「ないじぇる芸術共創ラボNIJL Ats Initiative」記者発表・座談会
(2017年10月18日)
主催者あいさつ(高田行紀文化庁政策課文化プログラム担当室長)
高田:
皆さん、おはようございます。主催者を代表し、一言ごあいさつ申し上げます。
本日はお忙しい中、マスコミの皆さん、関係者の皆さま、そしてこの後トークショーを行う登壇者の皆さま、お越しいただき誠にありがとうございます。今、文化庁では、2020年の東京オリンピック・パラリンピック大会に向けて、文化プログラムを推進しております。スポーツの祭典としてだけではなく、文化や教育とも融合したさまざまなプログラムを行っていかなければならないことが、オリンピック憲章に書かれております。特に近年では、ロンドンオリンピック・パラリンピックでは文化プログラムによってさまざまなイベントが行われました。それは文化・芸術の振興だけではなく、さまざまな経済的、社会的な、例えば具体的にはロンドンやイギリスのブランドランキングが上がったとか、観光客が増えたとか、もちろん文化芸術のものについてはこのようなことを契機にさまざまな創作活動が増えたと。国際的な交流も活発になり、いろいろなアーティストにとって刺激になり、創作活動が盛んになったと聞いております。
そのようなことを考えて、今、文化庁では、さまざまな機関と連携して、パートナーシップの枠を広げていろいろな事業を行っています。今回この国文学研究資料館と行う事業はまさにその一環で、単に芸術・文化の振興だけではなく、教育、学術的な面、国際交流の面など、いろいろな広がりのあるイベント、事業にしていきたいということで行うものです。
詳しい事業の趣旨、内容については、この後、関係者の皆さまからご紹介があると思いますが、文化庁としては非常に大事な事業として進めていきたいと考えていますので、よろしくお願いいたします。本日はありがとうございました。
趣旨説明(国文学研究資料館・小山企画広報室長)
小山:
国文学研究資料館企画広報室長の小山順子です。簡単に、私から今回の事業についての説明をさせていただきます。このたび国文学研究資料館は文化庁から委託していただいた事業として、新しく「ないじぇる芸術共創ラボ アートと翻訳による日本文学探索イニシアチブ NIJL Arts Initiative」を実施いたします。これは、日本文化の国内外への発信に関する文化庁の取り組みの一環として、古典籍を発掘し、社会とのつながりや、新たな芸術作品の創造につなげることを目的とするものです。
国文学研究資料館は設立以来、約半世紀にわたって古典籍の調査、画像撮影、そしてその公開を続けてまいりました。当館には膨大な文学資源が蓄積されています。それらは日本文学・文化研究にとっては、重要かつ不可欠なものとなっています。このような文学資源を、研究のためだけではなく、より広く活用していこうというのが今回の新事業です。
ないじぇる芸術共創ラボは、三つの部門からなっています。一つ目はアーティスト・イン・レジデンスです。これはさまざまな分野で創作活動を行っている芸術家を招聘し、古典文学に触れて得た感性や知見を基に新たな作品を生み出していただこうというものです。参加アーティストは、まず、小説家であり、芥川賞他、多くの賞を受賞されている川上弘美氏です。川上氏は2016年に『伊勢物語』の現代語訳も発表なさっています。先ほどご紹介があったように、本日は残念ながら、やむを得ない事情で欠席なさっています。次に劇作家、演出家、俳優として多彩なご活躍をなさっている長塚圭史氏です。次に、アニメーション作家の山村浩二氏です。国内外で高い評価を得ていらっしゃる方です。
二つ目の柱は、トランスレータ・イン・レジデンスです。これは日本文学を外国語に翻訳している翻訳家を招聘し、海外で未紹介の古典文学作品の翻訳を当館がサポートするものです。トランスレータ・イン・レジデンスとしては、ピーター・マクミラン氏をお招きしています。マクミラン氏は昨年、『伊勢物語』の新訳を、ペンギン・クラシックスより刊行されており、2017年には『英訳で読む百人一首』も発表なさいました。
このような取り組みには専門家としてナビゲートする存在が必要です。それが三つ目の柱である、古典インタプリタです。作品の選定や判読、専門情報へのアクセスなど、古典知のナビゲーターとして活躍してもらえる特任助教として優秀な若手研究者を雇用しました。
非常に簡単ですが、このないじぇる芸術共創ラボの説明をさせていただきました。
参加者紹介
小山:
続いて、本日ご出席のアーティスト、翻訳家、古典インタプリタの皆さまをご紹介いたします。お名前をお呼びしますので、順にご着席ください。
劇作家、演出家、俳優の長塚圭史様。アニメーション作家の山村浩二様。翻訳家のピーター・マクミラン様。古典インタプリタの国文学研究資料館特任助教の有澤知世。主催者を代表して、国文学研究資料館館長のロバート キャンベル。
それでは、ここからはトークイベントとなります。以後の進行はキャンベル館長にお願いします。
座談会
キャンベル:
ありがとうございます。皆さん、「ないじぇる芸術共創ラボ」の記者発表会にようこそおいでくださいました。私は、今年の4月から国文学研究資料館の館長に就任したキャンベルです。せっかく一堂に集まっていただきましたので、これから30分から35分ほど時間を費やしまして、このラボが目指すものについて、そしてそれぞれのアーティストや翻訳家の思いを少し共有し、皆さんに発信をしていただきたいと思っております。
先ほど小山准教授からお話があったように、国文学研究資料館には、多くの古典籍、つまり明治以前に筆写され、あるいは印刷された実物の日本の書物があります。2万点以上の実物を所有していますが、実はそれをはるかに超えるものがデータベースのサーバーの中にあります。われわれは半世紀をかけて、海外では70カ所、国内では1000カ所の所蔵機関あるいは個人宅、神社、寺院などさまざまなところに出掛けていき、一つずつ古典籍を調査し、調査したものの中からおよそ5分の3のタイトルを選出して全冊撮影してきました。古典籍を画像として収集し、それが自在に検索できるようさまざまな工夫を行って公開するということです。これらを材料に、共同研究を全国の大学教員に提案したり、受け入れたりする共同利用機関です。
加えて国文研は、10年間におよぶ大型研究プロジェクト(日本語の歴史的典籍の国際共同研究ネットワーク構築計画 http://www.nijl.ac.jp/pages/cijproject/)を推進しています。2023年までに文学に限らず、産業、自然科学、生命科学、さまざまな分野の古典籍を30万タイトル、冊数にすると優に100万冊を超える画像データベースを構築するプロジェクトを現在進めようとしています。これは世界に類を見ない大きなプロジェクトで、日本文学をはじめ、日本の歴史・文化に対する理解、あるいは活用の在り方を大きく変えることが期待されているわけです。国際的な連携の中で作りながら、それを作って何になるのか、どういう新たな文化、モノ、発想、表現などが生まれるのか、ということを同時にお示ししていかなければならないと私たちは考えています。
これまでにもさまざまな他流試合、異なる分野の研究者たちとの共同研究を行ってきました。例えば今年の9月下旬から10月の始めにかけて日本橋の三越本店で、200年、300年前の江戸時代に出版された料理本からレシピを一つひとつ選び出し、現代語訳にし、料理人たちと一緒に今味わえる食品に開発した江戸料理フェアを共催で行ってまいりました。
今回、この芸術共創ラボで目指すのは、無尽蔵といってもよい、国文研が保有している物語やドラマ、言葉を資源として、新たなモノや表現を生み出す、あるいは多言語化させることによって日本の豊かな文字文化を世界と共有することです。今日は3人の方に集まっていただきました。ここにはいらっしゃらない川上弘美さんも加わり、それぞれ異なるジャンルとマテリアルを扱う方々に、アーティスト・イン・レジデンス(AIR)になっていただきました。AIRは欧米にはよく見られる制度です。芸術家がある機関に招聘され、一定の期間そのリソースにふれながら創作に取り組む仕組みです。今回は国文研が長年にわたり培ってきた古典籍のコレクションとそれに関わる情報に加えて、国内外でつながっている研究者のネットワークも活用しながら、作品を作っていく、あるいは他の言語に置き換えていく場、まさにラボとして育てていくつもりです。
私の話が長くなるので、まずそれぞれの思いをお聞きしたいと思っています。今日、出席がかなわなかった川上さんからコメントを頂いているので、先に川上弘美さんの言葉を代読させてください。
「伊勢物語は平安時代の歌物語ですが、長く日本で愛され続け、実は江戸時代のロングセラー第一位だと聞きます。人間の根幹をシンプルにかつ力強く描いた伊勢物語とは、いったい私たちにとって何なのかということを、伊勢を礎にした小説で書ければと思っています。といっても、小説はたぶん、伊勢物語の小説化、というストレートな形はとらないと思います。どんな物語ができあがってくるのか、作者の私にもまだわからないのですが、伊勢物語がその後押しをしてくれることと願っています」。
川上弘美氏のコメントです。一言補足すると、川上さんはいち早く、私たちのスピリットといいますか、われわれが志向するところに賛同を表明してくださいました。来年1月の『婦人公論』新年号から、川上さんの新しい小説の連載が始まります。連載は以前から決まっていたとお聞きしていますが、ぜひこのプロジェクトをそれに当てたいということで、実は2カ月ほど前から国文研に詰めて、共にいろいろなワークショップを始めています。『婦人公論』の新年号から始まる川上弘美さんの新しい小説にぜひ注目していただきたいと思います。
さて、今日の話を進めていきます。先ほど紹介させていただきましたが、実は皆さんそれぞれのペースで作業が始まっており、夏から何度も足を運んでいただいています。まずお一人ずつ、国文研に来て、200年前、300年前、鎌倉時代までさかのぼる写本、古いものまで実際に手に取ってページをめくっていただいています。そのときの第一印象、感触、日本の古典籍からまず物としてどういう魅力を感じたのか、をお聞きしたいと思います。長塚さん、どうでしょうか。
長塚:
僕は今年の夏、9月の頭頃に最初に伺わせていただいて、そのときに幾つかの本を見せていただきました。僕は、先ほどキャンベルさんがお話ししたように、データベースのお話、例えばある一つのポーズがあったら、そのポーズに関した画像が限りなく出てくるという、そのデータベースの在り方について非常に興味を持って、ぜひ行ってみたくなりました。
それで行ってみると、たくさんの方が待っていて、古典籍を紹介するとおっしゃって、いろいろ見せていただきました。僕はあまりいろいろなことを想像せずに、お話をしに行くぐらいの気持ちで行ったのですが、そこでたくさんの本に出会わせていただきました。もちろんお話は聞いていたので、何か演劇につなげることはできないのかということも想像しながら行っていたのですが、僕にとっては実際に本に触れたことが一番大きいものでした。演劇と古典籍がどうつながっていけるのかというところでいうと、本をめくる瞬間です。めくるという行為自体が、ある時代を経てきた、本をめくるという行為に何かドラマを感じるのではないか。それは専門家の方々のページのめくり方にある特別なところがあって、あるいは巻子本にしても開き方はそれぞればらばらだったり、閉じられ方にしてもそれぞればらばらだったりするのです。僕ら演劇は肉体が行うものなのでフィジカルなものなのですが、そこから何か物語を紡いでいけないか。この本が出来上がる過程を調べていく中で、古典籍の中に眠る物語と何か融合させたものができないか。もう出合った瞬間がそう考えるタイミングで、とても刺激的でした。
キャンベル: ありがとうございます。よく覚えています。長塚さんが最初にたくさん、いろいろな装本、いろいろな装丁をした古い本を目の前にして、そこからドラマが作れるのではないかとおっしゃった。それは、われわれの発想にはないので、大変興味深いものでした。山村さん、どうですか。
山村: 僕はアニメーションと絵本の創作をしていて、古い絵本を最近コレクションしています。特に戦前のものにひかれています。写真製版以前のものは、リトグラフだったり、銅版画だったり、木版画だったり、プリントの美しさがあり、そのような古い絵付きの本にすごく興味があったので、キャンベルさんから国文学研究資料館にたくさん絵付きの古い本があるとお話を聞き、その実物を手に取れることが大変楽しみでした。というのは、現在の写真印刷だと、もちろんクオリティーはある部分では高いのですが、例えばリトグラフは、ダイレクトに彫り師なり画家が彫ったりして、色も写真製版のように4色だけではなく、時には何十色とインクを使います。手彩色や肉筆の写本などもあり、すべての絵は本の実際の大きさで描かれています。僕はビジュアルを通して心、感覚を伝えようという思いがあり、実際印刷された、1回情報を経たものより、肉筆や、直接的に板を彫って刷られたものを見ると、より多くの感覚を得ることができるのです。それは100年前であろうと200年前であろうと、まさに今、ここでそのものが起こっているという感覚を得ることができ、本当に生きた情報を手に取れるというところで大変興味深いです。まだ僕も2度ほどしか国文研には行っていないので、これからたくさん実際に手に取って、そこからさまざまな情報を得たいと思っています。
キャンベル: ありがとうございます。山村さんの作品、作風は実に多様で、たとえば『古事記』の世界をショートアニメーションに置き換えながら、まったく新しい表現を打ち出そうとしておられます。ボーダレスな技術と豊かな発想が絡み合い、どのような発見が待っているのか本当に楽しみです。
山村: 特に最近、文字と絵の両方を兼ね備えたビジュアルにすごく興味があります。自分のアニメーションでも意図的に、音声ではなくテキストを画面に入れることを始めているので、このプロジェクトでまた何か発展できればいいなと考えています。
キャンベル:
ありがとうございます。
マクミランさんは、昨年Tales of Iseという、『伊勢物語』の素晴らしい翻訳をお出しになり、高く評価されています。一方、国文研に鉄心斎文庫という1000点を超える、世界一の『伊勢物語』関連資料コレクションを昨年寄贈いただき、先週から特別展示「伊勢物語のかがやき」を立川の国文研で開催しています(注記・2017年10月11日~2017年12月16日)。
『伊勢物語』の原文は翻訳済みですが、実はその後の時代 ― 鎌倉から室町、江戸時代は幕末まで ― にモデルとされる在原業平は何度も何度も生まれ変わり、尾ひれが付き、さまざまな説話が加わって、パロディーにも好色モノにも登場します。という具合に『伊勢物語』を抜きにして日本の古典世界や美学は語れないわけで、非常に豊富な資源を積み上げています。それらをマクミランさんがご覧になって、どのようなことお感じになるのか、あるいはそこからどのようなことを見つけようと思っておられるのか。ご紹介下さいませんか。
マクミラン:
『伊勢物語』の翻訳には5年間ぐらいかかったのですが、そのときは活字の本から翻訳しました。崩し字が読めないので、大手の出版社が出している本文にすがって、注釈を見ながら翻訳しました。指導をして下さったのは山本登朗先生です。彼に鉄心斎文庫のご主人芦澤さんを紹介していただいて、コレクションの一部が私の本の挿絵にもなっているのです。
伺って、そのコレクションを実際に見せていただき、他の屏風絵、在原業平の涅槃図などいろいろ拝見して、とても感動しました。先ほどの川上さんのお話の中でもあったように、『伊勢物語』は江戸時代のベストセラーだったのです。毎年新しく出版されてずっと売られていて、素晴らしいものなのです。しかし、今はほとんど忘れられています。だから、この展示会には大変感謝し、そういうコレクションをみんながこれから拝見できることにとても感動しました。
展示会のときには、注釈書でどのように『伊勢物語』を伝えてきたかということや、江戸時代に『仁勢物語』(にせものがたり)という本が出てきたということなどを知って、さらにワクワクして、さらにまた『伊勢物語』を訳したものを見たり、いろいろ刺激を受けました。
キャンベル:
ありがとうございます。今おっしゃった17世紀の『仁勢物語』もそうですし、『好色伊勢物語』や『戯男伊勢物語』等といったパロディーや好色バージョンがありますが、現在はほとんど読まれていないのです。通販サイトからそれを取り寄せたり、図書館ですぐに読めるものはほとんどありません。それで、われわれの一つの目標として、マクミランさんが素晴らしい原石を見いだして、今の日本列島の頭の上を飛び越えて英語圏に着地させ、読者たちをハッとさせること。それが英語から逆輸入されるというようなことが起こると面白いなと思います。
それはさておき、現在海外の読者は何を求めているか、ということ。明治から選び取られたものばかりではなく、もともと同時代の中にあって人びとに愛された、たくさんの眠っている作品だろうと考えます。その中へぜひ一緒に潜って良い作品を選び出し、素晴らしい翻訳に仕上げていっていただきたいと思います。
国文学研究資料館。先ほど長塚さんが、そこに行ったらたくさんの人が待ち受けている、とおっしゃいましたが、アーティストと翻訳者が普段歩いている道、使っている言葉、思い浮かべる風景と、およそ日本古典文学研究者たちが抱いている発想、使っているボキャブラリーとの間にはギャップがあるのではないかと思います。私たちは、単にどうぞこの広大な海の中に飛び込んでくださいというわけにはいきません。いろいろなナビゲーションをしなければいけない。そのために、今一緒にいる有澤古典インタプリタの存在が重要になってきます。
そこでに皆さんに、何にギャップを感じているのか、つまり自分が求めていること、何かを創作するときに、私たちが居並んで、いろいろなことをナビゲーションするけれども、こういうことに気付いた、これが違うのだということ、あるいは逆に研究者コミュニティーにこうしてほしいということがあれば、ぜひ注文を付けていただきたいです。どなたか自由に。
長塚: まだ分からないのですが、今、僕はもう3回ぐらい通っているのですが、そこに行くと教授の方たちが待ち受けていらして、次から次へといろいろな時代の古典籍を見せてくださいます。僕は1回3時間ぐらいで行くのですが、知恵熱が出そうなぐらい本当に濃厚な3時間になって帰ってきます。これは非常に楽しくて、それこそ『源氏物語』のシリーズのときは、どこまで『源氏物語』が出てくるのだろうというぐらいに幾つも出てきました。
キャンベル: その日は30種類くらい。鎌倉時代に始まって明治初期までの『源氏物語』注釈を含めて、いろいろなバージョンを全部お出しして。
長塚: それは本当に一部なのですが、短い時間の中で、どれだけ説明しようとするのだという。『源氏物語』を語りたくて仕方がないわけです、先生は。
キャンベル: しょうがないのです(笑)。
長塚:
そのことに僕は非常に衝撃を受けて、こういうところと演劇はどう関わるのかといつも考えているのですが、いろいろな教授の方たちと会っている中で、文士芝居というのがあるのですが、どこかでこの教授の方たちとお芝居ができないかと考えるぐらい、それは冗談ですが、それぞれの方々が非常に印象的です。
今はまだ僕が本そのものに興味を抱いているという話をしたら、それこそたくさんの本が持つ個性というか、魅力を教えてくださいます。僕が心強いと思うのは、ここをもう少し掘り込みたいと興味がクリアになったときに、そこに深くいざなってくれるであろう知識を持っている方たちばかりであることです。それが面白い。
それと同時に、僕が言語にできない部分をどうつなげてくれるか。奥に行くには奥に行くための言語みたいなものがきっと必要になっていくと思います。僕は全く古典籍に関しては知らなかったわけですから、そういう知らない言葉をその教授の方たちがもっと深く入り込んだときに、つないでいける言葉があると、僕のいわゆる演劇脳というか、古典籍を知らなかった脳で感じたものを伝えたときに、それは有澤さんかどうか分からないですが、つないでいって、奥まで入れるようになっていたら、すごく不思議な旅ができるのではないかと思っています。
キャンベル:
ありがとうございます。とてもいい注文といいますか、一種の果たし状と受け止めました。本当にそうなのです。近代になって150年、とくに古典日本文学や日本史は、研究者それぞれの手法や手続きがあって、パラダイムを少しずつ共有しながら自分たちの分野を確立してきました。また研究者は社会一般に対し語る時に当然ではありますが自分の論理や言葉でものごとを言います。正しいことですが伝わらないことも多く、今回、私たちがやろうとしていることはその論理から二歩も三歩も離れたところで他分野の人びとと歩み寄って、一緒に古典籍を探索するということです。日本文化の基層でもありますがその前に崩し字で書かれていたり、様々なスタイルの古文や漢文で綴られたりしているので、扉が重くなかなか開けません。それをどのように丁寧に開き、今読めるということにとどまらずそこから新たな創造を促すか、に賭けてみたいと考えています。
なので、長塚さんが言う「掘り込みたい」意欲にどう向かい合えるか、大げさに聞こえるかもしれませんが日本の人文科学者に対する大きな挑発だと思います。あえて挑発と申し上げましたが、私たちはここを考え、積極的に動いていかなければいけません。
そういう意味でも、国文研にできた今回のラボの一角として、先ほどふれていただきました古典インタプリタが、われわれが住む森のすぐ近くにいる人たち、とくにクリエーターと翻訳者に、その地表だけでなく葉っぱも根っこもどう運んでいくかを示してくれると期待しています。お濠に架かる跳ね橋という言い方をしてもいいかもしれません。理系には科学技術インタプリタというものがあり、すでに職能としてかなり認められているわけですが、基礎人文科学には内容をメディアに発信していく、ICTに転換していく、多言語化させていくということは、研究コミュニティーの中からなかなか育ってこなかったのが現状です。それで、われわれは古典インタプリタという職能を育み、送り出す仕組みを考えたわけです。
その第1号が、今隣に座っている有澤です。有澤さん、この話を聞いていて、皆さんに聞きたいことや、自分の抱負、こういうことをやりたいというのはどうですか。
有澤:
先ほどワークショップが始まっているというお話が出ましたが、そこで皆さまが古い本をご覧になっている時の目の付けどころというか、ご関心のありどころが大変面白く、物を見ながらお話をしている時間がとても刺激的です。これまでは自分が専門としている分野について、調べ、分析し、学界に発表するということを行ってきましたが、このプロジェクトでは、古典から新しいものを生み出すという役割を担うことになりますので、今までとは違った視点を、自分の中に持たなければと強く思っています。
そのことと関連して、ちょっと漠然としたことではありますが、アーティスト、作り手として作品をご覧になったときに、古典の作者や書物の書き手、あるいは作り手に対してお感じになることや考えられることがあれば、お教えいただきたいと思います。
山村:
古典インタプリタという役割に、僕は大変期待しています。僕のように古典になじみのない者からすると、漢字だけではなく、崩し文字のひらがなでさえ読むことができません。もちろん使っている言葉も違うので、実際の意味をきちんと読み取るためには翻訳が必要だとひしひしと感じます。
国文研の中にはそれぞれ専門家の先生方がいらっしゃるので。一つ前の質問に戻ってしまいますが、僕は最初、訪館したときに、「七人の侍」ではないですが、次々と腕の立つ人たちが現れてくる印象がありました。僕自身も創作の中で、次第に古いものにひかれて、実際のオリジンなどというものは見つけられないのかもしれませんが、一体これの原点はどこにあるのだろうと興味が湧いてくる中で、どうしても古典に触れていかざるを得ませんでした。
実際に自分自身は、古典は高校のころからあまり好きな授業ではなくて、あまり興味がありませんでした。若いころは現代的なものにひかれていくわけですが、だんだん年とともに逆行してどんどん古いものに興味が湧いてきます。ただ、そこには日本人でさえ日本語の翻訳が要るという状況です。古典に意味が見いだされるには、現代にちゃんとアクティブなものとしてよみがえってこないと、新たに読み返してくれないと思うのです。その上で、われわれが何かしらお役に立てるところもあるのかもしれない。実際に今生きていない作者たちの翻訳、通訳をしていただける。その人たちと今、まるで対面しているかのように、対話をし、何かを見つけていければと思っています。
キャンベル:
ありがとうございました。いま山村さんがおっしゃったように、最初から文字そのもの、つまりorthographyから開いていかないといけないところに日本語テキストの特徴があります。1つは分かりやすいことで、日本語が世界の言語圏から見ると千数百年間途絶えもせず文字を持ち続け、自律的にその文字を使って現象も概念も書き、古典籍というモノとして伝えてきたことは奇跡に近い。でありながら明治10年代からは文字、30年代からは文体そのものを大刷新することで、活字体による口語文というスタンダードは立てたが代わりにそれまでの文字世界との間に断絶をつくってしまったのです。継承と断絶といえば近代のプロセスそのものでもありますが、従来書き継がれた日本語にアクセスできないというのはとても大きな損失です。時代の向こう側に手を差し伸べることができないという希有な状況に、日本はあるということにも注目すべきです。
いにしえ人の生活に根ざした喜怒哀楽、祈りや戦い、恋愛、さまざまな日常の感情そのものをどう汲み取れるか、がポイントになります。視覚に訴える美術作品もあれば素晴らしい建築や伝統芸能もあって生活を支えてきた里山でも人間の精神を反映した立派な文化資源といえます。でも私は、生きた証しとして書かれた文字作品が一番ストレートに、微細に、かつ立体的に人間の生について訴えかけてくるものだと感じています。
このラボを立ち上げようと館内で話し合った時に、それぞれのパーツをゼロからではなくできるだけ手許にある材料で作ろうね、ということになりました。話が少しずれますが、今日は皆さまに初めてこの「ないじぇる芸術共創ラボ」のロゴを見ていただきます。英語版は向こうにありますが、こちらはクリプトメリア社の杉江宏憲さんという気鋭のグラフィックデザイナーが練り上げてくださいました。
上にある意匠は先ほども申し上げた古典籍の森。三つの柱 ― クリエーターたち、研究者コミュニティー、そしてその真ん中にインタプリタ ― 各自の色合いで繋がっています。この三つのパーツが合わさって、新たな文化創生をしていこうという思いです。
それで、ロゴの文字を、このようにオリジナルなフォントで作ってくださいました。実は最初に出来上がったものはすごくきれいで、文字が美しかったのですが、何となく物足りない。今日ここにいらっしゃらない杉江さんには申し訳ないのですが、たぶん私の説明が不充分だったのでしょう。
国文学研究資料館に貴重書がたくさんあって、その中でも井原西鶴が書いた『好色一代男』というおそらく初版初刷り、天和二年刊の板本は字がとてもきれい。その本文から文字を一つ一つ選び出し ― これは「集字」と呼びますが ― 集字をしてもらってこういう形で、一つ一つをトレーシングした上で、そこから現代馴染みある平仮名あるいは漢字の形に近づけます。つまり17世紀大坂に生きた商人の文化的遺伝子をこの新しい表現に生まれ変わらせようとしたのです。
名前について説明しますと、国文学研究資料館の英語の頭文字はNIJL(National Institute of Japanese Literature)といいます。発音すると「ナイジェル」になる。イギリス人の昔の男優のようにも聞こえますが、親しみやすいということで、英語でもNIJL Arts Initiativeと呼ぶことにしました。このように、できるだけ活用されないで眠っているさまざまな文化、とくに文学資源を活用して、昨日までなかった新たなモノやコトを作ろうということです。先日から三越日本橋本店と銀座三越それぞれの食品フロアで国文研とのコラボで実施している江戸料理フェアも同様の挑戦です(https://www.nijl.ac.jp/pages/cijproject/images/20170914_release.pdf)。ないじぇる芸術共創ラボで期待し、大いに頑張っていこうと思っているのは芸術表現です。実物または画像として保有している200年300年前の、近代以来誰も捲っていないかもしれない古典籍の中に、人類にとって重要な知見や知恵、感性があるに違いありません。芸術と異文化共有のための、宝の山だと信じています。
終わりの時間が近づいてきました。ラボの輪郭は何となく見えてきましたでしょうか。あるいはその輪郭が見えるため、われわれにどんなことが求められているのか、等々、順番に手短に一言ずつお願いします。
長塚:
僕は演劇なので、それはどこかで体に落とし込まなければいけないのですが、今、僕自身が体感することが非常に必要です。月に何度か通わせていただいて、そこでいろいろな情報を頂くことが非常に貴重です。やはりこうではないかと思っていたこと、例えば写本は人が実際に写しているものですから、そこにはあるフィジカリティーがある。嫁入り道具の『源氏物語』は、武家社会でやることがない公家さんが書いたという話を聞くと、何か面白くなって、それはちょっといい話だなとか。要は、一つの本の根っこを探っていく面白さの上で写本は面白いなと思っていたのですが、この間聞いた、板本が出来上がって、仮名の印刷が始まったときの話はかなりミステリアスで、これは何人の人が関わったのだろうとものすごく興味が湧くのです。本当にこの間の板本の話は。写本はすごく大変な作業ですが、あれを印刷するとなると、とてつもない崩し字を彫らなければならない。活字で印刷された仮名なのですが、二文字が一つになっているようなものもあるから、ものすごい労力だと感じます。
これにはどのぐらいの人が関わっていたのだろうとか。この人たちに出会うためには、どこを探っていけばいいのかとか、そういうことができないかと思っています。これは僕の発想だけではどうにもできないし、写本にしても、これが、書いた人からどれぐらいの手を渡り、どれぐらい写されてきたことによって劇的に変化したのか。あるいは、もうなくなってしまった話も含めて。演劇も時間芸術なので、その時間というものが一つの本から出て、現在目の前にある本から、何かそこまで旅ができるような物を作れないかと思っています。まずは、一つの本からどこまでたどっていけるのか。もちろん幾つかの本を照らし合わせて、話を進めていけたら面白そうだなと思っています。
キャンベル: 山村さん、どうですか。
山村:
まだ漠然としていますが、2回の訪問の中で、ちょっとお話をしていて、文字と絵の関係に興味があったので、吹き出しの歴史にも興味があることをお話ししました。具体的に吹き出しがあったわけではないのですが、黄表紙の画像を見せていただいたときに、これは吹き出しですかとお聞きしたら、これは夢の表現だというお話でした。人物から斜線が出て、そこにビジュアルが入っている。それがちょっと頭に残っていて、日本人の夢表現の変遷はどうだっただろうと考えました。自分自身が日本の古典の中に求めるものの一つとして、日本人の精神性というか、考え方、アイデンティティーの持ち方には、独特なものがあると思います。『万葉集』などの和歌の中に、夢の詩もたくさんあるのですが、例えば夢を個人が主体的に見るのではなく、相手が思っているから、夢の中に相手が現れるというような、夢が共同の潜在無意識とつながっているかのような感覚が日本の中にはあります。日本の深い精神性を理解するために、夢を探っていくと面白いものが見つかるかもしれない。『今昔物語』の中でも、妻と夫が、同じときに別々の場所で同じ夢を見たという話がありますが、そのようなシンクロニシティみたいなところとか、ちょっと神秘的に思えるのですが、それは、実はとても当たり前の事象として日本の中にあったところを探ってみたい。僕自身もアニメーションという表現がある意味夢に似ていて、自分の内的ビジュアルを具体化することで、実は外の他者と深い共有ができる、そのような此処ではないどこか、彼岸を実際形にすることができるものだと思っています。
それと、ちょうど古典籍ということで、紙の束の群もアニメーションのようです。僕はアニメーションは全て紙に絵を描くのですが、実際本を手に取ったときの感覚がそれとすごく似ているのです。例えばアニメーションのワンカットが100枚の紙の束で描かれて、そこにある時間の流れと空間と世界ができているのですが、書物も、その表紙にとじられた中にある世界と空間があり、開いてみて初めて見えるわけです。その時間軸や再現のされ方は違いますが、とても書物と似ていると感じます。実は文学の研究の中で夢はとても新しく人気のトピックだとお聞きして、すでに研究されている方もいらっしゃるので、まずその先行研究を自分なりに理解した上で、新しいものや自分なりの視点が発見できたらいいなと考えています。
マクミラン:
私にとってはとてもありがたいプログラムであり、大いに期待したいと思います。国文学資料館は無尽蔵の宝箱で、私は行くたびに何か新しい発見があります。このたびは『伊勢物語』に関連するものをさらに翻訳させていただきたいと思いますが、この前、話し合いに伺ったときに、今、私は『百人一首』の、世界初の英語のかるたを制作していますが、今度は小山先生のところにデザイナーたちを連れていき、昔にデザインされているかるたなどを見てからデザインしてもらうようにしたいと思いました。それはなぜかというと、今、現代、若いデザイナーたちは大変素晴らしいデザインを起こせるのですが、古典の知識が頭に入っていない。例えば『百人一首』だと季節感や、雪月花というような概念が彼らに入っていないので、なかなかピンと来ないところもあるのです。だから、大いに期待しています。
皆さんは、古典の世界は現代とすごく離れている世界だと思い込んでいるところがあり、私は日本の古典を翻訳していてそれが一番孤独なところです。世間の見方が、例えば村上春樹など現代の小説家の翻訳と古典とでは扱い方が全く違います。でも、私にとっては、古典は今の日本人のご先祖様が残してくださった文学ですから、現代と切り離されていません。それは発掘すればするほど、今の社会の中で、新しい形を生み出さないといけない。このプログラムはそういう大きなことができるのかなと期待しています。
キャンベル:
ありがとうございました。本当に話は尽きないので、もう少し続けたいのですが、決まった時間に近づいてきましたので、この辺りで取りあえず私たちの話をお開きにしたいと思います。
今日は皆さまにお越しいただき、ありがとうございました。
