ないじぇるトランスレーショントーク
鼎談 「江戸の境界を生きた人と書物の力──勝小吉『夢酔独言』から扉をひらく」
-
■ フルバージョン(日本語)
-
■ ダイジェスト版(日本語)
おれほどの馬鹿な者は世の中にもあんまり有るまいとおもふ
「おれほどの馬鹿な者は世の中にもあんまり有るまいとおもふ」から始まる『夢酔独言』は、勝海舟の父、勝小吉(1802~1850年)が己の無頼な人生を振り返り、その放蕩不羈な生涯を痛快なエピソードとともに、生き生きとした筆致で語られた回想録です。旗本の身分でありながらも職を得られず、江戸有数の剣客にして、刀剣ブローカーを稼業とし、本所・浅草界隈の顔役でもあった小吉は、まさに色んな「境界」を行き来し、幕末を生き抜いた人物です。
『夢酔独言』のあの破天荒な表現スタイルはどこから生まれたのか?
作者小吉の生き方は思想的にどのような流れまで遡れるのか?
翻訳家の毛丹青氏は、小吉の自由奔放な生き方に魅了され、『夢酔独言』を中国語に翻訳している中、この二つの疑問がずっと脳内から離れなかったといいます。
この本の特異性はまず、漢籍板本(写本に対して、近代以前に印刷刊行された中国の書物。)の形式を踏襲しているところに見られるとし、内容もさることながら、本の形を含めて破天荒をさらに超えた破天荒さを感じ取ることができる、と語る入口敦志氏(当館副館長)。
非文字文化をあえて文字化したという意味で、『夢酔独言』は主流的な思想史からこぼれ落ちる、江戸時代の庶民の感覚を汲み取ることのできる貴重な資料である、と指摘する清水正之氏(聖学院大学学長)。
毛氏が提起した、「非主流的思想書」として『夢酔独言』を位置付けられるのではないかという問題意識をめぐって、研究者が思想史、書物文化史の視点で迫り、『夢酔独言』が書かれ、読み継がれてきたそのエネルギー源を読み解いていきます。
出演者
清水 正之(しみず まさゆき)氏(聖学院大学学長)
1947年生まれ。東京大学文学部(倫理学)卒業、同大学院博士課程単位取得退学。博士(人文科学)。三重大学・東京理科大学をへて聖学院大学人文学部教授。倫理学・日本倫理思想史専攻。『日本思想全史』(単著・筑摩書房、台湾訳・中国訳)『日本の思想』(単著・放送大学教育振興会)『国学の他者像─誠実と虚偽』(単著・ぺりかん社)『岩波講座 日本の思想 第四巻』(共著、岩波書店)、『思想間の対話─東アジアに おける哲学の受容と展開』(共著、法政大学出版会)『「おのずから」と「みずから」のあわい』(共著、東大出版会)等。
毛 丹青(マオタンセイ)氏(神戸国際大学教授、国文学研究資料館トランスレーター・イン・レジデンス)
1962年、北京生まれ。北京大学卒業後、中国社会科学院哲学研究所に入所。25歳で三重大学に留学し、後に商社勤務などを経て執筆活動を開始。2000年、日本での生活体験を綴った『にっぽん虫の眼紀行』(法藏館・文藝春秋〈文春文庫〉)で第28回神戸っ子ブルーメール文学賞を受賞。中国語の著作も多く、日中双方の文壇で活躍している。中国語翻訳書には『歎異抄』や『出家とその弟子』など多数。2017年、神戸市文化奨励賞を受賞。専門は日本社会文化論、現代中国文学とメディア。
入口 敦志(いりぐち あつし)氏(国文学研究資料館副館長)
1962年生まれ。九州大学大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)。九州大学助手を経て、1995年より国文学研究資料館勤務。日本近世文学専攻。特に江戸時代前期の学芸につき、出版などの書物文化をとおして考究する。著書に『武家権力と文学 柳営連歌、『帝鑑図説』』(ぺりかん社、2013年)、『漢字、カタカナ、ひらがな 表記の思想』(平凡社、2016年)、共著に『日本古典と感染症』ロバート キャンベル編(KADOKAWA、2021年)がある。
司会:黄昱(国文学研究資料館特任助教、ないじぇる芸術共創ラボ古典インタプリタ)
古典籍とクリエイターの橋渡し役として、アーティスト・イン・レジデンス(AIR)、トランスレーター・イン・レジデンス(TIR)と研究者の共創の場をサポートする。