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[No. 67 書評]ブックレット〈書物をひらく〉32 中西智子著『紫式部の「ことば」たち 源氏物語と引用のコラージュ』

和田 律子(流通経済大学名誉教授)

中西智子著 『紫式部の「ことば」たち 源氏物語と引用のコラージュ』 中西智子著
『紫式部の「ことば」たち 源氏物語と引用のコラージュ』

本書は、平安文学研究者中西智子氏の、『源氏物語』のことば(原文)の奥に潜む不可思議で興味深い魅力を、読者の方々に広くお伝えしたいという願いがこめられた一書である。

中西氏のことばに対する畏敬の念は篤く、本書にも「作品の文章そのものこそが、やはり最も豊かで味わい深いもの」(「あとがき」p98)、「紫式部の「ことば」たちを、当時の人々が楽しんだように、現代の読者の方々に味わっていただ」(p7)きたいとある(以下、傍線部を付した部分を「ことば」と表記する)。

中西智子氏は、前著『源氏物語 引用とゆらぎ』(新典社、2019年)で、「ことば」は多様な意味を内包する重層性をもち、かつ、諸条件により変容するもので、それが作品を豊かにする基になっているのではないかと考えた。そして、それを「ゆらぎ」と表現した。本書における「ことば」も、そのような特性をもつ「ことば」だと理解したい。

本書では著者は前著を踏まえたうえで、物語の「作り手」が作品に「仕掛け」る「ことば」の操作を、「ことばのコラージュ」(切りとり貼りつける操作)と名付け、「ことば」のもつ深遠なる魅力をいっそう細やかに解き明かす。
著者は、予測不明な紙の落ち方の解明の限界を吐露した、理学博士中谷宇吉郎の文(『科学の方法』岩波書店、1958年)の一節、「あちらにひらり、こちらにひらり」を引き、「ことばの意味するところは紙の動きに限りなく近い感じがする」(p94)と述べる。

『源氏物語』に「ひらり」「ひらり」と舞う数多くの「ことば」たち。そのなかの「コラージュ」する「ことば」を著者はすくいあげる。そして、平明なことばで、丁寧にしなやかに仕掛けを読み解いてゆく。この過程は、あたかも著者と一緒に謎解きをしているかのようで、面白く楽しく好感をもって読める。

読者の方々に向けての著者の思いと配慮が「中西氏のことば」に反映され、氏の持ち味が発揮されている部分でもある。

以下に、本書の構成を示す。
はじめに
一 万葉歌の古さと新しさ 平安中期の古歌復興状況/「赤裳垂れ引き」玉鬘/「入りぬる磯」の若紫/「月待ちて」女三宮/演出される〈誘う女〉像
二 嘆老歌の悲劇と喜劇 反復される浮舟の「世のあらぬところ」/嘆老歌の二面性の継承〈エロス〉と〈タナトス〉の行方/物語作者の挑戦
三 梅香をめぐる官能性と老い 浮舟詠と『紫式部集』四六番歌/「さだすぎたる女」と梅香の〈エロス〉/朝顔斎院のユーモア/手習巻の浮舟と〈タナトス〉/「画賛的和歌」と紅梅の記憶/女の官能性と老いの主題 
四 虚構と現実のあわいに 『源氏物語』と藤原道長家の人々/中宮彰子による一条天皇哀傷歌/紫式部と伊勢大輔の贈答歌/大弐三位賢子と乳母の贈答歌/「作り手」圏内の人々の共同的な記憶
おわりに

詳細は省略せざるを得ないが、目次のなかの、著者が選び取った「ことば」のいくつかに傍線を付してみた。「ことばのコラージュ」により、物語世界はいかように変わるのだろうか。

『源氏物語』には『万葉集』が数多く引用されているが、本書の「ことば」にも『万葉』の古歌が目立つ。第一章を例にみると、「背伸びした」「おませな」若紫が「入りぬる磯」(p15)と、「幼い」「無邪気な」女三宮が「月待ちて」(p22)と口ずさむ場面。引用元の二首は、ともに、成熟した男女の恋情を詠んだ、〈誘う女〉のイメージも付与された、当時はよく知られた『万葉』歌である。それが物語のなかで、幼さを残す二人の発する「ことば」になったとき、「ことば」には「ずれ」(p29)が生じ、それが物語世界の新たな魅力や関心を惹起するのではないか。以下各章で、著者はさまざまな場面の「ずれ」が看取できる「ことば」を俎上に乗せる。そして、「重層的な物語世界を作り上げ」(p96)るべく仕掛けられた「ことばのコラージュ」が、作品を創造する方法としていかに有効に利用されているかを解いてゆく。
また、最終章の第四章では視点を換え、『源氏物語』の社会的影響力に目を向ける。「連載物のような感覚」(p75)で『源氏物語』を共有した読者たちにより、「高度な引用表現」で「再利用」された「ことば」が、変容を繰り返し、現代にまで影響を及ぼしている流れを論じるが、要所要所に「ことば」に注視する著者の新見がみられ、読みごたえがある。

なお、各章の随所には、内容にふさわしい多くの図版(すべて国文学研究資料館所蔵)とそれに付された簡潔な説明があり、読み進めるうえで読者の理解を助けてくれることも付記しておきたい。

近時、たましん美術館において、「源氏物語の新世界」展(傍線筆者)が開催された。中西氏も企画に携わったと伺った。同展は、「読者を創作へ、表現へと駆り立て」「さまざまな創作活動を刺激し」(国文学研究資料館館長渡部泰明氏「ごあいさつ」)、「しなやかに変容を繰り返してきた」(同展チラシ)『源氏物語』の「新世界」を、広く現代社会に発信することを目指した斬新な展観であった。『源氏物語』の多様性と可能性を「ことば」から論じた本書は、同展観と表裏の関係にあるとも言えるのではないだろうか。

『源氏物語』研究が「新世界」に入ったことを、実感しつつ読んだ。