古典といわれる文学作品は、編著者が制作した当初から「古典」だったわけではありません。現代の人間が、古い書物に対して何かしらの価値を感じるとすれば、それは装訂や紙質、筆跡や内容といった、書物自体の有(あ)り様(よう)はもちろんのこと、その書物が長い年月を経て今日まで受け継がれてきた事実に拠るところも大きいと言えます。そこで今回は、書物を伝える尊さを物語る、ある研究者のエピソードとともに、資料一点を紹介しましょう。
『玉葉(ぎょくよう)和歌集』は、伏見(ふしみ)上皇の下命により、正和(しょうわ)元年(1312)に、京極為兼(きょうごくためかね)を撰者として編纂された、十四番目の勅撰(ちょくせん)和歌集です。勅撰和歌集とは、天皇や上皇・法皇の命によって撰ばれるもので、平安時代に成立した『古今和歌集』を歴史上の始まりとします。いわば国家事業として作られるのですから、公的性格を持ち、成立した時代を代表する歌集と言ってよいでしょう。『玉葉和歌集』は、全二十巻で二千八百首を収めます。
画像を掲げたのは、国文学研究資料館碧洋臼田甚五郎(へきよううすだじんごろう)文庫蔵『玉葉和歌集』です。巻第一春歌上、巻頭歌は紀貫之の「今日にあけて昨日に似ぬはみな人の心に春の立ちにけらしも」。室町時代後期の書写と推定され、紺色緞子(どんす)(文様を織り出した絹織物)の表紙の美しい本です。正中(しょうちゅう)2年(1325)の奥書(おくがき)があり、成立からわずか十余年後に写された本にもとづいて室町期に写されたという、伝来が明らかな点で重要であるとされています。
さて、この写本は、古典文学及び口承文芸の研究において多大な功績のあった臼田甚五郎(1915—2006、國學院大學名誉教授)の旧蔵書のうちの一つです。濱口博章(はまぐちひろあき)「正中二年奥書玉葉和歌集攷(こう)」(1959)は、この写本を紹介した論文ですが、冒頭に、臼田博士への謝辞とともに、次のような経緯が記されています。――古書肆(こしょし)「弘文荘(こうぶんそう)」の古書(こしょ)販売目録に本書が出たので注文の電話をしたが、臼田博士が先に入手していた。しかし博士の好意と温情により、再三拝借(さいさんはいしゃく)して、調査した結果を論文とした。――そして、その約15年後、所蔵者臼田甚五郎による解説を付して、この写本の影印本(えいいんぼん)(写真に撮って印刷した本)が刊行され、後進の学生も研究者も、原本に近いすがたで参照できるようになりました。臼田博士は、貴重な古典籍を見抜いて蒐集(しゅうしゅう)する蔵書家でしたが、ただ私蔵(しぞう)するのではなく、学術研究の進展と公益のために蔵書を活(い)かすことも惜しまなかったのです。現在その蔵書は当館に寄贈され、広くデジタル画像公開されています。
古い書物は、単に長い年月を経るだけではなく、時代時代の人々に鑑賞されて活き続けるからこそ、「古典」たり得ると言えるのかもしれません。本年11月28日まで、東京立川の国文学研究資料館展示室にて「碧洋臼田甚五郎のまなざしー和歌・物語・歌謡ー」展を開催しています。『玉葉和歌集』をはじめ、豊かな臼田文庫所蔵本から約90点を無料で御覧いただけます。
(岡崎真紀子)
文部科学教育通信2025年10月29日掲載記事より

