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ホームAIR・TIR川上 弘美(小説家) ≫ 「座談会:『伊勢物語』の魅力を語る」

川上 弘美(小説家)

川上弘美さんインタビュー
『三度目の恋』執筆秘話―『伊勢物語』のかかわりについて―

 2018年12月4日に国文学研究資料館で行ったワークショップの席上で、川上さんが『婦人公論』に連載しておられる『三度目の恋』(注1)の執筆についてインタビューさせていただきました。
 ないじぇる芸術共創ラボでのワークショップは、川上さんの創作活動にどのように活かされているのでしょうか。そして『三度目の恋』の重要なモチーフである『伊勢物語』を、川上さんはどのように読み、どのように作品に織り込んでおられるのでしょうか。
 一読者として、またワークショップに参加し続けている古典インタプリタとして川上さんにおたずねし、語ってくださったことを要約して記事にまとめました。

『三度目の恋』あらすじ
現代を生きる女性、原田梨子りこが、生涯のパートナーに選んだ生なる矢やとの愛と苦悩の狭間で、夢の世界に逃避し時空の往還を繰り返し、夢に見る江戸時代・平安時代で在原業平ありわらのなりひららしき人物と出会う。

Q1単純な時代の移し替えや翻案ではなく、女性側の視点で書かれているのはなぜでしょうか。

 むかし、と言いかけたとたんに、ふしぎな気持ちになりました。むかし、それはいったいどのくらいのむかしなのでしょう。わたしはもうさほど若くはありません。けれど、年老いてもいない。
 むかし。それは今のわたしにとっては、たった数年前をさす言葉でもあれば、わたしが生まれたばかりの四十数年前をさす言葉でもあれば、数百年前をさす言葉でもあれば、千年以上前をさす言葉でもある。そう、むかし。むかしのある時、わたしは恋をしたのでした。あのひとに。(『三度目の恋』1話、2018年1月23日号)

A1そもそもの『伊勢物語』は三人称で描かれていますが、業平ではない一人称視点で語ることによって新しい視座を得たいと思ったのです。

Q2高丘さん(注2)に比べて、ナーちゃんの内面的な魅力は具体的には描かれていないように思いますが。

 女たちは、ナーちゃんがそこにいると、心が浮きたつのです。言葉は軽やかになり、体の動きはしなやかになり、知らず知らずのうちに、ナーちゃんの方へと体をかたむけてしまうのです。(『三度目の恋』2話、2月13日号)

A2『伊勢物語』の中の業平は、いわば「男」のよりましとしての存在で、人格を持っていながらも、ある意味でうつろな存在です。業平に対応するナーちゃんも、同じようにうつろな存在として描きたく思っています。うつろの中には、あらゆるものを容れられる可能性があるので。

Q3以前取り組まれた現代語訳(『日本文学全集』)では、和歌の現代語訳に取り組んでおられましたが、散文である『三度目の恋』執筆ではどのように活かされたのでしょうか。

こんかい訳してみて、数行でも濃密な理由が、わかったような気がする。和歌なのである。(『日本文学全集』訳者あとがき)

A3本来歌物語は、歌が主役で散文はそれに奉仕するものです。読む側にも古典の和歌を読む力が要求されますし、現代の言葉で語っている『三度目の恋』では歌をそのような形で使うのは難しいと感じています。
現代語の短歌でなら可能かもしれないので、チャレンジしたい気持ちはあります。特に男女の贈答歌などは面白い気がしていますが、実際のところ、なかなか難しいです・・・。

Q4『伊勢物語』6段目のモチーフがくりかえし使われているように思いますが、何か意味がありますか。

ナーちゃんが恋したのは、副社長の許嫁という女のひとでした。(中略)
それでも二人は、逢いつづけたのです。
そしてついに、そのひととナーちゃんのことは、そのひとの家の者たちの知るところとなりました。となりました。
 そのひとには長兄と次兄がおり、あるときナーちゃんとそのひとが逢っているところに突然やってきて、そのひとを家にひき戻したそうです。(中略)
 以来、ナーちゃんは二度とその女のひとに逢うことはかないませんでした。兄たちは厳重に彼女を見張り、目の届かないところへとゆくことを決して許さなかったのです。(『三度目の恋』7話、4月24日号)

 手習いをさせてもらっているおかげで、現代のわたしが古文を読むことが不得意であるにもかかわらず、夢の中のわたしは、濃紫のおねえさんが手にしている、くずし字で書かれた綴本を――決してやすやすとではありませんが――どうにか読みとめることができるのです。禿であるわたしがいちばん心ひかれる段は、白玉の段でした。のちの二条の后となる女が、業平に盗みだされる、『伊勢物語』の中の六つめのエピソード、すなわち六段にあたる文章です。(『三度目の恋』6話、2018年7月10日号)

 江戸の街は、なんと暗いのだろうと、わたしは驚いていました。
 吉原を囲む塀を乗り越え、水につかっておはぐろどぶを越え、春月と高田は、文字通り手に手をとって、逃げてゆくところです。(中略)
 夜明けまで、二人は風のように走りつづけました。下総の国はすぐ目の前です。夜が、明けようとしていました。
「これは、なあに」
 春月は聞きます。(中略)
「まるで、白玉のよう」
 春月はそう続けました。白玉。それは、真珠のことにほかなりません。草の上には露がいちめんにおりていました。露は、朝の淡い光を受けて、まるで真珠が連なっているように見えたのです。(『三度目の恋』18話、2018年10月9日号)

A4 私自身が大好きな段なので・・・。

参考:『伊勢物語』6段
むかし、をとこありけり。女のえ得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、からうじて盗み出でて、いと暗きに来けり。芥川といふ河を率ていきければ、草の上におきたりける露を、「かれは何ぞ」となむをとこに問ひける。ゆくさき多く夜もふけにければ、鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる蔵に、女をば奥におし入れて、をとこ、弓.ゆみやなぐひを負ひて戸口に居り。はや夜も明けなむと思ひつゝゐたりけるに、鬼はや一口に食ひてけり。「あなや」といひけれど、神鳴るさわぎにえ聞かざりけり。やう〳〵夜も明けゆくに、見れば率て来し女もなし。足ずりをして泣くけどもかひなし。もかひなし。
  白玉かなにぞと人の問ひし時 露と答へて消えなましものを

Q5通子先生がナーちゃんに恋をするエピソードは、『伊勢物語』第63段と重なっているように読めました。川上さんのお気に入りの章段(注3)を利用されたのでしょうか。

 ある日、通子先生は夢をみました。夢の中で、通子先生はナーちゃんと手をつないであるいているのです。つないだナーちゃんの手から通子先生の手へと、生命の息吹のようなものが、脈々と注ぎこまれていることを、夢の中ではっきりと通子先生は感じたのだそうです。
 お正月に三人の息子たちは家族を連れて通子先生のところを尋ねてきた時に、通子先生は自分がみた夢のことを、座興のようにして話してみました。
 長男は、肩をすくめただけでした。次男は、顔をしかめました。二人の妻たちは、くすくす笑いました。三男とその妻だけが、真面目な顔で通子先生の夢の話を聞いてくれたのです。(『三度目の恋』6話、2018年4月10日号)

A5はい、この段には業平のおおらかさがよく出ているので、これも大好きな段です。

参考:『伊勢物語』63段 むかし、世心つける女、いかで心なさけあらむをとこにあひ得てしがなともへど、言ひ出でむもたよりなさに、まことならぬ夢語りをす。子三人を呼びて、かたりけり。二人の子は、なさけなくいらへて止みぬ。三郎なりける子なむ、「よき御男ぞいでこむ」とあはするに、この女、気色いとよし。

Q6梨子が『江戸吉原図聚』を読んでいる場面がありますが、具体的な書名を出された理由はありますか。また、実際に川上さんもこの本を参考になさったのでしょうか。

 あらまあ、なんて厳格なしきたりなんでしょう。『江戸吉原図聚』という文庫本を読みながら、わたしは目を丸くしたものでした。そして実際においらんになってお客をとってみた時に、文庫本に書いてある通りだった場合には、掃除をきれいにしあげた後のような満足感を得ましたし、本とは違うことが起こった時には、それはそれで、誰も知らなかった秘密を発見したような気持ちになって、やはり大いに満足したのでした。
 そうです。この文庫本は、夢と現実の間をゆききするわたしにとって、バイブルのようなものとなっていました。(『三度目の恋』13話、2018年7月24日号)

A6三谷一馬『江戸吉原図聚』(中央公論社、2011年11刷発行)には本当にお世話になりました。
 図がたくさん入っていて、吉原の構造や、食べ物のことなど具体的な生活、出産や病気といった出来事について詳しく知ることが出来るのがありがたかったです。
 梨子が家で調べるとしたら一番手に入りやすいこの本かな、と思い作中に登場させました。

Q7吉原の濃紫が読んでいる『伊勢物語』は、具体的に何かの書物を想定しておられるのでしょうか。

何冊も棚に積んだ綴本のうち、ことにも濃紫のおねえさんが好んで読んでいる本を、その日もおねえさんは熱心に読みふけっていたのです。
 本には、挿絵もありました。おりしも、濃紫のおねえさんが開いていた版面には、男と女が手に手をとって草原を行く絵が描いてありました。
 「あれあれ、この禿はこういう読本がお好きなのかい?」(『三度目の恋』11話、6月26日号)

A7 国文学研究資料館で開催された特別展示『伊勢物語のかがやき―鉄心斎文庫(注4)の世界―』(2017年10月11日~12月16日)で見た、江戸時代の絵入板本をイメージしています。
 展示の解説で、江戸時代でもトップクラスのロングセラーが『伊勢物語』だと聞いて驚き、難しいものから絵がたくさんあるものまで、様々な種類の『伊勢物語』があるのを面白く感じました。遊女である濃紫が読むのは、そういった様々な版本のなかで絵入のものではないかと考えて書きました。

Q8国文研からのサポートが創作の上で、ストーリー展開などに影響した部分はありますか。

A8(昔のことのなかで)一番分からないのは生活の細部で、それが分かった時、小説が書けるという手ごたえを感じました。ワークショップでは、食事や出産の様子について具体的なことを教えていただいたのがありがたく、先生がたと共作をしているような気持ちでいます。
 小説を書くのは孤独な作業なのですが、ワークショップをとおして色々な声が自分の中に入ってくるのは初めての体験なので、今までとは全く違う書き方になっていて面白く感じています。
 コラボレーションによる新しい小説の書き方を発見して嬉しく思っています。

以上


文責:有澤知世(国文学研究資料館特任助教)
引用:『三度目の恋』(『婦人公論』中公論社、2018年1月~)
川上弘美訳『伊勢物語』(池澤夏樹編『日本文学全集』3、河出書房新社、2016年)
『伊勢物語』(大津有一校注、岩波書店、2008年第56刷発行)

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