蔦屋重三郎から天明6年(1786)に出版された朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)作、北尾政美(まさよし)画の黄表紙。本作において天道界は「天道様」を頂点とした一つの事業体であり、タイトルに「大福帳」(勘定の帳簿)とあるように、世の人の行いがことごとく金銭に換算されることになる。孝行な人の「気」は小判となり、忠の人のそれは小粒( 一分金(いちぶきん)、一両の四分の一)となるなどして「天」に上るとされ、逆に悪事があれば、その気が火となって天にあるせっかくの金銀を溶かしてしまう。だから天は善を勧め悪を懲らすのだ、という理屈のもと、『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』の登場人物たちの行いがモデルとされるのも面白いが、天道は各場面における事件をただ見届ける立場にあるのではなく、そのもとで働く天人たちが陰であれこれと操作した結果、われわれの知る『忠臣蔵』の筋立てに導かれる、というひねりを効かせた展開が笑いを誘う。
たとえば七段目の祇園一力(ぎおんいちりき)の場(図1)では、密書を読む由良之助(ゆらのすけ)とそれを恋文と思い鏡で盗み見するお軽(かる)、縁の下に隠れて読もうとする敵方の斧九太夫(おのくだゆう)の三者の沈黙が、お軽の簪(かんざし)の落ちる音をきっかけに破られ急展開となるのだが、ここではその簪も天人が熊手を操(あやつ)って、「早く簪を落とせ」などと言い合いながら落とすタイミングを見計らっていることになっている。
『天道大福帳』(ナ4-398)三巻三冊
https://doi.org/10.20730/200006646
天人たちは時には失態を犯し、その結果が『忠臣蔵』の筋立てにうまく整合するという場合もある。五段目・山崎街道の場(図2)では、担当の天人が遊里・祇園町に気を取られよそ見した隙に、本来命を救われるはずだった与一(市)兵衛が勘平(かんぺい)(左上の人物)の鉄砲の犠牲になってしまう。そこで天人はその「申し訳」のために、斧定九郎(おのさだくろう)(右端の人物)を撃たせようと必死に熊手で鉄砲の方向を変えようとしているわけである。
最終的に義士たちは天道の計らいにより天へと召され、その忠による大量の「小粒」によっていろは四十七もの蔵が建ったというオチがつく。天道の経営手腕という着想のもと、『仮名手本忠臣蔵」の命運を握る天人たちの熊手を介した天の配剤がユーモラスに描かれ、喜三二らしい凝った仕掛けが巧みである。
『江戸の戯作絵本』三(ちくま学芸文庫、2024)に、翻刻・註釈・解説が備わる。
∗ ∗ ∗ ∗ ∗ ∗
国文学研究資料館では、10月1日(水)から11月28日(金)まで、展示室特設コーナーにおいて「蔦重、圧巻。大・中・小」と題した小規模の展示を開催中。蔦屋重三郎版の書籍を大きさごとに並べる試み、ぜひご覧ください。
(木越俊介)
文部科学教育通信2025年10月13日掲載記事より


