本研究は「枕草子」を中心とするコレクションである「春曙文庫(しゅんしょぶんこ)」について、資料のみならず田中重太郎を中心とする人々の古典に寄せる思いを紹介し、主要な資料について「春曙文庫」設置後の知見を加えようとするものである。
「春曙文庫」は、相愛女子短期大学・相愛大学の教員を長く務め、「枕草子」研究に功績のあった田中重太郎(たなかじゅうたろう)(1917~1987)旧蔵の貴重書を中心に構成されている。
相愛学園創立百周年を記念して、1988年、相愛大学図書館に収蔵することとなり、枕草子の冒頭句「春は曙」をこよなく愛し、「春曙庵主」をもって任じた田中の遺志を尊重し、「春曙文庫」と名付けられた。
文庫には、田中と親交の厚かった吉田幸一旧蔵の古写本も加えられ、枕草子に関わる資料なら、絵画や近代資料に至るまで収集した田中の夢を実現した文庫となっている。また、「校本枕冊子」制作に携わり、相愛女子短期大学において、田中の傍にあった柿谷雄三(かきたにゆうぞう)(1930~2012)旧蔵の典籍も「柿谷文庫」として相愛大学に収められている。柿谷は文庫創設にあたっても尽力した。
「春曙文庫」は、平安文学の研究者以外には、一般に知られているとは言えない状況にあった。コレクション全体を紹介する刊行物に1988年の「相愛学園創立百周年記念古典籍資料展示目録」、1993年に「春曙文庫目録(和装本編)」があるが、前者は比較的詳しい解説があるものの、配布の要望に十分応じることが出来ず、後者は書誌に重きを置いた研究者向けの目録である。毎年、定期展観を催しているが学内向けであり、市民の来場者は数えるほどである。
本研究はコレクションの全体像を明らかにするとともに、研究者以外の市民がコレクションに触れる機会を提供し、コレクションについての認識を深めることを意図した。期間は2022年4月から2025年3月まで。研究組織は代表者の千葉真也(ちばしんや)、研究分担者の阿尾(あお)あすか・荒井真理亜(あらいまりあ)・飯田実花(いいだみか)・川渕紗佳(かわぶちすずか)・北井佑実子(きたいゆみこ)・溝端悠朗(みぞばたひさお)・山本和明(やまもとかずあき)の8名からなる。
また、2024年3月から4回実施されたセミナーにあたっては鈴木徳男(すずきのりお)・中島和歌子(なかじまわかこ)・中西健治(なかにしけんじ)の各氏に講師としての協力を得たほか、相愛大学図書館司書の日野優子(ひのゆうこ)が資料の出納、取材への対応などにあたった。
研究者と市民を対象に4回のセミナーを開催した。概要は次のとおりである。
● 2023年3月4日 第1回
講演:鈴木徳男「春曙文庫の成立」、
報告:溝端悠朗「相愛大学春曙文庫蔵『源氏之詞並家隆卿之庭訓口義(げんじのことばならびにいえたかきょうのていきんくぎ)』について」、北井佑実子「春曙文庫の古筆切―伝阿仏尼筆狭衣物語切(でんあぶつにひつさごろもものがたりぎれ)について―」
● 2024年3月2日 第2回
講演:中島和歌子「清少納言の父―清原元輔(きよはらのもとすけ)と『枕草子』の関係」、
報告:川渕紗佳「国学者の『枕草子』研究、阿尾あすか「書写し伝える―柿谷雄三旧蔵『建礼門院右京大夫集(けんれいもんいんうきょうのだいぶしゅう)』について―」、山本和明「柿谷文庫について」
● 2024年11月1日 第3回
講演:鈴木徳男「春曙文庫に学ぶ」、千葉真也「関根正直(せきねまさなお)書入本春曙抄と枕草子集註」、山本和明「柿谷雄三愛蔵の典籍点描」
● 2025年3月8日 第4回
講演:中西健治「春曙文庫から学んだこと」、
報告:飯田実花「春曙文庫の『源氏物語』―聖護院道澄(しょうごいんどうちょう)ほか筆『源氏物語』五十三帖・近衛信尹(このえのぶただ)筆「光源氏由免濃有喜八之(ゆめのうきはし)」を中心に―」、阿尾あすか「伝説の清少納言―春曙文庫の蔵書から―」
第3回は国文学研究資料館の展示「枕草子と春曙文庫」に合わせ、立川の国文学研究資料館で開催した。それ以外は大阪の相愛大学南港学舎が会場である。
また、セミナーに合わせリーフレットを作成した。
①「春曙文庫の名品1 春曙文庫の枕草子」
②「春曙文庫の名品2 知られざる名品 古筆切・断簡・清少納言の肖像」
③「春曙文庫の名品3 勅撰和歌集・古筆切・断簡」
④「春曙文庫の名品4 知られざる名品」
⑤「春曙文庫の名品5 近代文学関係資料」
⑥「春曙文庫―枕草子 絵画と伝承」
⑦「春曙庵主 田中重太郎 その人とことのは」
①から④は、本コレクションを代表する資料についての画像と解説。個々の資料について新見が提示されているところも多い。親しみやすい解説を意図したが、できあがってみると専門家向けになってしまっている。内容的には国文学研究資料館での展示「枕草子と春曙文庫」の図録と重なる。
⑤は岡田希雄(おかだきゆう)に宛てられた鈴木三重吉(すずきみえきち)や与謝野鉄幹(よさのてっかん)・晶子(あきこ)の書簡や相愛高等女学校校友会誌『相愛』に収められた山崎豊子の作文など珍しい資料を紹介する。
⑦は田中重太郎の文章のうち、書物についての思いを語ったものや枕草子研究(田中の書き方に従えば「枕冊子」である)に関わるものを多様な資料から抽出したもの。
本研究のタイトルは「相愛大学「春曙文庫」に関する研究―書物と人」である。国文学研究資料館での展示図録をもとにしているが、書物を愛する人であった田中を知る近道となるだろう。
千葉 真也(相愛大学名誉教授)
