文部科学教育通信「国文学研究資料館──古典への誘い」

仕掛本の魅力─山東京伝(さんとうきょうでん)『本朝酔菩提全伝(ほんちょうすいぼだいぜんでん)』口絵(くちえ)「臭皮袋図(しゅうひたいのず)」

 

図版 山東京伝『本朝酔菩提全伝』首巻口絵

前結びに扱帯(しごきおび)をしめた遊女の立ち姿を描いた1枚の絵(右図)。紙に刷られたその絵を捲(めく)りあげると、現れたのが骸骨(左図)とは、なんとも奇抜な設定ではないか。

文化6年(1809)9月に刊行された、山東京伝著・歌川豊国(うたがわとよくに)画の読本(よみほん)『本朝酔菩提全伝』六冊のうち、首巻口絵(くちえ)にある仕掛絵(しかけえ)を紹介したい。木版印刷の本書は、表紙を含め、造本に大変凝(こ)った趣向があり、とりわけこの仕掛絵は、手間のかかるものゆえ、初刷(しょずり)本にしか存在しない。「臭皮袋図」と題されたこの2枚の絵の周(まわ)りには、「息たへ身の皮やぶれぬれば、男女の姿さへわきがたし。おのれおのれが身の皮の下、骸骨をつつみて持たりとおもはば、さとりをひらくべきにて候」(意訳命が尽き、体が朽(く)ち果てたなら、もはや男女の姿も判別しがたいものだ。男も女も、各々の皮膚の下は、誰しも同じく骸骨を包むだけと思ったならば、悟(さと)りの境地に至ることができよう)とある。男も女も(その美醜も)表層的に過ぎず結局は同じ、という訳である。ほかにも「九相(きゅうそう)の詩の序に、婬楽(いんらく)は臭骸(しゅうがい)を抱(いだく)といへり」との表現も確認できる。快楽に溺(おぼ)れ、抱(だ)き合ったところで、結局はただの朽(く)ちゆく肉体を抱いているに過ぎないとは、なんとも醒(さ)めた眼差(まなざ)しではないか。死屍(しし)が朽(く)ち果てていくさまを観察し、俗世への執着を断ち切る「九想観(くそうかん)」(九相観)という仏道の修行法がかつて存在し、西洋でも「死を想え」を意味するメメント・モリ(memento mori)という警句があるように、古今東西に通底する思想だった。京伝の愛用書の一つに、中国の詩人蘇東坡(そとうば)の作とされた九想詩の註釈書(ちゅうちゃくしょ)、元禄7年(1694)刊の『九想詩諺解(くそうしげんかい)』があるが、先の一文はその序文から引いたもの。たとえば遊廓の一コマを描いた京伝洒落本(しゃれぼん)の代表作で、寛政2年(1790)刊「傾城買四十八手(けいせいがいしじゅうはって)』にも「東坡先生曰(いわく)、男女の婬楽は、互ひに臭骸を抱と、宜(むべ)なり」とあり、読本ジャンルを含め、しばしば京伝はこのテーマを採(と)り上げる。山東京伝という作者を理解する上での重要な事柄の一つであり、その表現を、視覚化したことにより一目瞭然(いちもくりょうぜん)となったのが、この仕掛絵であった。

絵の構想は京伝自身であるが、描いたのは初代歌川豊国。その描く骸骨図をよくよく眺(なが)めてみると、少し奇妙である。斎藤月岑(さいとうげっしん)『増補浮世絵類考(うきよえるいこう)』の歌川豊国の項に、「此図杦田氏の解体新書を見て画(かき)しは尤(もっとも)なれど、誤て小児の骨を写(うつせ)り。笑ふべし」とある。豊国が描いたのは、杉田玄白他訳『解体新書』「妊娠篇図」からで、胎児(たいじ)の骸骨を写しとっていたのだった。当時の人々の、人体に関する知識のレベルを考えれば、それも納得、と言うところか。

(山本和明)

国書データベースへアクセス

文部科学教育通信2025年8月25日掲載記事より