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[No. 68 メッセージ]「日本文学」の枠組みを広げよ

Robert Huey(国文学研究資料館運営会議委員、ハワイ大学マノア校名誉教授)

百人一首を参考するマイダ(元前田かねの和歌二首)

国文学研究資料館(以下「国文研」)は、ウェブサイトにおいて自らのミッションを次のように述べている―「先進的な共同研究を推進する日本文学の基盤的な総合研究機関です」。これをどう解釈するのかを少し考察したい。

まず「日本文学」の範囲とはどこまでかという問題が出てくる。2023年に国文研の運営会議で共有された文書には「日本文学」の中から画像データ化する対象とは「歴史的典籍(奈良時代以降、江戸時代末までに日本人によって著述された書物)」であると示されている。
この見方は伝統的な「文学=純文学」という考えから少し離れているが収集方針としては美的価値観より歴史的な重要性を中心に考えればよい。そして「日本」と言う概念に対しても再検討が必要だ。20年ほど前に、とあるアメリカ人類学者が「単一な日本」という神話に対して指導学生に “There is no Japan, only Japans.” と発言した。
つまり「日本」には多様な文化があり、それらすべてを総称して「日本文化」と呼ぶことができる、という意味である。「日本文学」も同じように考えればよいと思う。日本文学は「祖語」で女流文学、沖縄文学などは「方言」だと考えるより、女流文学、沖縄文学などは日本の文学の種類であるという見解が国文研にとってふさわしいのではないか。

「日本文学」へのアプローチをより広くするためには二つの要因が認められる。その一つは日本のみならず世界中の図書館や博物館が所蔵している古典籍が驚異的な速さでデジタル化され、学者や学生がすぐに入手可能であること。
国文研がその「書物」を収集し、国書データベースというバーチャル図書館を発展させた事は研究に多大なるインパクトをもたらした。要するに物質的な書物だけではなく、世界中の日本語で記された書物が国書データベースを通してオンライン上で一箇所に集まっている。
言い換えれば、地球の隅々にまで分散した日本の書物が国文研の尽力とインターネットの活用により、ようやく日本に「帰還」したのである。

もう一点は、上記に示された運営会議の書類に記載された「日本人によって著述された書物」と言う文言に対する問題である。
まず「日本人」の定義とは何であろうか。植民地時代を考慮すると定義が曖昧になるため、ひとまずその点は留保しておくが、そもそもあの文書において主語はなぜ「日本人」に限定されているのか。
例えば、17世紀から19世紀の前半までの琉球王国の作家の例を考えてみたい。いうまでもなく、今日沖縄は日本の県の一つであるが昔は独立した王国であった。薩摩藩による規制下の琉球人は自分の国が大和に属しているとは思わなかったであろう。しかし琉球人が多様な動機により日本語の文語体を用いて優れた作品を創作した事実が存在する。
ある琉球の作家は社会進出のために、又は大和や薩摩との交流をスムーズに進めるために日本語の文語を使った。そんな中、素晴らしい文学を生み出すジュイサンスのもと和歌や物語を平安時代の文語で創作した人物もいた。その琉球作家は自分が日本人であるという意識を持っていなかったため自分の作品が「日本人によって著述された書物」だとは想像もつかなかったであろう。
現代においても、多くの沖縄県民が同様の認識を抱いていると考えられる。このような作品が国文研のミッションに関係するか否かも検討する必要がある。

ここで、和歌山県に生まれ明治時代末期に米国へ移住したマイダ・カネを取り上げる。カネは太平洋戦争時に米国の収容所に強制移転させられた。そこで『百人一首』や『古今和歌集』をはじめとする和歌やくずし字を習得し、やがて自ら歌を詠むようになり、四百首あまりの新体詩や本格的な和歌を残した。
上記の運営会議で共有された文書にあった「奈良時代以降、江戸時代末まで」の制限を超えた作品として、カネや他の収容された日本人が詠んだ歌は国書データベースに保存する価値はないのか。
日本に関連する歴史および文学史の資料として保存することが望ましいのではないか。

日本文学の伝統的書物の収集・分析に精通する国文研が最新技術を活用し、本稿で示した二例を含めてそのミッションに組み入れることを期待したい。
「日本文学」という意識をそのように拡張すれば、日本文化(多義的な意味において)が世界のどこまで浸透したかを示すことができ、将来的に国文研の前向きな一歩となり得ると考えられる。