京極御息所歌合きょうごくのみやすどころうたあわせ

宇多(うだ)天皇(てんのう)御息所(みやすんどこ)藤原褒子(ふじわらのほうし)主催の歌合。延喜(えんぎ)二一年(九二一)成立。藤原(ふじわらの)忠房(ただふさ)判、(おおし)河内躬(こうちのみ)(つね)ら詠。

著者 藤原忠房ふじわらのただふさ
年代 延喜21年(921)
分類 和歌

この時期は、和歌が漢詩文の下風を脱して、公的な文学としての地位を確立しました。その象徴としての最初の勅撰集である延喜5年(905)撰進の『古今和歌集』を初めとして、『後撰和歌集』『拾遺和歌集』の勅撰集が成立し、私撰集や個人の歌集が編まれ、歌合が盛んに催されました。代表的な歌人に、紀貫之・和泉式部らがあります。藤原公任の『新撰髄脳』などの歌論も書かれています。

各年代における和歌の変遷
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