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ないじぇるリポート

ないじぇる鼎談に参加してー『夢酔独言』のあやしい魅力

清水正之(聖学院大学学長)

 今回の勝小吉の『夢酔独言』めぐる鼎談は、実に楽しい催しであった。楽しいとは、私自身実に多くの発見があったし、またあらためてその作品の魅力を考えさせられたからでもあった。

 毛丹青先生が、準備の段階で提起した問いが、良き刺激となった。所謂主流の思想史からみて、この作品は非主流といえるが、主流非主流の定義はなにか、という問いかけに始まり、この作品の出版文化史的な視点からはどうみえるか、などそれ自体興味深いものであった。

 まずは主流の思想史からみて、どう位置付くかということである。日本思想史の主流とは、親鸞や本居宣長あるいは伊藤仁斎等々、一般的に思想史を飾る人物たちがいるが、その意味では勝のこの作品はどのような位置にあるかを毛先生は問うたのであろう。規矩をはみ出た作品で、主流の思想作品としては論じられてこなかったのではないか、というのが毛先生の問題提起の真意であったと思う。

 思想史的視点ということから少しかんがえてみた。勝小吉は決して知識人ではない。幼少期から喧嘩にかけくれ、一時湯島聖堂系統の師についたが、「大学」を少々読んですぐに止めてしまったこと、馬術や剣道の稽古にもっぱら関心があったこと、14歳で伊勢参りに出奔し、乞食同然の姿で旅に出て、もどっても吉原通いをかさね、喧嘩、道場破りに精を出す。非行がこうじて家の座敷牢に取り込められ、そのときに少し手習いをしたと書いている。座敷牢を出てからも不行跡はつづき、その後も武士だけでなく市井の怪しい人物をつきあい、37歳で隠居する。

 破天荒の生き方をつづけるが、他方で、作品では、譜代旗本の家のものだという自己意識は強烈である。譜代・御家人という位置にあるものの自己意識を描いた作品には、たとえば『三河物語』(大久保彦左衛門)等がのこるし、それに通じるものがある。親族の地方官職就任に伴って同行し、いわば武士の職分の実務に精通したらしい様子や、金銭の賃貸に関わる実務等に習熟していた様子が窺える。同時にそれにくわえ、徳川後期の特徴というべきか、一層町場の人間に近い感性をもっているといえる。町人との交流、庶民の民間信仰に単なる関心を超えて、あえて入信するような積極性、あるいはまた若いときの放浪の旅の際の身のやつしかた、乞食とさえ偏見無く付き合うその人柄を、わたしは「境界の人」と名付けてみた。

 思想史の主流と無理にむすびつけるなら、町人層の生活感覚、人情を重視する伊藤仁斎や本居宣長など、商人階級出身の思想家に通じるものはあると思う。それに対して、勝小吉は、人情そのものに徹しきっている点で異質でもある。武士と農民町民の「境界」を軽々とこえるところで、敢えて言えば自らを客観視し、「天理に照らして」「悪輩」だとして自己開示するところに一種の思想性があるといえよう。

 鼎談の問題提起で大変興味深かったのは入口敦志先生の問題提起であった。この『夢酔独言』が、「題名を明記する、序を備える、著書名を明記する」など、完璧に漢籍の規範に添った作りになっているということであった。単なる日記や記録・備忘録ではなく、出版を意識した著述としてのまとまりを意識したものだというのである。

 息子のちの勝海舟への動物的ともいえる愛情のふかさなど、いわば生の人間の原質ともいえるものを垣間見させてくれるが、一方で、「天理」にわが身を照らす、その意味での規範性が垣間見えることに通じて興味深い。

 金策にいった播磨で、閑なときは、付き人に在所のものに「大学」を講義させる場面がある。座敷牢の時代の手習いと読書体験を、かれのいう「天理」とただちに結び付けることはできないだろう。しかし、「天理」にわが身を照らす、というこの作品の底流に流れる基調は、つねに何者かに見られているという江戸の庶民層の感覚がうかがえるかと思う。

 金銭も含めた喜捨のやりとりには、循環型の社会のありよう、相互扶助が日常のことであった人間の有り様がうかがわれる点もこの作品の魅力であろう。小吉本人については、すべてに<過剰>な人間であるが、決して、<強欲>ではない。背後うかがえる徳川後期の社会を背に、本来なら文字では捉えがたい、非文字文化ともいうべき人間の原質を、文字化しえたというべき、この作品のたくまぬ個性豊かな完成度に、あらためて感銘を受けた次第である。

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