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―AIR・川上弘美さんとのWSから(1)―

 現代を生きる女性・原田梨子(りこ)が、生涯のパートナーに選んだ生矢(なるや)への愛と苦悩の狭間で、夢の世界に逃避し時空の往還を繰り返す物語、『三度目の恋』。作家・川上弘美さんの手によって紡がれてきたこの連載小説は、2019年3月26日の雑誌『婦人公論』(中央公論新社)において、すでに第28回を迎えています。

 川上さんは、国文学研究資料館が文化庁の委託を受けて行っている事業「ないじぇる芸術共創ラボ」に、AIR(アーティスト・イン・レジデンス)として2017年より参加されています。『三度目の恋』は、同事業の目指す古典籍活用の一環として創られている作品であり、在原業平(ありわらのなりひら)らしき男の恋愛遍歴を綴った、平安時代を代表する物語の一つ『伊勢物語』に、大きな源泉を求めています。

 2018年度より国文学研究資料館へ着任した私は、平安文学を専門とする関係から、AIRの川上さんを招いて行われたワークショップへこれまでに2回参加し、平安時代の恋愛や生活事情について若干の知見を提供してきました。

 ワークショップへの参加にあたっては、事前に川上さんからのご質問をいただいており、その内容に沿った参考資料を用意して臨むようにしています。川上さんのご関心は、物語や日記などには描かれない生活の細部へ及んでいることが多く、それらに「書かれていること」を日頃追究している私にとって、盲点でありしかも重要なことを示唆されることの連続です。ご質問を受けて古典を読み直すたび、平安貴族の生活の分かっていること・分からないことが腑分けされ、その都度に蒙を啓かれる、川上さんとのワークショップはそうした貴重な機会となっています。

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 これまで寄せられたご質問の中で、頭を悩ませたものの一つに、「平安時代の既婚の女性貴族の一日はどのようなものだったか」というものがありました。特に川上さんは「何もしていない時の生活」にご関心を向けられていましたが、物語、あるいはそれ以上に貴族の生活に密着した女流日記を繙いてみても、小説執筆に際して求められる「当たり前の生活」についての情報はことごとく省かれており、「たとえ些細であってもイベントがなければストーリーは生まれない」ことを思い知らされます。

 一方、当時の男性貴族に関しては、官人としての生活をめぐる記録が残っていることから、従来の研究文献はそこから女性の生活を類推しています。日向一雅「女性貴族の一日」(注1)によれば、既婚女性の生活は日の出前に始まり、「起床とそれに続く夫や息子の出仕や外出の世話が、一日の最初の節目」でした。早朝は粥程度の軽食で済まし、夫が午前の出仕を終えて帰宅する午前10時?正午頃に、おそらくは夫婦揃って一度目の食事、そののち午後4時頃に二度目の食事を摂り、通常は日暮れからほどなく床に就いたと考えられています。藤原道綱母が、夫・兼家の同母妹である藤原登子(とうし)との歌の贈答を夜通し続け、『蜻蛉日記』に「……となむ、夜一夜いひける」(注2)と記したのは、それが非日常だったゆえと言えましょう。

 こうした一日の中で、既婚女性の重要な日課として行われたと考えられるのが、夫の衣服の裁縫・染色です。上記『蜻蛉日記』にも、道綱母が兼家から裁縫の依頼を受ける場面が散見するように、衣服周りは妻の仕事として特徴的に描かれている節があります。その理由について、岩坪健「女房の身分と役割」(注3)は「男性の装いは、結婚後は花嫁の実家がすべて用意するのが習慣であった。……裁縫・染色の未熟さは、離縁の一因になる」と指摘しています。そのような事情を踏まえると、たとえば『落窪物語』において落窪の姫君が継母から裁縫の仕事を押しつけられているのは、単に雑用を任されているのでなく、継母自身の役目を特に強いられていることになり、継母の陰険さがいっそう際立つことにもなりそうです。

 既婚女性のその他の日課として、さきの「女性貴族の一日」は「庭の草花の手入れ、物詣で、物見、弾琴、絵を描くこと、物語をみること、手習い、詠歌、勤行、物思い、日記すること」などを列挙していますが、多くは趣味・遊興の類です。今日でいう「家事」の実態が見えづらいのは、それが当時は女房(侍女)の役割だったためでしょう。川上さんの『三度目の恋』はそうした実態を汲み取り、第22回から女房視点の物語へと没入しています。男性社会に身を委ね、消閑にいそしむしかなかった女性貴族の日常が、平安文学と同じ女房の目線からどう切り取られるのか、一読者としても次の展開に興味をかき立てられます。

(国文学研究資料館特任助教・岡田貴憲)


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