文部科学教育通信「国文学研究資料館──古典への誘い」

『猿法語』


猿法語
https://doi.org/10.20730/200022925、図版:34コマ

 

 

 

 

江戸時代に仏教の教えを比較的に分かりやすく説く「仮名法語」というジャンルの書籍が刊行されるようになり、特に禅宗のものが多く見られる。宝暦11(1760)年に刊行された本資料である『猿法語』はそのジャンルに属し、大正時代に禅宗仮名法語を集めた『禅宗法語集』¹ に収められていることからも、禅宗の教えを大衆向けに紹介する禅宗仮名法語として意識されていることに間違いない。だが、少なくとも二つの大きい特徴によって他の仮名法語と比べて異色を放っている。

一つは著者のことである。禅宗の仮名法語のほとんどは特定の禅僧の教えを記録しているテキストであるとされている。その真偽は疑わしいケースがあるものの、設定上ではある高僧またはその弟子たちなどが書いた文章として刊行されている。しかし、『猿法語』の著者は禅僧ではなく、虚室生白という在家である。序文によると、医者であった虚室生白は身元が全く不明である「ある師」から受けた教えを書き留めたという。師の言葉を忠実に記録するのではなく、記憶を頼りに以前聞いた教えを自分の言葉で述べているから、「古人の言」に似ていてもどうしても違ってしまうことから本書が謙遜を込めて『猿法語』と名付けられたという。江戸時代に刊行された禅宗仮名法語が多種多様で、ひと括りとして比較することは容易ではないが、思想的な特徴として坐禅や公案に基づいた修行と言った具体的な実践を促すことが見られず、むしろ禅の観点から仏教全体が説かれていると言える。管見の限り『猿法語』はほとんど研究の対象になっていないが、鎌田茂雄が盤珪永琢の影響や男女の心は同質であるという主張などが目立つと指摘している²。

『猿法語』のもう一つの特徴は仮名法語に普段見られない挿絵の存在である。本書は三巻で構成されているが、一巻ごとに2枚の挿絵があり、計6枚の絵が見開きに置かれているわけである。テキストが比較的に分かりやすいとは言え、仏教の思想的でやや親しみにくい内容である。それに対して、挿絵によって文章で説かれているテーマは日常的でどこともなくユーモラスな場面に描かれていて、説教の内容を読者の心に入り易くする効果があったのであろう。絵を細かく見ると強い物語性を感じるが、描写されている状況はテキストだけで理解しきれていないのである。読者の想像を促す目的であるか、それとも絵にまだ解明されていない意味が潜んでいるのかもしれない。

著者、謎の師や絵の意味など、不明な点が数多く残っている『猿法語』が更なる研究によって仮名法語というジャンルだけではなく、江戸時代の宗教と社会の複雑な関係の理解にも貢献できる資料であると間違いなく言える。

(ダヴァン・ディディエ)

<注>
1 山田孝道編、森大狂校訂、『禅門法語集』、全三巻、覆刻版・補訂版、1996。
2 鎌田茂雄、「『猿法語』の世界」、『渡辺三男博士古稀記念日中語文交渉史論叢』、745ー756、1979。

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文部科学教育通信2025年9月22日掲載記事より