「職人」のいる文芸 ―中世から近世へ―
通常展示の一部のスペースを使って、当館所蔵の作品を展示いたします。
会期:平成28年1月14日(木)~平成28年4月12日(火)
休室日:土曜日・日曜日・祝日、展示室整備日
※平成28年度からは土曜日も開室します。
「職人」とは、今のようにモノを作るばかりではなく、広く様々な職業(諸職)についている人々を指します。
中世(鎌倉・室町時代)を通じて、貴族が「職人」の気持ちになって歌を詠み、優劣を競う〈職人歌合[しょくにんうたあわせ]〉という形式の文芸が行われ、絵巻として伝えられました。
近世(江戸時代)に入ると、〈職人歌合〉は出版され、この形式にならった和歌・俳諧・狂歌の集、また諸職の姿を描いた〈職人尽絵[しょくにんづくしえ]〉も盛んに作られました。
近世後期、〈職人歌合〉・〈職人尽絵〉は風俗考証の材料ともなり、その成果が小説や地誌の中にもさりげなく取り込まれています。
今回は、近世期の資料に基づいて、文芸の中の「働く人々」に目を向けていただけるように工夫してみました。
展示ケース1
<七十一番職人歌合[しちじゅういちばんしょくにんうたあわせ]>1-1,1-2
室町時代(1500年頃)の成立。それ以前の〈職人歌合〉に比べ、登場する職種・和歌の数とも格段に多く、このジャンルの代表作として知られる。近世(江戸時代)前期に京都で商業出版され(1-1)、絵巻に比べて一層多くの人の目に触れるようになり、近世中・後期にも後印本が出ている(1-2)。中世に生まれた本作が、近世の文芸に様々な影響を与えた背景には、作品そのものに加えて出版物のもつ伝播の力があった。
<俳諧職人尽前集[はいかいしょくにんづくしぜんしゅう]>1-3
<和国職人絵つくし[わこくしょくにんえつくし]>1-4 複製
1-3は、1-2の翌年、挿絵部分の板木[はんぎ]をそのまま使い、和歌を俳諧の発句[ほっく]に取りかえて編集したもの(寥和[りょうわ]は在江戸の俳人。版元も江戸か。後集は寛延元年〈1748〉刊)。前集自序に『七十一番職人尽歌合』を甘露寺親長[かんろじちかなが]の詠(判者を烏丸光広[からすまるみつひろ]とするが年代が合わない)、後集跋文(東皐[とうこう])に原画を土佐光信[とさみつのぶ]とする。1-4は、1-3より早く、江戸の風俗絵師菱川師宣が四十三番を撰んで挿絵を当世風に変更したもの。
展示ケース2
<近世職人尽絵詞[きんせいしょくにんづくしえことば]>2-1 パネル展示
発注者・旧蔵者は松平定信。絵師・詞書作者ともに、定信と同時代に生きた江戸文化の担い手の中から最高レベルの人々が撰ばれ、近世における〈職人尽絵〉の傑作として高い評価を得ている。内容をやや詳しく検討すると、画はあくまでも当世を描きながら、詞書は〈職人歌合〉を意識して『七十一番』の文言を踏まえた箇所があり、山東京伝[さんとうきょうでん]担当の下巻からは13ヵ所指摘できる。古い絵巻物を愛好した定信の意向と推測される。
<四季交加[しきのゆきかい]>2-2 複製
2-1下巻の詞書を担当した山東京伝が、京橋銀座一丁目にあった紙煙草入れの店(通称「京伝店(きょうでんだな)」)の帳場から、大通りを行き交う諸職の人々を「漫画」し、浮世絵の師にあたる北尾重政が挿絵としてまとめた(自序)という風俗絵本。京伝は、春夏・秋冬両巻の後半に軽妙で美しい文章を添えるが、諸職を描いて江戸の繁栄をことほぐという発想は、立場の違いこそあれ2-1と同様である。あるいは本作が定信を刺激したものか。
展示ケース3
<昔話稲妻表紙[むかしがたりいなずまびょうし]>3-1 パネル展示
<骨董集[こっとうしゅう]>3-2
2-1の詞書を担当したことは、京伝が『七十一番』に慣れ親しむ何よりのきっかけとなった。京伝の長編読本[よみほん]として良く知られた3-1に広告が載る「近世職人考」は、結局出版されなかったが、その一部は晩年の考証随筆3-2の中に姿をとどめている。『七十一番』は、初期の成果である『近世奇跡考[きんせいきせきこう]』(文化元年〈1804〉)には書名も見られないが、3-2では必須の文献となっており、7ヵ所にわたって踏まえられている。
3-1
<本朝酔菩提全伝前帙[ほんちょうすいぼだいぜんでんぜんちつ]>3-3
京伝の小説作品(読本)にも、以前から関心の強い宗教者・芸能者に加え、『七十一番』の「職人」たちが徐々に表に出てくる。3-3では、元来は「武家」に属する人々が一休禅師に命を救われて市井の諸職となり、あるいは市井にあって一休の教化[きようげ])を受ける。表紙(3・4・6冊目)には『七十一番』の歌と挿絵を摸した紙片(順に「土器作[かはらけづくり]」・「酒作[さかづくり]」・「扇売[あふぎうり」」)が貼られ、巻之五は扇屋の親子と土器売りの青年をめぐる挿話から成る。
展示ケース4
<今様職人尽百人一首[いまようしょくにんづくしひゃくにんいっしゅ]>4-1 複製
近藤清春[こんどうきよはる]は、近世中期、版本の挿絵を中心に江戸で活躍した絵師。4-1は『どうけ百人一首』・『江戸名所百人一首』と並ぶ「百人一首」シリーズのひとつで、「職人」に合わせて狂歌にもじったもの(『七十一番』と直接の関係はない)。現在、原本の所在は確認されず、複製本(稀書複製会1928)による。独特の画風で良く描き込まれているが、本作を含め、清春の画作については浅野秀剛[あさのしゅうごう]氏の研究に詳しい(浅野2008、初出1985)。
<今様職人歌合[いまようしょくにうたあわせ]>4-2
当時江戸狂歌壇の中心人物だった両名が判者となった狂歌合の集。上下巻の前半に備わる鍬形蕙斎[くわがたけいさい]画の〈職人尽絵〉(彩色)には2-1に類似したものがあり、上巻四方歌垣[よものうたがき](真顔[まがお])・下巻六樹園[ろくじゅえん](飯盛[めしもり])が担当した古態の画中詞も、明らかに2-1を意識している。蕙斎は刊行の前年三月に没しており、遺された画稿から製作したものであろう。しかし松平定信(文政十二年〈1829〉没)をはばかってか、商業出版ではなく私家版である。
<江戸名所図会[えどめいしょずえ]>4-3
江戸の草創[くさわけ]名主斎藤家三代の、30年余りの努力によって完成した地誌4-3には、服部南郭[はっとりなんかく] の漢詩、芭蕉の高弟其角[きかく]の発句[ほっく](俳句)をはじめ、多くの詩歌連俳が挿絵の画賛に用いられている。〈職人歌合〉からも、『鶴岡放生会[つるがおかほうじょうえ]職人歌合』・『勧進聖判[かんじんひじりはん]職人歌合』(『三十二番職人歌合』)各一首と共に、『七十一番』からは「足駄作[あしだつくり]」が引かれ、下駄職人(製造・販売)の活気溢れる日常のひとコマを彩っている。