2023.07.18

古活字版とは?

(Ⅰ)活字による印刷

 近世前期出版の幕開けは、活字印刷によって告げられる。活字印刷の技術は、ほぼ時を同じくして、西欧からと朝鮮半島から伝わった。

 西欧からは、天正十八年(1590)に導入される。イエズス会によるキリスト教布教のための教化書などの印刷を目的としたもの。ローマ字によるものと、漢字ひらがな交じりの国字のものがあるが、いずれも活字を用いたもので、それまでの日本にはない技術であった。近世前期に盛行する古活字版、特に仮名の活字によるものに与えた影響は少なくないと思われるが、キリスト教の禁教により、原本や資料なども失われ、詳しいことはわかならくなってしまっている。これを「キリシタン版」と言い、残存数もわずかに32点で、貴重なもの。

 朝鮮からは、文禄の役の時、朝鮮半島からもたらされた。最初は朝廷を中心に活字を用いた印刷を行う。これを「勅版」と言う。また、この技術によって印刷された書籍を「古活字版」と呼び、17世紀の中葉まで盛行する。

 勅版 天皇の命により、活字を用いて印刷された本。以下の三種類がある

  • 文禄勅版、後陽成天皇 最初の勅版。文禄二年(1593)閏九月に『古文孝経』を刊行したことが、『時慶卿記』に記録されているが、現物は確認されていない。
  • 慶長勅版、後陽成天皇 慶長二年(1597)『錦繍段』『勧学文』、同四年(1599)『日本書紀神代巻』『古文孝経』『大学』『中庸』『論語』『孟子』『職原抄』、同八年(1603)『白氏五妃曲』、『長恨歌琵琶行』。
  • 元和勅版、後水尾天皇 元和七年(1621)『皇朝事宝類苑』。

 勅版の意義は、その書目を見てもわかるとおり、中世以前の出版の中心であった仏書が含まれていないことである。『論語』などの外典が中心で、更にはこれまで写本のみで行われ刊行されることがなかった『日本書紀』や『職原抄』などの国書が含まれていることは特筆すべき点。ただし、すべて漢字のみのものでひらがなは用いられていない。

 また、勅版は元和で終結し、以後江戸時代を通じて朝廷は出版に携わることがなかったことも注意すべきことである。

参考:鈴鹿三七『勅版集影』臨川書店、1986年。


 伏見版 徳川家康が伏見円光寺の閑室元佶に木活字を与えて刊行させたもの。慶長四年(1599)の『孔子家語』『六韜』『三略』を初めとして、『貞観政要』『吾妻鏡』『周易』などがあり、慶長十一年(1606)『七書』の刊行をもって終結する。

 武家らしく『六韜』『三略』などの兵法書、また政治の要諦を語る『貞観政要』などが含まれていることが特徴である。出版の始まった慶長四年は、豊臣秀吉が没した翌年であり、家康の政治的な動きを示すものと考えられよう。これに対して、豊臣氏は出版には積極的に関わらず、慶長十一年に秀頼が『帝鑑図説』を唯一刊行しただけであった。これを「秀頼版」と呼んでいる。

 駿河版 家康が駿河に退隠後、以心崇伝と林羅山に命じて、銅活字で刊行した。元和元年(1615)『大蔵一覧集』と翌年の『群書治要』がある。

 伏見版、駿河版という家康の出版事業は、こののち幕府「官版」として断続的に受け継がれていき、綱吉や吉宗による出版もある。江戸中期以後「官版」と言えば、昌平坂学問所の刊行物に限定されていく。

 要法寺版・宗存版・天海版 寺院においても、古活字の技術を用いた出版が行われる。その最も早い例が、京都要法寺で開板された「要法寺版」である。慶長五年(1600)『法華経伝記』、翌年『倭漢皇統編年合運図』などがあり、慶長十年(1605)には『日本書紀神代巻』『沙石集』『太平記』を刊行している。

 慶長十七年(1612)宗存の発願と勧進によって、慶長十八年から寛永初年までに刊行された一切経がある。木活字を用いて刷られたもので、これを「宗存版」と呼んでいる。また、天海の発願により、寛永十四年(1637)から慶安元年(1648)にかけて同じく木活字によって刊行された一切経がある。これが「天海版」である。天海版は、徳川家光の援助によって刊行された。

 ここで略述した古活字本は、『沙石集』『太平記』がカタカナを交える以外ほとんどが漢字のみを使用したものである。公的な権力や寺院が、ひらがなを交えた書籍を出版していないことは、注意しておきたい。次に述べるように、漢字とひらがなという使用文字種の違いは、単に表記の問題にとどまらず、学問における身分や格式の問題とも密接に関わっていると考えられる。

参考:川瀬一馬『増補版 古活字版之研究』ABAJ、1967年。

(Ⅱ)民間での出版

 以上、古活字版の内、主に権力や寺院によって刊行された〈漢字を主体とした〉書籍を見てきた。ここからは、ひらがなを主体とする出版物について考えてみることとするが、その出版者については、わからない点が多い。はっきりと○○版と言えるようなものは「嵯峨本」だけだと言ってもよい。その嵯峨本にしても、現在に至るまで、明解な定義がなされていないのが現状である。

 嵯峨本 「慶長十三年(一六〇八)刊『伊勢物語』を魁とする、料紙・装訂ともに美術工芸的な意匠で彩られた、本阿弥光悦流書体およびそれと類似の書風を版下にもつ一群一類の版本をいう」。これは『日本古典籍書誌学辞典』「嵯峨本」の岡崎久司氏による項の冒頭で、基本的な定義はこれに尽くされている。「光悦本」「角倉本」といった呼称も内包される。本阿弥光悦や角倉了以がどの程度関わっていたかについては、明らかになっていない。特徴は、『源氏物語』『方丈記』「観世流謡本」などの国書が大半で、ひらがな漢字交じりの木活字による印刷であり、また、『伊勢物語』『扇の草紙』など整版による挿絵が入ったものがあること。

参考:和田維四郎『嵯峨本考』、1916年。

   川瀬一馬『嵯峨本図考』一誠堂書店、1932年。


 その他 ひらがな漢字交じりの古活字版の早い例として注目すべきは『大坂物語』である。題名のとおり、大坂冬・夏の陣の速報として出版された。冬の陣直後に上巻が出版され、夏の陣の後に下巻を付して上下二巻の構成になったものらしい。出版されたルポルタージュとしては東アジアでも最初期のものである。その後、明暦の大火に取材した『むさしあぶみ』、寛文の近畿大地震に取材した『かなめいし』などのルポルタージュが出版される。他にも『犬枕』『恨の介』『竹斎』などの当代の風俗を活写した文学作品が古活字版として出版されている。また、『江戸名所記』『東海道名所記』のような、名所案内記も出版されるなど、泰平の世相を象徴するような出版物も現れる。これらは「仮名草子」と呼ばれるもので、当代の社会情勢を反映した時事性の強い作品が多い。また、ひらがなで書かれた作品であっても著者の名前を明記するようになり、浅井了意や朝山意林庵などといった民間の著述者が現れてきたことも大きな特徴である。これまでの伝統文学にはなかった新しい文学作品があらわれてきたところに、新しいメディアとしての古活字版の特徴がよく現れていると考えられ、これらの特徴は18世紀以後の江戸文学の萌芽的な要素と言うことができる。


*以上、入口敦志「【講義8】江戸の出版文化」(2022年度古典籍講習会テキスト)より摘記。