江戸の人々が見た禅
会期:平成30年3月15日(木)~5月8日(火)
休室日:日曜日・祝日、展示室整備日(3月27日~29日、31日、4月19日)
禅宗[ぜんしゅう]が日本に定着したのは中世ですが、社会に広く普及したのは近世だったと言えます。それまでは公家[くげ]や武家が主な相手であった禅宗は、室町時代の終わりから経済力を増した商人層に顔を向け始め、徐々に貧富貴賎[ひんぷきせん]を問わず禅の教えを発信するようになりました。その伝播[でんぱ]も受容も多様多彩で、江戸時代独特の豊富な禅の景色が描き出されており、書物を通じてその世界を窺うことができます。本格的に修行[しゅぎょう]に励む人や思想に深く入りたい人には難解な漢文の禅籍[ぜんせき]が、関心を持ち始めた人には入門書に近い日本語の仮名法語[かなほうご]が数多く刊行されました。それだけでなく、ただ面白い話を読みたい人にまで江戸時代の禅は適応したのです。
ここに展示した典籍[てんせき]は、江戸時代の人々が見ていた禅のごく一部ですが、その奥深さ、多様性や面白さを味わうことができます。
展示ケース1
【日本禅の特徴も見える中国の禅籍】
当然ながら日本の禅宗は中国の禅籍を重視したが、テキストとしての地位や普及などを考えると大陸との大きな違いが見られる。『臨済録[りんざいろく]』は、日本において聖典[せいてん]と言えるほど尊ばれたテキストであるが、中国ではそこまで崇[あが]められていないのである。繰り返し刊行された『臨済録』は、日本の禅において代表的な作品といえる。
その現象をさらに表出[ひょうしゅつ]するのは『無門関[むもんかん]』という禅籍である。中国においては無視されたとまで言えるこのテキストは、日本禅の中心的な禅籍となった。注釈書[ちゅうしゃくしょ]は無数あり、ここでは曹洞宗[そうとうしゅう]の禅僧による注釈書(抄物[しょうもの])を展示する。
現代でも続いている臨済宗の修行法[しゅぎょうほう]である「看話禅[かんなぜん]」を、完成させた大慧宗杲[だいえそうこう](1089~1163)は、在家[ざいけ]向けの教えを数多く残したが、江戸時代には日本でもテキストとして刊行されて広く普及した。漢文の禅籍でありながら、比較的に分かりやすく説かれているため多くの人々に読まれていたと考えられる。『大慧普覺禪師普説[だいえふかくぜんじふせつ]』は、その文献群の一つとされる。
<鎮州臨済慧照禅師語録[ちんしゅうりんざいえしょうぜんじごろく]>義玄撰、慧然編 慶安4年(1651)刊 1-1
<大慧普覚禅師普説>宗杲撰 正保3年(1646)刊 1-2
<無門関抄>寛永2年(1625)刊 1-3
展示ケース2
【中世禅僧の変貌】
江戸時代には中世の禅僧の教えを伝える仮名法語が流行[はや]った。日本語で書かれた、比較的分かりやすい内容であるため、後の禅のイメージに大きな影響を与えた。しかし、注意が必要なのは、必ずしも表題にある禅僧の思想を忠実に表している訳ではないことである。同じ禅僧でも中世の様々な文脈の中に展開していた思想と、江戸時代の仮名法語が見せる教えとでは相違が見られ、近世の禅の厄介な点といえるが、ゆえに面白い問題でもある。
<塩山假字[しおやまかな]法語>江戸時代前期刊 2-1
<由良開山法燈國師[ゆらかいさんほっとうこくし]法語>心地覚心 正保2年(1645)刊 2-2
<横嶽大應國師[おうがくだいおうこくし]法語>南浦紹明 正保3年(1646)刊 2-3
<夢窓國師[むそうこくしの]法語>夢窓疎石 寛文4年(1664)刊 2-4
展示ケース3
【近世禅僧の新風】
過去だけではなく、同時代の禅僧の法語も江戸時代に流行した。ここでは、例として沢庵宗彭[たくあんそうほう](1573~1646)の作品を展示したが、同じ江戸時代初期には鈴木正三[すずきしょうざん](1579~1655)や盤珪永琢[ばんけいえいたく](1622~1693)のように個性の強い禅僧の仮名法語が普及していた。江戸時代中期以降、白隠慧鶴[はくいんえかく](1686~1769)や仙厓義梵[せんがいぎぼん](1750~1830)をはじめとして、テキストだけではなく絵で禅の教えを広める傾向が見られる。
沢庵の仮名法語には儒教[じゅきょう]の影響が見られ、思想史的にも興味深い。また、『沢庵百首[ひゃくしゅ]』には文人[ぶんじん]の顔を覗[のぞ]かせる。禅僧にしては珍しく、江戸時代初期の公卿[くぎょう]で歌人の烏丸光広[からすまるみつひろ](1579~1646)に評[ひょう]を付して貰っている。
<澤菴和尚法語>沢庵宗彭 正保3年(1646)刊 3-1
<沢庵百首>沢庵宗彭詠、烏丸光廣筆 元和6年(1620)写 3-2
展示ケース4
【近世が作り上げた一休】
江戸時代の禅の中において、一休(一休宗純[いっきゅうそうじゅん]、1394~1481)は特別な存在であろう。他の中世の禅僧[ぜんそう]と同様に仮名法語が見られるが、おびただしい数(種類)が刊行される。ここで展示する『一休和尚[おしょう]法語』の他に、『一休骸骨[がいこつ]』、『一休水鏡[みずかがみ]』、『阿弥陀裸物語[あみだはだかものがたり]』、『仏鬼軍[ぶっきぐん]』、『般若心経抄図絵[はんにゃしんぎょうしょうずえ]』などが挙げられる。同時に、フィクションのキャラクターとして『一休ばなし』に登場すると、爆発的な人気を博[はく]す。その状況は絶えることなく、現代の「一休さん」のイメージに至るのである。展示される河鍋暁斎[かわなべきょうさい](1831~1889)画の「関地蔵開眼図[せきじぞうかいげんず]」は、『一休ばなし』の逸話[いつわ]を題材にしたものである。
一休を通して、江戸時代の禅は、受けるだけの教えばかりではなく、笑いのネタともなり、日本人の心に広くしみついていたことが窺える。
<一休和尚法語>一休宗純 慶安3年(1650)刊 4-1
<一休はなし>元禄13年(1700)刊 4-2
<狂画五十三驛之一枚關一休禪師地蔵尊[きょうがごじゅうさんつぎのいちまいせきいっきゅうぜんじじぞうそん]かいげんのづ >河鍋暁斎(酒乱斉雷酔) 戯画 慶応2年(1866)刊 4-3