ないじぇるリポート
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尾形光琳「佐野渡蒔絵硯箱」を読む
小山順子(京都女子大学教授)
2022年3月11日、ないじぇる芸術共創ラボのワークショップで、漆芸家・染谷聡氏とご一緒した。和歌の研究者として美術・工芸品の意匠と和歌の関係について話をしてほしいとの依頼だったので、当日はパワーポイントを使用して、屏風絵や工芸品などのいくつかの例を取り上げ、和歌が図像にどのように関わっているかを読み解きながら解説した。
その中で、私自身にとっても大きな驚きや発見があったのが、尾形光琳「佐野渡蒔絵硯箱」だった。この蒔絵に関して話をしたことと、席上で出された意見について報告したい。

尾形光琳「佐野渡蒔絵硯箱」は、五島美術館に所蔵されている。馬上の男が右袖を頭上にかざすこの図は、藤原定家の次の一首を踏まえたものである。
現代語訳は「馬をとめて袖に積もった雪を払う物蔭もない、佐野の渡しの雪の夕暮れ」(久保田淳『新古今和歌集
上』角川ソフィア文庫、2007年)。この歌は定家の代表歌であり、さらには本歌取りの手本としてもしばしば取り上げられる。「さのの渡り」は紀伊国の歌枕で、現在の和歌山県新宮市三輪崎町または佐野町の地名であると考えられている。旅人が馬に乗っていて雪に降られるが、袖に積もった雪を振り払う物陰もない、という場面だ。
さて、この歌には本歌がある。本歌は『万葉集』の次の歌である。

定家が取ったのは「さのの渡り」という地名だけだが、旅人が天候の変化に苦しんでいる点も同じで、本歌取りと考えてよい。本歌の意味は「苦しいことに雨が降ってくるよ。三輪の崎の狭野の渡し場に我が家も無いのに」(『萬葉集(一)』岩波文庫、2013年)。旅人が雨に降られ、狭野の渡し場には家も無いのに―つまり、雨宿りしてホッと落ち着けるような場所も無いのに、と嘆いている。それを定家は、雪に降られても袖をふり払う物陰も無い、と変えた。雨宿りする家どころか、木陰のようなわずかな物陰すらない、というのは、本歌よりいっそう苦しい状況だ。
定家が詠んでいる情景を想像してみよう。季節は冬で、時間帯は夕暮時。冬の夕暮時は、空の変化を追うまでもなく、一気に暗くなってしまう。辺り一面が暗くなるけれど、雪がわずかな光を反射する、そういった明暗・白黒の中を、馬に乗った旅人がいる。辺りを見渡しても、袖に降り積もった雪を払うほどの物陰もない、周りに木も家も何も無い中を旅する、孤独な旅人の姿が浮かび上がる。
加えて旅人にとって「夕暮」というのはどういう時間か、という点が重要である。夜が近づき、そろそろ今夜の宿を探さなくてはならない。疲労もたまり、空腹も覚えているだろう。しかし「袖打ち払ふ陰も無し」―家どころか物陰すらない、雪の降る中、今夜の寝床はどうすればよいのだろうか。旅人が感じる苦しさは、この瞬間に雪に降られているというだけではない。これからどうすればよいか、という不安も読み取ることができる。
本歌には、季節も時間帯も示されていない。定家の歌は第五句「雪の夕暮」で季節と時間を示すことで、旅人の直面する状況を提示する。しかし主人公の苦境や心情は、詞で直接表現されず、淡々とした情景描写のに読者が想像で導き出すものとなっている。

以上を説明し、光琳の蒔絵を見ると、右袖を頭にかざすというポーズが、「袖うち払ふひまもなし」に対応して、雪を防ぐものであることが理解できる。また、馬は和歌の「駒とめて…」から旅人が馬に乗っていること、さらに画面中央を横断する流水模様は、「さのの渡り」すなわち水辺にいることを示すものである。
このように、和歌に詠まれた「駒」「袖」「さのの渡り」は、それぞれ蒔絵の中でも重要なモチーフとして描かれている。しかし、和歌の中で季節を表し、さらには情景面でも重要な役割を果たす「雪」はここには描かれていない。それは、和歌を踏まえて蒔絵を見る人が想像するしかないのだろうか。
筆者は、男の着る袴の夜光貝をはめ込んだ白い八角形の模様が、雪なのではないかと考えた。金と黒で描かれる蒔絵の中央にひときわ目立つ白い模様は、単なる装飾ではなく、和歌の重要な要素である「雪」を表現するものだと考えたのである。

さて、このような説明を述べた後、染谷聡氏と木越俊介氏(国文学研究資料館准教授)から、雪はさらに、男の着る狩衣にも描かれているのではないか、という指摘があった。狩衣の四菱の中には、貝がはめ込まれたものがある。四菱のうちの一つ二つ、または四つすべてと、ランダムに貝が散りばめられているのである。しかも貝がはめられた菱は、右袖から左肩に掛けての部分だけ。この螺鈿が、袖に降りかかる雪を表現しているのではないかというのが、木越・染谷両氏の指摘だった。
この指摘には、まさに目を開かされる思いがした。そのような視点から見ると、所々できらめく螺鈿は、雪の輝きであるとしか思えない。狩衣の模様に隠すような密やかな形で、定家歌に詠まれた雪が表現されている。螺鈿の美しさに気づいた時、光琳蒔絵の意匠の巧みさに、文字通り唸らされたのだった。

もう一点、黄昱氏(国文学研究資料館特任助教)から染谷氏に対して出された質問が、中央を横断する流水の不安定な形は、何か意図があってのものだろうか、というものだった。黄氏が述べたのは、筆者の解説を踏まえ、それが旅人の不安を表現する可能性はないか、という意見だった。染谷氏は、描こうと思えば整った流水紋の方が描きやすいものだ、このような整わない形は、確かに何らかの意図があるのだろうというご意見だった。

(MOA 美術館)
整った流水紋といえば、光琳には、蒔絵ではないが「紅白梅図屏風」がある。重なる曲線で描かれた流水は華やかで、リズムがある。こうした流水に比べると、「佐野渡蒔絵硯箱」の流水は、線の太さも曲がり方も不定かつ歪である。
流水は光琳にとって重要なモチーフだった。流水を主題とした「流水図乱箱」(大和文華館蔵・個人蔵)という作品もある。「佐野渡蒔絵硯箱」の流水について、山根有三氏は「異様な形の水流」「特異な流水の表現」「装飾化して異様さを強調した」と指摘する(山根有三「光琳晩年の蒔絵について」、『光琳研究二』〈中央公論美術出版、1997年〉所収)。山根は「佐野渡の雪よりも、異様な水流に直面した馬と人物の驚き、その緊迫感の表現を試みた」意匠であると指摘している。確かに水流を前に脚を止める馬の動きや緊張感が感じられ、それはこの作品の大きな特徴である。加えて筆者には、馬が脚を止めざるをえないこの「異様」で「特異」な水流の表現は、雪が降る荒天を反映したものであると思われる。そのように見れば、旅人が直面している苦境を表現するものとして、この歪な流水の模様も働いているのではないだろうか。
染谷氏とのワークショップでは、染谷氏から漆芸の技法面についても様々なお話を伺うことができ、和歌と工芸品の意匠についての新たな発見が様々にあった。本歌取りを研究していると、本歌を踏まえて読解する時、和歌に散りばめられたそれぞれの詞が、辞書的な意味にとどまらない、文化的・文学的な背景を抱え込んだものとして立ち上がってくる。作者の凝らした細かな作為や意図を拾い上げてゆくのが、解釈の面白さである。一読しただけでは見過ごしてしまうような細部が、実は作品の魅力を形成する重要な要素であることも、しばしばある。
工芸品の意匠も、同じ側面がある。踏まえられた和歌を知っている人だけが分かる意味が、そこにはこめられている。「佐野渡蒔絵硯箱」は、その名に、定家歌を踏まえたことが示されているのだから、ポーズや中央を横断する流水が何を意味するかは、定家歌と対応させればただちに了解できる。しかし、そうした大胆な構図や表現だけでなく、細かな部分に注目すれば、「佐野渡蒔絵硯箱」が持つ繊細な表現の巧みさにも気づかされるのだ。「佐野渡蒔絵硯箱」は、大学の授業で定家歌を取り上げる際、後世への影響例として取り上げてきたし、美術展で実物を見たこともある。ワークショップで取り上げるにあたり、改めて構図やそれぞれのモチーフについて、考えをめぐらせもした。それでもなお、細部には目が及んでいなかったのだと痛感される。光琳の凝らした工夫は、謎かけのように我々に「読解」を求めているのだろう。ワークショップの席上で指摘されて初めて気づいた狩衣の螺鈿の輝きは、筆者に「発見」の驚きと感動をもたらしてくれたのである。