マレガ・プロジェクトの発足
1929年12月に来日したマレガ神父は、宣教師として活動する旁らで、精力的に豊後地方のキリシタン関係史料を収集・研究し、1942年に『豊後切支丹史料』を、1946年に『続豊後切支丹史料』を刊行したことは、多くの人々が承知するところでしたが、この史料集のもとになった原史料は永く所在不明となっていました。
2011年、バチカン図書館で発見された史料群は、まさに『豊後切支丹史料集』『続豊後切支丹史料集』のもととなった原史料でした。さらに、史料集に含まれていない新たな史料や、マレガ神父の手稿・メモなども含め、1万点にも及ぶ史料群が発見されたのです。
この発見を受け、バチカン図書館から日本へ調査協力の依頼があり、2013年同年11月、バチカン図書館と人間文化研究機構とが、この史料群の調査協力についての協定を締結しました。人間文化研究機構は日本関連在外資料調査研究事業のなかにこの研究を位置付け、「バチカン図書館所蔵マリオ・マレガ収集文書の保存・公開に関する調査・研究」班(代表大友一雄)を発足させました。また、バチカン図書館職員と日本側関係機関、そして内外の研究者による「マレガ・プロジェクト」が正式に活動を開始しました。日本側機関には、人間文化研究機構国文学研究資料館、同国立歴史民俗博物館、東京大学史料編纂所、大分県立先哲史料館が参加し、国文学研究資料館が代表機関を務めています。
マレガ収集文書とは
マレガ神父は、豊後でのキリシタン弾圧・統制に関する古文書を収集した『豊後切支丹史料集』(1942年)、『続豊後切支丹史料集』(1946年)という2冊の史料集を刊行しました。マレガ・コレクションは、この原史料が中心となりますが、バチカンでは史料集に収録されなかった1万点を超える新たな史料が発見されました。また、マレガ神父の手書きの原稿やメモなども見つかり、マレガ神父が大分で収集した史料をどのように整理・組織化し、研究して史料集の刊行に至ったのかを知ることができます。近年の調査によれば、マレガ収集文書は、1953年にマレガ神父によって日本からバチカン図書館に送られ、保管されてきたのでした。2011年の発見後、文書群の塊は、状態を踏まえた形でA1からA21の袋に分けて収納されました。現在、一袋ずつ調査を進めているところです。
また、マレガ神父が日本研究を進める上で収集した古書・古典籍などは、ローマ・サレジオ大学に保管されています。こちらは既に国文学研究資料館文献資料部編により、『サレジオ大学マリオ・マレガ文庫所蔵日本書籍目録』が刊行されています。一部のキリシタン関連史料を含む多くの古文書が見られること、マレガ神父の古写真などが残されていることがわかりました。マレガ・プロジェクトでは、サレジオ大学のマレガ文庫もあわせて調査・研究し、マレガ神父の日本での史料調査・研究の歩みを復元したいと考えています。
研究体制
マレガ・プロジェクトでは、活動を行うにあたり、(1)文書群の概要調査の実施(2)バチカン図書館での保存管理と公開体制整備への協力(3)文書全点の目録作成(4)全点撮影を通じた画像データベースのウェブ公開の実現(5)マレガ神父、文書群について基礎研究を進め、切支丹研究・日欧交渉研究をはじめとする諸研究の学術情報基盤を整えることの5点を活動の柱としています。
以上の事業を実現するため、以下のような役割分担で、調査・研究活動を行っています。
- 総括機関及び総括責任者
総括機関:国文学研究資料館
総括責任者:大友一雄教授
- 実施機関及び分担作業
a)研究課題:バチカン図書館マリオ・マレガ資料の概要調査と調査を通じた保存管理に関する国際協力研究
研究代表者:青木 睦 准教授
対象機関等:バチカン図書館他
b)研究課題:マリオ・マレガ資料のデジタル化と公開システム開発に関する研究
研究代表者:太田 尚宏 准教授
対象機関等:バチカン図書館他
c)研究課題:マリオ・マレガ資料の目録記述のための基礎的研究と目録記述
研究代表者:佐藤 晃洋(大分県立先哲史料館館長)
対象機関等:バチカン図書館他
d)研究課題:マリオ・マレガ研究
研究代表者:シルヴィオ・ヴィータ 教授(京都外国語大学)
対象機関等:バチカン図書館他
e) 研究課題:切支丹史料・切支丹に関する研究
研究代表者:松井 洋子 教授(東京大学史料編纂所)
対象機関等:バチカン図書館・大分県立先哲資料館・臼杵市立歴史資料館他
史料の紹介
バチカン図書館での概要調査の場で調査参加者を驚かせたのは、『豊後切支丹史料集(正・続)』に収録されていない多くの史料の発見と、その質です。史料にはマレガ神父自身による整理・研究の痕跡が、整理番号の附与や書き込み、メモや原稿の挟み込みという形で残されており、膨大な史料の研究のうえで、収録すべき史料を精選していた様子がうかがえます。また、『豊後切支丹史料(正・続)』に収録されなかった膨大な史料は、今後のキリシタン禁制研究や大名アーカイブズ研究をはじめとする近世史・キリスト教研究に大きく寄与すると考えられます。
たとえば、『豊後切支丹史料(正・続)』に基づくこれまでの研究のなかで、豊後・臼杵藩におけるキリシタン禁制の重要なエポックとして、寛永11年の絵踏(踏絵)の開始と、同12年の家ごとの「きりしたん宗門御改ニ付起請文前書之事」(棄教証文)の提出、それをもととした「きりしたん宗門御改之御帳」の作成は、禁制が地域の隅々にまでおよぶ始まりとして位置づけられてきました。この棄教証文は、『豊後切支丹史料』では1点のみ紹介され、解説で数量分析がされ、これまで、キリシタン統制史の事例として紹介されてきました。今回の調査では、この棄教証文が大量に発見されると同時に、藩による極めて特徴的な文書管理のあり方が判明しました。この棄教証文は、村人が家単位で、キリシタンでは無く仏教徒として寺院の檀家であることを誓う起請文で、檀那寺による裏書きがされた状(一枚物)の史料です。しかし、今回大量に発見された棄教証文は、(おそらく村ごとに)貼り継がれていて、全長24メートルにも及ぶものもありました。棄教証文の情報は、藩庁によって整理され、「きりしたん宗門御改之御帳」が作成された事がこれまでの研究で知られていますが、その原簿である棄教証文は、貼り継がれて巻子状で管理され、幕末まで廃棄されなかったことがわかります。
この史料の発見は、これまで『豊後切支丹史料集』で断片的にしか知り得なかった当時のキリシタン統制の実態を、家・個人レベルで克明に伝える記録であると同時に、臼杵藩がキリシタン統制に関わる記録(アーカイブズ)をどのように管理していたのかを伝える、極めて重要な史料でもあるのです。
マレガ・コレクションのなかの棄教証文。1枚1枚貼り継がれて巻子状に保管されていたことがわかる。