢)・阿波国文庫(阿波蜂須賀家)の旧蔵書。伝本中で最も脱文が少ない重要伝本と目されている。
1-2『伊勢物語』 暦応四年順覚筆本
第21段。一度破局した男女が、後に復縁を期して贈答歌を交わし、男は「ありしよりけにものぞかなしき」と訴えたが、結局は互いに別の相手との道を選んだという。その救われない結末は、道綱母と兼家との仲もまた修復不可能に陥るであろうことを示唆する。展示資料は、展示番号1に同じく不忍文庫・阿波国文庫の旧蔵書で、巻末には寛元4年(1246)の明教、文永9年(1272)の定円、暦応4年(1341)の順覚の奥書(伝来や書写事情についての注記)を記す。筆者の順覚は、二条良基の『菟玖波集』に19句を入集する、鎌倉~南北朝期の連歌師。
展示ケース2
2-1『落窪物語』 桃園文庫本
平安文学といえば女性作者の印象が強いが、初期の物語は男性の手によるとされ、継母に虐げられた落窪の姫君が少将・道頼に救われて復讐を果たす『落窪物語』はその一つと考えられる。道頼が姫君に通い始めて三日目、結婚成立の夜に訪問を阻む生憎の大雨に、待つ姫君は「ふりぞまされる」と呟く。展示資料は、国文学者・長谷章久氏によって収集され、2006年に当館へ寄贈された「長谷章久旧蔵書」の収蔵資料。もとは国文学者・池田亀鑑の蔵書であり、長谷氏が東京大学在学中に同学助教授(当時)の池田氏から譲り受けたもの。
2-2『伊勢物語』 伝二条為重筆本
第107段。雨を口実として訪れない懸想人に対して、女が薄幸を嘆いて「身をしる雨はふりぞまされる」と詠んだところ(実は昔男による代詠)、懸想人はしとどに濡れながら駆けつける。道頼もまた万難を排して姫君を訪れ、男の甲斐性こそ違うが構図は全く重なり合う。展示資料は、冷泉為秀書写本の転写本であり、巻末の奥書によれば、藤原定家筆の武田本を将軍・足利義詮に献上する際、為秀が書写して手元に留めた本を親本とする。古筆了音の極札(鑑定書)には、『新後拾遺和歌集』撰者の歌人・二条為重を筆者と認定する。
展示ケース3
3-1『源氏物語』総角巻
紫式部の作と伝わる『源氏物語』は、物語の展開自体が『伊勢物語』を範としつつ、作中人物もまたこの古典に親しんでいる。第三部にあたる宇治十帖の第3帖「総角」では、主人公の一人・匂宮が、『伊勢物語』の絵を鑑賞する実姉・女一宮に魅力をおぼえ戯れかかる。展示資料は、国文学者・高乗勲氏によって収集され2002年に当館へ寄贈された「高乗勲文庫」の収蔵資料。一筆書きの48冊本(桐壺・帚木・空蝉・夕顔・蓬生・篝火欠)で、本文は青表紙本系統。その第41冊、表紙右上の紙片に本文とは別の筆跡で「四十七あけ巻」と記す。
3-2『伊勢物語』 伝二条為明筆本
第49段。昔男が実の妹に対して恋心を告白し、妹はその思いも寄らぬ言葉に隠せぬ困惑を吐露する。女一宮の鑑賞していた『伊勢物語』絵はその情景を絵画化したものであり、匂宮は自らを絵画中の昔男に準えている。展示資料は、極札には二条為明を筆者とする古写本(室町末期以前の写本)で、題簽(題名を記した紙片)・奥書を欠き、4段途中から6段途中まで欠落があるほか、行間には注記が散見する。大半の『伊勢物語』写本にはみられない、『源氏物語』総角巻の絵画の描写と合致する「妹が琴を弾く」記述を持つ点で、極めて貴重なもの。
3-3『狭衣物語』 古活字本
総角巻の印象的な場面は、のちに『源氏物語』の多大な影響下に作られた『狭衣物語』においても重要なモチーフとして引用された。実の兄妹のように育てられた従妹・源氏宮を幼少より密かに慕う主人公・狭衣は、ある夏の日、彼女の鑑賞する『伊勢物語』絵の昔男に自らを装え、秘めたる恋情を激白してしまう。展示資料は、元和・寛永(1615~1645)頃の刊行と考えられる無刊記の古活字本で、元和9年(1623)の古活字本と同種ながら活字を部分的に異植したもの。本文の錯綜する『狭衣物語』にあって比較的古態を残すとされる。
展示ケース4
4-1『更級日記』 元禄17年板本
東国に生まれ、物語への憧憬に苛まれて育った菅原孝標女は、仏道へ傾倒した晩年に至り、かつての物語耽溺への反省を『更級日記』に表したが、一方で念願の物語を入手した際の感激も色鮮やかに記されている。展示資料は、江戸牛込肴町の書肆(出版を手がけた書店)・燕雀堂(平野屋吉兵衛)により元禄17年(1704)に板行された、『更級日記』唯一の絵入り板本。元は4冊本だが合冊され、欠脱する巻2を他本により補写する。『更級日記』の版本は『扶桑拾葉集』『群書類従』所収本や天保九年本など多く残るが、この絵入り板本は残存数が少ない。
4-2『浜松中納言物語』
国を跨いでの転生を題材とする『浜松中納言物語』は、孝標女の創作とされる作品の一つ。その巻第三で、大弐女(主人公が、転生した父を唐に訪ねての帰国後に、滞在地で一夜契った相手)が、のちに別の男と結婚させられ愁嘆する際、「しづの苧環」と歌に詠む。展示資料は、A〜Fの六系統に分類される諸本のうち、脱文の傾向からB系統に属すると認められる伝本で、中でも宮内庁書陵部本・不忍文庫旧蔵本に近い本文を持つ。諸本のごく一部は最終巻である巻五を備えるが、大半の伝本は巻四までの四冊本であり、本資料も同様。
4-3『伊勢物語』 伝近衛基嗣筆本
第32段。昔男がかつて関係を持った女性に「しづの苧環」と詠み贈るが、女性からは何の返事もなく終わってしまう。古代の織物に使われた糸巻から、過去を繰り返したいとの願いを導くこの語は、孝標女の好んだ所らしく、彼女の別の作品とされる『夜の寝覚』にも、女主人公の嘆きとともに詠まれている。展示資料は、巻末の近衛尚嗣による慶安4年(1651)奥書によれば、先祖で北朝の関白を務めた近衛基嗣を筆者とする写本で、初段の「いひやりける」を「いひやりたりけれは女」とするなど、他本と異なる本文を随所に留める。
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