ないじぇるリポート
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令和二年、国文研閲覧室の山東京伝
神林尚子(鶴見大学准教授)
山東京伝の黄表紙をテーマに、書き下ろしの新作戯曲を上演する――特定の作品を原作とした劇化でも、ましてや単なる解説でもなく、黄表紙という文芸自体を演劇化するという構想は、近世文学に関心を持つ人々には、一種特別な訴求力を持つのではなかろうか。まずはその発想に驚き、「いかにして」と想像をめぐらし、どんな世界が展開されるのか、固唾をのんで見守りたくなる。
劇作家・演出家・俳優の長塚圭史氏は、国文学研究資料館(以下、国文研)の「ないじぇる芸術共創ラボ」の一環として、2年半にわたってワークショップを重ねてきた。2020年8月、その成果が、朗読劇「KYODEN’S WOMAN~アナクロニズムの夢~」として上演をみた。稿者もそのゲネプロ観覧の栄に浴し、ありがたや、と立川の方を伏し拝んでいたら、なんと観覧記の執筆を拝命、僭越の至りではあるが、観劇の僥倖を得た御礼になりと駄文を連ねる次第である。
本来ならば2月末に、会場の国文研閲覧室を文字通りに駆け回る、観客参加型の演劇として上演されるはずであった。しかし病魔蔓延でやむなく延期、かつ出演者が閲覧室に着座して行う朗読劇の形となった。原構想と違う形態になったことは惜しまれるが、病禍を越えてめでたく上演が実現されたことを、まずは心から言祝ぎたい。会場設営や観客誘導なども、感染症対策に十分に配慮されていて、関係各位の御尽力に頭が下がる。
作品の舞台は他ならぬ国文研の閲覧室、山東京伝の黄表紙を耽読する女性研究者の前に、京伝らしき人物が現れる。艶二郎ならぬアダキ氏は、最近どこかで聞いたような艶聞を披露。勤勉な閲覧者かと思われた若者は、いつしか京伝の弟・京山として語り始め、曲亭馬琴と罵り合う。片隅で黙って微笑むのは、京伝の後妻・百合であるらしい――。丁や題簽といった書誌学用語も次々飛び出し、紙の手触りや重さ、形態・作風から作者たちの人間関係まで、黄表紙という文芸を丸ごと劇化しようとする意志に圧倒された。シニカルな自己言及性は、長塚氏の持ち味とも相通じ、黄表紙の「現代性」を意識させることにもなった。
冒頭、語り手役の役者が、台詞なのか「素」なのか判然としない口調で観客に語りかける。新型ウイルスの猛威、公演延期への戸惑い、「これ全部セリフなんですけど、いや本当にセリフなんですけど、ってところもこれセリフなんですね」と、際限なく繰り返される入れ子構造の語り。ついでのように「どちらからいらしたんですか?」と観客に尋ね、肉声のようなその口調で、いつの間にか劇は始まっていく。日常と地続きに荒唐無稽な世界を立ち上げ、時事ネタや世情への寸評を織り交ぜるのは、黄表紙得意の筆法でもあるが、現代演劇との親和性に驚かされた。上方言葉を操る山東京伝(!)の登場に最初は度肝を抜かれるが、劇が進むにつれ、彼のぼやきがいかにも「らしく」思われてくる。作業着を着た関西弁の京伝、という存在に活き活きとした説得力を持たせるのは、長塚氏と役者陣の手腕はもちろん、国文研の研究者たちとワークショップを積み重ねてきた歳月の重みであろう。
長塚氏率いる俳優陣とのワークショップの模様は、「古典インタプリタ」の大役を華麗にこなす有澤知世氏により、国文研のHPで折々に発信されてきた。公演当日に配布された大充実のパンフレットにもその模様が載せられ、2年以上にわたる共創の足跡が偲ばれた。長塚氏のワークショップは、研究者の側からすると、非常に新鮮なアプローチの連続である。たとえば、黄表紙を手にとって読む動作に焦点を絞った回では、和本の手応え、丁をめくる手つきなど、閲覧時の所作に光をあてる。あるいは、板木の彫刻から製本まで、職人の動作を逐一辿る回。研究者への「囲み取材」の回では、現代の読者に京伝作品の魅力を伝えたいと願う有澤氏に対して、誰に対して?どのように?そもそもどうして?と問いをたたみかけ、研究者の内面に切り込んだという。それらの蓄積が、新作戯曲の随所に活かされ、一つの現代劇に結実していた。
日頃閲覧室の恩恵に与っている身としては、国文研への寸評にも笑いを誘われた。時に皮肉を含む寸言も、国文研諸氏との信頼関係あってこそであろう。紙焼きやマイクロリーダーが並ぶ閲覧室の、一種謎めいた雰囲気も、言われてみれば、と穴を突かれた思いである。その閲覧室を劇場として使用するという当初の構想も非常に魅力的で、いずれぜひ実現して頂きたいものと夢想している。朗読劇の当日も、黄表紙の一節や挿絵の一部をあしらった紗幕が書棚に飾られ、劇中使われるはずだった大道具が、参考出陳の如く会場の片隅に姿を見せていた。あの道具たちがどう使われる予定だったのか、想像するだに楽しみは尽きない。閲覧室の「奥の扉」が異界に向かって開く日がまた訪れることを、心より願うものである。