文部科学教育通信「国文学研究資料館──古典への誘い」

出水之節心得方之儀(しゅっすいのせつこころえかたのぎ)大目付(おおめつけ)へ問合書(といあわせしょ) 付札有(つけふだあり)

 

江戸時代、大名家と幕府の役人は、日々の業務や非常時の対応について、文書を通じて頻繁に連絡を取り合っていました。今回は、陸奥国弘前藩津軽家文書(請求番号22B/01543)をもとに、水害という緊急事態における対応の様子を紹介します。まず文書の本文(問合書)のくずし字を翻刻しておきます。

     出水之節心得方左の通
 一、大川通出水ニ而橋々往来留り候砌者出仕日ニ候共御断不申上登
   城不仕、往来相成候処ニ而其段以使者御届申上候心得ニ而不苦御座候哉
 一、橋々往来留り不申候共、頓而留り可申模様ニ御座候者、右之趣御届申上登
   城不仕候而不苦御座候哉
 一、橋々往来相成候而茂居屋敷内外水湛之節者模様ニ寄其段御届申上登
   城不仕候而不苦御座候哉
 右之趣、本所・深川ニ住居罷在候柳之間席之万石以下共兼而心得罷在度、此段御問合申上候、以上
 (弘化三年)七月十一日
       津軽越中守(順承(ゆきつぐ))家来
        (江戸留守居)北川六左衛門」

弘化3年6月(新暦7月)は連日の雨で、7月6日夜から翌日にかけても大雨が降りました。堤防が決壊し、隅田川下流の「大川通」で深刻な水害が発生。このような状況下、本所・深川に屋敷を持つ旗本は、江戸城への定例出勤(出仕)をどうするかという問題に直面していました。弘前藩の江戸留守居役・北川六左衛門は、次の三つのケースについて幕府に確認する問合書を提出しました。

1.  橋が通行不能の場合:断りなく登城を控え、使者を通じて事情を届け出てもよいか。
2.  橋は通行可能だが、急な通行止めが予想される場合:届の上、登城を控えてもよいか。
3.  橋は通行可能でも屋敷内外が浸水している場合:届の上、登城を控えてもよいか。

7月17日、幕府の大目付・深谷遠江守盛房からの回答が「付札」として問合書に貼付され、弘前藩津軽家の上屋敷(本所)に届けられました。付札に記された文言はつぎのようでした。

 書面三カ条之趣、通路之儀難斗候ハヽ其段兼
而申上置候方と存候
  但其外之儀者時宜ニ寄候事ニ付差定難及挨
  拶候

幕府の回答は簡潔かつ実務的なものでした。三つのケースについて、通行困難が予想される場合は事前に伝えてあるように対処するがよかろう。ただし、それ以外の事案(浸水)についてはケースバイケースなので決めがたい。

幕府は結果として、非常時には「身の安全を優先せよ」との姿勢を示しています。一方で大名や旗本は、幕府の正式な許可がない限り勝手な判断を避ける慎重な姿勢を持っていたことがわかります。奉公と安全、その両立。秩序と配慮という政治文化がこの文書からみえてきます。

(藤實久美子)

<参考文献>
東京市編『東京市史稿 変災編』第二、1915年、770~880頁。
藤田覚「近世幕政文書の史料学的考察」『近世史料論の世界』校倉書房、2012年。

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文部科学教育通信2025年11月10日掲載記事より