「蔵書印の愉しみ」
常設展示の一部のスペースを使って、当館の新収資料等を展示します。定期的に展示替えを行いながら、源氏物語、奈良絵本等、様々なテーマを用意いたします。
会期:平成26年6月13日(金)~平成26年7月10日(木)
※「蔵書印の愉しみ」をテーマに当館所蔵資料を展示しています。
※『名所都鳥』は6月26日(木)まで、『絵本時世粧』は6月27日(金)から展示いたします。
「蔵書印の愉しみ」
国文学研究資料館では、昭和47年の創設以降、研究・事業の一環として国内外における文献調査、マイクロフィルムや原本による収集・保存活動を行ってきた。これらの資料は、昭和52年閲覧サービス開始、昭和62年オンライン検索サービス開始といった節目を経て、今日に至るまで管理・提供されてきている。とりわけ書誌レコード作成要領に基づく精緻な目録作成を長年に亘り継続してきた事業には、印記を採録するという指針があり、そのことにより典籍に捺された蔵書印等の伝来情報を得ることができる。
平成24年に公開を開始したNIJL「蔵書印データベース」は、上述の伝来注記(印記)を元に原本にあたって印文情報等を更新し、印影を蓄積したものがベースとなっている。
本展示では、これまで陽の当たることの少なかった蔵書印を中心にとりあげ、印影とその背景にある様々な情報を"読む"ことの愉しみをお伝えできればと願っている。
< 東京大学附属図書館移管資料の蔵書印 >
当館開館から4年目にあたる昭和50年、東京大学附属図書館から「南葵文庫」旧蔵本をはじめとする重複版本類を受け入れることになった。管理換された重複本は12,612冊にのぼる(国文学研究資料館『十年の歩み』参照)。これらの資料群には、東京帝国大学の蔵印と併せ、複本であることを示す鉛筆書「複-○○○○」が確認できる。特筆すべきは、大正12年の関東大震災で全焼壊滅した東京帝国大学附属図書館復興のため、各界の識者・篤志家から寄せられた蔵書が、国文研への移管本に多数含まれていることである。
東大図書館の復興を願い集積された典籍、その一部が時を経て、新興の国文学研究資料館の収蔵庫を豊かに形成すべく、移動していく。復興と新興、2つの文化史的メルクマールを根幹から支えた寄贈図書の一断面を探ってみたい。
●印文:隈山谷氏
●使用者:谷干城(1837-1911陸軍軍人・政治家、号 隈山)
●採取資料:『宕陰存稿』
現在NIJL「蔵書印データベース」には当該印が3レコード収録されている。いずれも谷儀一からの寄贈であることを示す東京帝国大学図書館の寄贈受入印「寄贈 大正十三年七月十五日 谷儀一氏」を併捺。儀一の養祖父が谷干城である。ちなみに、東京大学附属図書館に「谷文庫」あり、谷干城の旧蔵書を大正13年7月5日に谷儀一が寄贈したもの。上掲の儀一寄贈受入印の日付とも合致する。谷文庫の一部、あるいは文庫から除外され一般書扱いとなったものの一部が、当館に移管されたとみるべきか。東大「鴎外文庫」本にも類例あり。
●印文:上田貞印 士幹氏
●使用者:上田章(1833-1881紀州徳川家家扶、諱貞固・字士幹)
●採取資料:『古刀銘集録』
本資料は、章没後に上田家で作成したと思しき「上田章遺書」印を併捺。同一印は参考出陳の『新安手簡』(ヤ5-38-1~5)にもみえる。なお、『新安手簡』は、上田章の蔵書目録と認められる仮綴じ冊子「書目」(国文学研究資料館「近代書誌・近代画像データベース」収録「〔書類一式〕」(文献コード:UDMO-00025)のうち)に書名が確認できる。また、東京大学附属図書館蔵『活所備忘録』(印記:「上田章遺書」「南葵文庫」)も、上掲「書目」に記載あり。印章使用者の蔵書目と押捺資料書名との照合同定が可能な例として、蒐書傾向や時期等を考察する上でも興味深い。
< 印影あれこれ >
印文の読み順は通常、①右上→②右下→③左上→④左下で、右縦書きの書字順だが、①→③→④→②となる回文印や、意匠を凝らした刻印例のいくつかを紹介する。
●印文:臣準助印 梅所
●使用者:西島楳所(1861(?)-1935朱子学者、別称 準之介)
●採取資料:『漁村文話』
陰刻(白文)と陽刻(朱文)からなる連珠印のうち、陰刻印が回文になっている。参考出陳の『名草の浜つと』(51-531)巻末の「石上三ネン」も回文印(使用者不詳)。「石の上にも三年」のことわざを刻した遊印。遊印とは、詩文や故事成語等の好みの語句や絵を刻した印章のことで、書画の落款と併せ用いられるが、典籍に鈐した例もしばしば見られる。また、参考出陳『好古小録』(ナ5-75-1~2)には、刷り印であるが、珍しい鏡文字印「藤原貞幹」あり。なお、上掲の印影に併捺された朱文方印「西嶋氏記」及び明治11年刊『漁村文話』(87-475)の「西嶋氏記」印ともに、印泥と刊記から西島楳所の押捺と判断できる。
●印文:吾唯知足
●使用者:不詳
●採取資料:『集古印譜』
中心の「口」の字を上下左右の四字で共有する意匠。本印も遊印の一つで、龍安寺の"知足の蹲踞"で知られる禅語「吾唯知足(われ、ただ足るを知る)」に拠る。展示資料は印譜であるが、典籍への実捺例も「蔵書印データベース」内に数例収録がみられ、好まれた文言であることがわかる。
< 書癖と印癖 >
文人の中には書画の落款印や蔵書印として所用の印顆を多数有する者、時にはコレクターとして一家をなす者もある。生涯に500余の自用印を蔵した富岡鉄斎は「余に印癖有り」と語り、印章コレクションで知られる市島春城は1,000顆近くを集め「印狂」を自称したという。鉄斎・春城に及ばぬまでも、書癖と併せ印章を愉しんだ文人をとりあげ、典籍への押捺例を展観する。
●印文:霞亭珍玩
●使用者:渡辺霞亭 (1864-1926小説家・新聞記者)
●採取資料:『名所都鳥』※6月26日までの展示、『絵本時世粧』※6月27日からの展示
当館所蔵資料では、現在2点の典籍で押捺が確認できる。いずれも貴重書指定の『名所都鳥』(※右掲画像分)『絵本時世粧』である。
東京大学附属図書館蔵「霞亭文庫」で知られる渡辺霞亭は、"江戸期板本の蒐集において随一"(『近代蔵書印譜』)と謳われ、その所用印も多彩であったが、比較的よく目にする朱文長方印「霞亭文庫」・朱文方印「渡邉蔵書」とは別して、とりわけ珍重すべき典籍にのみ「霞亭珍玩」を鈐していたことがわかる。
●印文:名古屋市桑名町通本重町下ル西側服部石仙
●使用者:服部石仙(1864-1920名古屋四条派の日本画家)
●採取資料:『古今和歌集』
個人が1点の資料に押捺した蔵書印数としては他に類を見ない、33種類の印影が確認できる。
なお、住所印を典籍に鈐する例としては、大惣の名で知られる貸本屋の印「長島町五丁目大野屋惣八」を始めとする書肆印に多い他、個人の蒐書家所用印でも「大阪市西区北堀江下通三丁目六七小栗仁平」、「東京牛込区大久保余丁町百拾弐番地坪内雄蔵」等、散見される。
< 蔵書への思い ―印影を"読む" >
蔵書印とは、コレクターが自らの蔵書に捺してその所有を示す印影のことである。「○○蔵書」「○○文庫」「○○珍蔵」「○○之印」といった印文が一般的であるが、時には蒐書家の万感の思いを託した長文が刻され、典籍に捺された例も少なくない。参考出陳として示した朱文長方印「不敢伝吾子孫 河野氏図書」(『寸碧樓詩稿』87-311-1~2)、堤朝風の蔵書票「第一と第二のゆひもてひらくへし其よみたるさかひにをりめつけ又爪しるしする事なかれ」(『朝風集』ナ2-176)等、警句として見るべきものといえる。
ここでは、災禍から蔵書を守り得た愛惜の念が込められた2顆を紹介し、該印押捺以前・以後と幾星霜を経た古典籍が、今、此処に、伝えられてあることの軌跡と歴史を、印影と共に辿りたい。
●印文:明治三十年八月由熊本帰誤落行李於海此本為所浸湿者
●使用者:内田周平(1854-1944崎門学派・東洋哲学者、号 遠湖)
●採取資料:『薄遊漫載』
明治30年8月、内田遠湖は5年間奉職した熊本の第五高等学校教授を辞し、浜松に帰郷。老親を慰藉するためであったという。途次、書籍を詰めた行李を誤って海に落とし海水に浸らせる失策、その記念にと作られた風趣ある印文。展示箇所は乾・坤二巻の巻頭だが、坤巻は水濡れ・黴跡が顕著で当時の状況を彷彿とさせる。
なお、公益財団法人無窮会所蔵・内田遠湖旧蔵資料のうち『老子ケン斎口義』他に同一印の押捺が確認でき、本書と共に海路携行の書冊と知れる。
●印文:昭和二十年四月十三日夜壕中二於テ戦災ヲ免レタル図書 茂
●使用者:望月茂(1888-1955評論家・編集者、号 紫峰)
●採取資料:『拙斎小集』
「四月十三日帝都空襲にて、到頭一家丸焼にて、当地に只今立退き候、物は失い候へども、全員無事、心は傷付けず候間、ご休心被下度候。」(昭和20年7月15日付・原茂貞宛書簡)と気丈に認めた望月茂だが、貴重な典籍が為す術もなく焼尽する様を折にふれて思い出し「あの家からは、金色の烟が出たナァ。」と、万感の思いを込めて語ったという。巣鴨の自宅庭防空壕にて焼け残った書籍を、疎開先の茨城県筑波郡まで運び、「金色の烟」になることを免れ得た蔵書の一点一点を慈しみ、手ずから捺した印。
※詳細は「蔵書印の愉しみ」のリーフレットをご覧ください。
次回の特設コーナー:
「新古今和歌集」
会期:平成26年7月11日(金)~平成26年8月13日(水)
「新古今和歌集」をテーマに、当館所蔵資料等を展示する予定です。