アーティスト
松平 莉奈(日本画家)

<プロフィール>
兵庫県生まれ。2014年京都市立芸術大学大学院美術研究科 修士課程絵画専攻日本画修了。「他者について想像すること」をテーマに、人物画を主とした絵画を制作。主な展覧会に、個展「insider-out」第一生命ギャラリー/東京(2017)、「第7回東山魁夷記念日経日本画大賞展 」上野の森美術館/東京(2018)、第一回~第四回「景聴園」(2012-2017)など。賞歴に「京都市芸術新人賞」(2017)「VOCA展」佳作賞(2015)など。
<就任期間>
2018年10月~2020年3月
ないじぇる芸術共創ラボでの主な活動
古典籍に見られる文字と絵の間のような図像や、両者が合体したようなビジュアルに惹かれています。ワークショップで作成した、黄表紙『金々先生栄花夢』の模本を手元に置いて模写しながら、細部にわたり観察しています。
- 関連する古典籍はこちら(新日本古典籍総合データベース)
- 『金々先生栄花夢』
ないじぇる芸術共創ラボでの成果
- posted! 11月16日(月)~22日(日)開催
松平莉奈展『うつしのならい-絵描きとデジタルアーカイブ-』
共創の道のり
松平 莉奈さんへの5つの質問
松平さんがないじぇる芸術共創ラボに参加してくださってからおよそ2ヶ月が経過しました(2018年12月時点)。
まだまだこれからテーマを深めてゆく段階ではありますが、ラボに参加して感じたことや今後の抱負などについて、古典インタプリタがたずねました。
Q1.「ないじぇる芸術共創ラボ」の中で取り組んでおられるテーマを教えてください
A. (まだはっきりと決まっていないのですが、できれば)古典籍の言葉と絵のかかわりに注目していきたいと思います。くずし字が満足に読めないからかもしれませんが、文字と絵のあいだのような図像や、両者が合体したようなビジュアルが気になります。文字と絵が干渉し混じりあう様子の中から、日本の絵画を捉え直すことはできないかと考えています。
Q2. 「ないじぇる芸術共創ラボ」で最も印象に残っている事柄(WS内容や資料、人物、イベントなど何でも)は何ですか
A. これまで経験した二回のWSでは、鎌倉時代の写本のレプリカや江戸時代の草双紙など、いろいろな時代の古典籍を見せていただきました。そのなかで入口先生の仰ったことが印象に残っています。「途切れ目なく書かれる「かな文字」は、同時代の人たちが読めた内容でも、背景にある共通認識が失われた時代の人たちにとっては読みにくいものになる」「だから、かな文学と、絵は補完関係にあるのではないか」ということでした。一口に古典籍といっても、どの時代の人も同じものを読んでいたわけではないという当たり前のことに気づかされました。また、文字のジェネレーションギャップを補うために絵があったのだとしたら、とても興味深いと思います。それらの関係性を紐解くなかで、文学と絵画の両方に思いを廻らせていくことができれば面白そうです。
Q3. 「ないじぇる芸術共創ラボ」に参加して、ご自身の創作活動にどのような影響がありましたか
A. 古典籍に触れる機会が増えて、書かれた字を読みたいと思う気持ちが強くなりました。それでくずし字の読み書き練習を少しだけ始めるうちに、筆の線で形作る文字に対し、絵を見るときと同じような興味がわきました。書き手がどんな順番で筆を置いていったのか、身体をどう動かしたから線のここが太くなったか…など、文字を見分けることができるようになるにつれて、今まで気づかなかった筆の線のしくみが見えるようになってきました。 私は紐状のものをモチーフに絵を描くことが多いのですが、一本の線から生まれる様々な表情に、もともと惹かれやすいのだと思います。文字も絵も同じ筆の線から成り、ときには絵の中に文字が隠れたり、文字が絵のように装飾されたり、両者一体になりながらひとつの紙の上にあることは古典籍の大きな魅力だと思いました。このことはぜひ制作に生かしたいと思います。紙の上にあることは古典籍の大きな魅力だと思いました。このことはぜひ制作に生かしたいと思います。
Q4. 「ないじぇる芸術共創ラボ」に期待することは何ですか
A. 国文学研究資料館がweb上に公開されているデータベース1を、これまでにもよく閲覧していました。貴重なアーカイブが専門でない自分にも開かれていることを有り難く思う一方、検索機能がうまく使いこなせなかったり、活用の方法がわからなかったりして、せっかく目の前に用意された資源を持てあましている感覚がありました。「ないじぇる芸術共創ラボ」は研究者の方々とアーティストの共働の場です。この環境を生かして活用の具体例をつくっていくことができればと思います。
Q5. 「ないじぇる芸術共創ラボ」に参加した感想や今後の抱負についてお聞かせください
A.絵の制作や発表を行う中で、既存の形式に捉われたり、絵が話をわかりやすくするための図解のようにしか見做されなかったりするのを不自由に思ってきました。「芸術のことはわからない」と突き放されることもあります。私自身の力不足もありますが、社会の中で、絵や美術が日常の言葉から切り離されてしまっていることが一因ではないかと思います。 古典の世界をのぞいてみれば、絵と言葉との関わりの中で、古典籍のように複合的なメディアが発展していることに気づきました。いま美術品と呼ばれるもの以外にも、そんなふうに生まれた多様な創作物があったのではないでしょうか。 これからの作り手にとって、美術と文学研究の連携はとても重要だと思います。なぜなら美術かそうでないかを分けている基準は、文学かそうでないかを分ける基準と似ていると思うからです。古典籍が作られた前近代は、そのような基準がなかった時代です。そこに分け入ることで、今より自由な制作が可能になる気がします。
1 新日本古典籍総合データベース(https://kotenseki.nijl.ac.jp/)