大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館

共催展「源氏物語の新世界」展示品解説

第1章「物語を伝える」

1.歌川豊国(三世)画『百人一首』
嘉永二年(1849)刊
描かれた紫式部(むらさきしきぶ)
錦絵の『百人一首』です。嘉永2年(1849)刊。喜廼屋寿麿(きのやひさまろ)述、歌川国芳・歌川豊国(三世)画。各歌人の略歴や、各歌の意味を記した注も付いています。掲出箇所の右面には豊国によって紫式部(生没年未詳)が描かれ、右上に「めぐりあひて/みしや/それとも/わかぬ間に/雲(くも)がくれにし/よはの月/かな」の歌、左上の四角囲みの注には父が藤原為時(ためとき)、夫が藤原宣孝(のぶたか)であること、またこの歌が幼なじみに再会して詠まれたことが説明されています。
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2.『紫日記』
紫式部による仮名日記
寛弘5年(1008)、藤原道長の娘である彰子が皇子を出産しました。後の後一条天皇です。11月1日には生後50日の祝いが盛大に開かれ、このとき藤原公任(きんとう)が紫式部へ「このわたりに若紫や候(さぶら)ふ」と呼びかけたのが、『源氏物語』に関する現存最古の記事です(「若紫」は『源氏物語』の巻名)。これにちなんで「古典の日」が制定されました。掲出箇所は、それから間もなく、紫式部らが物語の清書・製本作業を進める、いわゆる「御冊子(みそうし)つくり」の場面です。
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3.伝 二条為氏 筆『光源氏物語系図』
鎌倉後期写
光源氏一族の家系図
〔鎌倉後期〕写。『源氏物語』には、およそ400名の人物が登場しますが、その関係性はかなり複雑です。これを整理すべく作成されたのが「源氏物語系図」で、はやい例では平安中期成立の『更級(さらしな)日記』に、それらしきものの存在が確認できます。本書は鎌倉時代に作成された、いわゆる「源氏物語古系図」のひとつ。現存しない「巣(す)守(もり)」巻の登場人物を収めている系図として有名ですが、このほかにも現代とは異なる呼称で収載されている人物も多く興味が尽きません。
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4.伝 藤原為家 筆『源氏物語』
鎌倉中期写
日本語学者橋本進吉の旧蔵書
〔鎌倉中期〕写。日本語学者橋本進吉(はしもとしんきち)(1882~1945)の旧蔵書で、「橋本本源氏物語」と呼ばれます。装丁や料紙からみて、もともと54帖揃いで書写されたものとみられますが、現在伝わるのは「若紫(わかむらさき)・絵合(えあわせ)・松風(まつかぜ)・藤(ふじ)袴(ばかま)」巻の4帖のみ(それぞれ別筆)、後代に古筆(こひつ)切(ぎれ)(5参照)として抜き取られたらしく、多くの丁に脱落がみられます。展示箇所は「若紫」巻、若紫(のちの紫上(むらさきのうえ))初登場の場面。後半3行目の「すずめのこをいぬきがにがしつる」は、その際のセリフとしてあまりに有名です。
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5.伝 阿仏尼 筆「御法」巻切
鎌倉中期写
茶掛けにされた源氏物語
〔鎌倉中期〕写。伝阿仏尼筆。鎌倉時代書写の「御法(みのり)」巻の断簡(だんかん)です。近世期、平安・鎌倉時代の古写本を切断し、茶掛け等にして鑑賞することが行われました。これを「古筆切(こひつぎれ)」といい、『源氏物語』を切断したものは、特に「源氏(げんじ)切(ぎれ)」と呼ばれ珍重されています。もとより文化財破壊の謗(そし)りを免(まぬが)れませんが、古典の「つたえかた」には、こうした方法も存在していたことは、覚えておかねばなりません。
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6.伝 冷泉為相 筆『源氏物語』(総角) 
鎌倉後期写
書写者の気持ちがわかります
〔鎌倉中期〕写。伝冷泉為相筆。宇治十帖のうち「総角(あげまき)」巻のみの残欠本です。各丁10行書の余裕ある筆致で書写されていますが、実はこの写本、末尾に近づくにつれ、行数が徐々に増え、最終的には14行にまで膨れ上がります。紙数の不足に気付いての処置でしょうが、手書きならではの苦労を思わせる写本の事例です。展示箇所は、故八条宮(はちじょうのみや)の一回忌の折、娘の大君(おおいぎみ)に薫(かおる)が思いをつたえる場面。3行目「あげまきにながきちぎりをむすびこめおなじ所によりもあはなむ」は、巻名の由来ともなる薫の贈歌です。
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7.「薄雲」巻切(『源氏物語』断簡)
鎌倉中期写
われても末に
〔鎌倉中期〕写。古筆切(こひつぎれ)のうち、同じ写本から切り離された断簡(だんかん)どうしのことを、それぞれの「ツレ」と呼びます。国文研蔵の「薄雲(うすぐも)」巻断簡4葉は、もともと同じ写本から切り取られたツレで、それぞれが別々の経路をたどって、収蔵にいたったものです。紙面の端には綴じ穴(結び綴)の跡があり、もとは冊子本であったことが窺えます。『源氏物語』の写本としては極めて大きく、本文にみえる朱点や異同等から、源光行・親行父子によって校訂された「河内本(かわちぼん)」系統に属する伝本であることが指摘されています。
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8.伝 一条兼良 筆「桐壺」巻切(『源氏物語』断簡)
室町中期写
才人・兼良自筆の『源氏物語』断簡
〔室町中期〕写。一条兼良(いちじょうかねよし)筆。古筆切にみえる伝承(でんしょう)筆者(ひっしゃ)(「伝○○筆」とあるもの)は、あくまで後代の古筆(こひつ)見(み)(鑑定家)による鑑定結果であり、真実その人物が筆者であることを保証するものではありません。しかし本「桐壺」切は、ツレに書写時の経緯を記した奥書(おくがき)の断簡が存在し、実際に兼良筆であることが判明している稀有な例です。兼良は室町時代の公家。有職(ゆうそく)故実(こじつ)・古典に通暁(つうぎょう)し、「一天無双之才(いってんむそうのさい)」と謳(うた)われた当時の天才でした。所々に認められる書き込みは、『河海抄(かかいしょう)』等の源氏(げんじ)物語(ものがたり)古注(こちゅう)の説を転記したものですが、ときに兼良自身の見解も記され、往事の学問の跡が偲ばれます。
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9.榊原本『源氏物語』
鎌倉中期~室町後期写
高田藩榊原家旧蔵の重要伝本
〔鎌倉中期・室町後期〕写。全16帖の残欠本。「桐壺」巻のみ室町期の公家、三条西実隆の補写、他15帖はすべて鎌倉時代の写本です。高田藩(たかだはん)榊原家(さかきばらけ)に蔵されていたことから、世に「榊原本」と称します。本書のように、正方形の書型をもつ本のことを「枡形本(ますがたぼん)」あるいは「六半本(むつはんぼん)」と呼びます(対して長方形のものは「四半本(よつはんぼん)」といいます)。『源氏物語』をはじめ、物語の古写本にはこの書型が比較的多くみられ、当時における「ジャンル」への意識が窺(うかが)われます。
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10.正徹本『源氏物語』
江戸初期写
写しは江戸時代、素性は鎌倉時代。
〔江戸初期〕写。54帖。前半7帖(桐壺~末摘花)に、室町時代の歌僧、清巌正徹(せいがんしょうてつ)の関与を示す奥書をもつことから「正徹本」とも呼ばれます。典籍を書写する際、親本にある奥書をそのまま転写することがありますが、その奥書のことを「本奥書(ほんおくがき)」と呼びます。本奥書は、その写本自体の書写年・筆者を示すものではありませんが、その本文(ほんもん)の伝来や素性を伝えてくれています。本書も写しこそ江戸時代ですが、正徹の本奥書があることで、(前半7帖については)鎌倉時代に遡る本文をもつことが明らかとなります。「御本云、(冷泉)為相卿奥書本、重而読合了、無相違也、正徹判」(末摘花帖・本奥書)。
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11.嫁入本『源氏物語』
江戸初期写
調度品として愛でられた『源氏物語』
〔江戸初期〕写。江戸時代に入ると、公家や大名家を中心に、美麗な表紙を付け、豪華な箱に入れた『源氏物語』が多く作られました。読むためというより、部屋を飾るためのもので「調度本」と呼ばれます(嫁入り道具としても用いられたため「嫁入り本」とも呼ばれます)。 掲出した本は、表紙に金銀泥(きんぎんでい)で下絵を施し、見返(みかえ)しは亀甲文(きっこうもん)などを押した金紙です。蒔絵を施した引き出しに入れられています(ただし、箱自体は他からの流用か)。
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12.『源氏小鏡』
室町末期写
室町時代に流行したダイジェスト版『源氏物語』
〔室町末期〕写。南北朝時代に作られた『源氏物語』の梗概書(こうがいしょ)です。作者は連歌師(れんがし)と推定されています。連歌には『源氏物語』の知識が必須ですが、54巻すべてに通じるのは容易ではありません。そこで、連歌が流行した室町時代以降、各巻の内容や和歌を分かりやすくまとめた、いわばダイジェスト版が広く流布しました。本書は後柏原院卿内侍(ごかしわばらいんきょうのないし)(1483~1543)筆と伝わります。上下両冊の見返しに絹が貼られ、枯淡で瀟洒(しょうしゃ)な淡彩画(四季の景)が描かれているのが特徴です。
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13.『源氏物語』
承応三年(1652)刊(八尾勘兵衛)
理解しやすい絵入り『源氏物語』
承応3年(1652)、八尾勘兵衛(やおかんべえ)刊。山本春正(しゅんしょう)編。『源氏物語』の版本です。『源氏物語』は古くは写本、すなわち1点物として作られたため、身分の高い一部の人々しか入手できませんでした。しかし、江戸時代に入ると、印刷技術が発達して大量生産もできるようになり、一般の人々も親しめるようになります。春正は蒔絵師(まきえし)で、自ら多くの挿絵も作成しました。これらは木の板に彫って作るため、『源氏物語』は工芸の分野にも影響を与えたと言えます。
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14.賀茂真淵書入れ『湖月抄』
江戸後期刊
もっともよく読まれた『源氏物語』
〔江戸後期〕刊。田安徳川家旧蔵。延宝元年(1673年)に成立した北村季吟(きぎん)による注釈書です。それまでは『源氏物語』の本文と注釈が別々の本に書かれるのが普通で、両者を相互に参照しなければなりませんでした。しかし、『湖月抄』は本文と注釈の両方を兼ね備え、しかもその注釈はそれまでの代表的な諸注釈書の説を丹念に集めたものでした。このため、後世によく読まれました。掲出本は国学者として有名な賀茂真淵(かものまぶち)(1697~1769)が直筆で多くの自説を書き入れたもので、さらに貴重です。
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15.『源氏物語玉の小櫛』
寛政十一年(1799)刊
諸説の乱れをときあかす「櫛」
「もののあはれ論」で知られる、国学者の本居宣長による『源氏物語』の注釈書です。寛政八年成立。石見国(現在の島根県)浜田藩主松平康定の求めに応じてまとめられました。内容に関する解説の他、新たに考証した年立(年表)等を備えています。一の巻の冒頭には、宣長自ら「そのかみのこゝろたづねてみだれたるすぢときわくる玉のをぐしぞ(本意をたずね、これまでの『源氏物語』の諸注釈書の説の乱れをこのすばらしい「櫛」でときあかしましょう)」と書名の由来を和歌の形で記しています。
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第2章「物語をたのしむ」

16.『源氏物語歌合絵巻』
室町後期写
『源氏物語』の和歌絵巻
〔室町後期〕写。『源氏物語』の和歌を歌合(うたあわせ)の形式にし、和歌の作者である登場人物の絵を添えた作品です。36人の歌を3首ずつ抜き出し、54番に番(つが)えています。普通、歌合は1番ごとに左と右の歌を並べて書きますが、掲出本は左歌3首を挙げた後、それに番えられた右歌3首を書写しています。また、作者目録がなく、序と歌合のみを収めています。絵は奈良絵本に似た趣で、彩色が施されている点に特徴があります。
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17.『源氏物語団扇画帖』
江戸前期写
団扇(うちわ)型に描かれた源氏絵
〔江戸前期〕写。団扇(うちわ)型の源氏絵。54枚が画帖(がじょう)に貼られていますが、各巻1枚ではなく、2枚ある巻や欠巻もあり、貼られた順番も巻の順序と一致しません。このため、当初は60枚近くあった絵が何枚か欠けた後に台紙へ貼られたと推測されます。前期に掲出したのは「雀の子を犬君(いぬき)が逃がしつる」で有名な若紫巻です(本展示のチラシの絵です)。後期に掲出したのは絵合(えあわせ)巻です。右上に物語の絵巻と、積み重ねられた冊子が描かれます。
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18.『源氏物語絵屏風』
江戸前期~中期写
人物の表情にご注目ください
六曲一双。金泥下絵詞書と金泥彩色画を貼り交ぜた屏風です。桐壺(きりつぼ)巻から末摘花(すえつむはな)巻までの1隻(いっせき)と、紅葉賀(もみじのが)巻から須磨(すま)巻までの1隻からなります。詞書左上の貼付紙には「竹門様」「八宮様」「水無瀬殿」「持明院殿」「中院大納言殿」等の筆者名が見え、近世初期の親王・公家による寄合書の作例としても貴重です。人物の表情がいきいきとして親しみやすいのが特徴で、光源氏と若紫が遊び戯れる末摘花巻の絵は、岩波文庫『源氏物語』第1巻(2017年刊)の表紙に採用されました。
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19.浮田一蕙 筆『源氏物語絵巻』
江戸末期写
古画に学んだ瀟洒な画風
幕末に活躍した大和絵の絵師、浮田一蕙(うきたいっけい)(1795~1859)筆の絵巻です。2巻にわたり『源氏物語』54帖の名場面が瀟洒な筆致で描かれています。本図は夕霧(ゆうぎり)巻、夕霧と雲居雁(くもいのかり)夫妻の隣室で、子どもたちがにぎやかに遊ぶ様子が題材となっています。同じ図様は狩野探幽(かのうたんゆう)筆『源氏物語図屏風』(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)・清原雪信(きよはらゆきのぶ)筆『源氏物語画帖』(個人蔵)などにも見られ、これらに学んだ成果と考えられます。
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20.『源氏かるた』
江戸後期写
『源氏物語』の和歌で遊ぶ
肉筆かるた。江戸後期写。『源氏物語』54帖の各巻につき1首を選び、上句(絵札)と下句(字札)に分けて計108枚としたものです。『源氏かるた』は同時期の『百人一首かるた』『伊勢物語かるた』等と比べてあまり使用された形跡がないことが多く、これは『源氏物語』の和歌を暗記している人が少なかったためと考えられます。とはいえ本作品は、典雅な画風に散らし書きの文字も美しい佳品といえます。鉄心斎文庫(てっしんさいぶんこ)旧蔵。
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21.『源氏かるた』
源氏で遊ぼう!
『源氏物語』の各巻から1首の和歌を選び、上の句、下の句に分けてかるたに仕立てたもの。多色刷りの美しい木版画です。1首の構成は、上の句の札に巻名と源氏香の印、下の句の札には巻名はなく、源氏香の印だけがあります。和歌を知らない人でも、源氏香の印で取り合わせが可能です。図柄は象徴的なもので、読み解くにはかなりの知識が必要でしょう。「桐壺」の場合は上に桐の花、下に高麗の人相見を表す唐冠と唐団扇が描かれています。
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22.『源氏物語梗概』
かわいい!雛本
掌に箱ごと載せて楽しめるような豆本です。ひな飾りの道具として作られたもので、雛本(ひいなぼん)と呼びます。第1冊目は大意と目録。第2冊目からは、1冊に2巻ずつ配分され、54帖すべて揃っています。扉の頁には口絵があり、巻名とそれに対応する源氏香の印が描かれて、親しみやすいもの。1冊あたりわずか5丁(10頁)と短いのですが、小さな文字で巻ごとの梗概(あらすじ)と和歌がきちんと載せられており、読むことも可能な本格的なものです。
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23.『そのゆかり源氏すこ六』
江戸末期刊
さて、どこが源氏でしょうか?
『偐紫田舎源氏』の流行は、多様な分野に影響しました。「そのゆかり...」と題した影響作は、合巻のような読みものだけではなく、都々逸のような俗謡、かるたなどの遊戯にも及んでいます。この双六もそうした影響作の1つ。絵だけを見ると、男も女も江戸時代の武家風俗で描かれており、とても『源氏物語』には見えませんが、巻名や登場人物の名前がかろうじてその名残を伝えています。一鶯斎国周の絵です。
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24.『源氏香之図』
江戸後期写
華やかな香りの遊戯
江戸前期頃に完成した組香(くみこう)「源氏香(げんじこう)」は、5つの香の組み合わせを当てる遊戯です。参加者は1つ1つの香りを聞きながら、手元で5本の縦線のバリエーションを描いてゆきます。本作品は、遊戯の際に図様と『源氏物語』の巻名とを照合するための小冊子です。若菜上巻の猫は、女三宮と柏木の出会いの場面のいたずら者としても有名ですね。扱いやすい折帖(おりじょう)(厚紙を折り畳んだ本)の形態で、金地に貼り込まれた挿絵は今なお鮮やかな姿を残しています。
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25.『源氏百人一首』
江戸末期写
幕末の志士とみやびへの憧れ
江戸末期写。絹本彩色。小型の源氏香図に、黒沢翁満(おきなまろ)『源氏百人一首』(天保10年刊)の内容を非常に細密な筆で書き込んだものです。源氏香の図様を持たない桐壺(きりつぼ)巻と夢浮橋(ゆめのうきはし)巻を見返しとし、それぞれの趣意絵が描かれています。末尾に署名を残す北澤正教(まさとし)は、天保2年信濃国の造り酒屋の長男として生まれ、佐藤一斎・佐久間象山の門下に入った人。慶応4年には仁和寺宮嘉彰(よしあき)親王方より北越戦争に従軍し、手記『越の日記』を記しました。西下経一(きょういち)旧蔵。
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26.『其所縁源氏都々一』
江戸末期刊
庶民の粋な口ずさみ
『源氏物語』の巻名に想を得た「どどいつ」(七・七・七・五の音数律を持つ俗謡)を集めた集。江戸末期、三味線の流行と共に広まった「どどいつ」は、庶民の間で楽しまれ、源氏関係でも色刷りの絵入『なげ扇(おうぎ)よしこの源氏』やその廉価版である本書等、複数のテキストが出版されました。挿絵で描かれるのは遊女をはじめ、若菜を摘む女性、虫売りの屋台など。当時の人々の生活感覚によく寄り添っているといえます。臼田甚五郎旧蔵。
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第3章「物語をつくりかえる」

27.『花鳥風月』
江戸前期写
光源氏の霊が人生を語る御伽草子(おとぎぞうし)
〔江戸前期〕写の奈良絵本。室町時代中期までに成立した御伽草子(おとぎぞうし)。「山科少将」の扇に描かれた人物は在原業平なのか光源氏なのかで意見が対立し、羽黒(はぐろ)の巫女である「花鳥」と「風月」の姉妹に占わせるという内容です。巫女に呼び出された業平と源氏の霊は『伊勢物語』と『源氏物語』の有名な場面を語るため、一種の梗概書(こうがいしょ)の役割もあったと思われます。室町時代には同名の謡曲(ようきょく)も作られ、かなり流行したことが分かります。
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28.『繪合鑑』
版本にもなった『花鳥風月』
〔宝永年間(1704~1711)〕刊。『花鳥風月』の版本です。江戸時代に入っても『花鳥風月』の人気は衰えず、複数種類の版本が作られました。掲出したのは後半が欠けた1冊本ですが、東北大学附属図書館の狩野(かのう)文庫などにある「鱗形屋新板(うろこがたやしんぱん)」の刊記(かんき)をもつ本に近いようです。27の奈良絵本は彩り豊かな美しい挿絵であったのに対し、こちらは色こそありませんが、絵の構図や場面選択に独自の工夫が見られます。本文も写本と版本では異なる部分が多く見られます。
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29.『山路の露』
万治3年(1660)刊
「宇治十帖(うじじゅうじょう)」のその後を描く二次創作
万治3年(1660)刊。鎌倉時代前期に成立した物語です。作者未詳。『源氏物語』の最後の10巻「宇治十帖(うじじゅうじょう)」は薫・匂宮・浮舟の三角関係を中心に描きますが、最終巻の「夢の浮橋」に至っても、恋愛の決着がつかないまま物語が終わってしまいます。そのためか、後人によって作られた「夢の浮橋」の続編が本作品です。いわゆる二次創作にあたり、非常に珍しい例です。掲出したのは、『絵入源氏物語』の付録として刷られたものです。
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30.『源氏雲隠抄』
江戸前期刊
光源氏の最晩年を語る二次創作
〔江戸前期〕刊。挿絵入り。天文年間(1532~1554)以前に成立した物語です。作者未詳。「雲隠六帖(くもがくれろくじょう)」とも称し、「雲隠」「巣守(すもり)」「桜人(さくらひと)」「法(のり)の師(し)」「雲雀子(ひばりこ)」「八橋(やつはし)」から成ります。『山路の露』と同じく、後人が書いた『源氏物語』の続編です。光源氏の死を描いた「雲隠」という巻があったという平安末期以来の伝称に基づき、本作品では同名の「雲隠」において光源氏の出家を語るほか、「宇治十帖(うじじゅうじょう)」に関連して匂宮の即位や薫の出家などを描きます。
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31.『手枕』
寛政4年(1792)刊
750年後に補われた六条御息所のエピソード
『源氏物語玉の小櫛』の著作もある国学者、本居宣長の創作です。六条御息所は、葵の上を取り殺したり、紫上や女三宮に祟る恐ろしい女性として描かれていますが、光源氏との関係については詳しく書かれていません。宣長はそこを補って、二人のなれそめについての物語を作ったと考えられます。〈もののあはれ〉を標榜(ひょうぼう)する宣長としては、せめて光源氏との美しいエピソードを添えることで、六条御息所を救いたかったのかもしれません。
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32.『若草源氏』
元文3年(1738)刊
おばけもびっくり、面白源氏
『源氏物語』の俗語訳は、江戸前期に続々と出版されました。本書はそれらの内、『若草源氏物語』と『紅白源氏物語』を合わせて1書にしたものです。翻訳と挿絵を手がけたのは、気鋭の浮世絵師・奥村政信(まさのぶ)。版元は日本橋の書肆(しょし)・山口屋権兵衛。序文には「ちいさき娘」とその友達向けに、難しい『源氏物語』の文章を「いまの世のはやりことば」に引きうつし、原作にはないギャグなども入れて、ためになり、かつ楽しい読み物にアレンジした新機軸の由が述べられています。
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33.『偐紫田舎源氏』
天保10~11年(1839~1840)刊
『源氏物語』パロディの決定版
柳亭種彦作、歌川国貞画。『源氏物語』の世界を室町時代に移し、足利将軍家の騒動として描いたパロディ作品です。人気作品で、1829年から1842年まで書きつがれた合巻と呼ばれる長編読み物でした。しかし、天保の改革で絶版処分を受け、「真木柱」にあたる38編で途絶えてしまったことは惜しまれます。改革後には続編や挿絵の錦絵化が行われるなど、大きな影響を残しました。
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34.与謝野晶子『新譯源氏物語』
明治45~大正2年(1912~1913)刊
源氏の訳業――家庭と書斎の苦闘
与謝野晶子による『源氏物語』の第1回目の現代語訳です。明治45年から大正2年にかけて金尾文淵堂から出版されました。洋画家の中沢弘光が挿絵を担当した豪華本で、晶子ならではのみずみずしい文学的感性が光る意訳も読みどころの1つです。あとがきに綴られた「家庭と書斎とに於ける自分の仕事は常に繁劇(はんげき)を極めて居た」との述懐は、英国の女性作家ヴァージニア・ウルフの問題意識にも通じ、この訳業にかけた晶子のひたむきな思いを想像させてやみません。