多田 蔵人(国文学研究資料館准教授)
近代の文学について考える際、作家や作品とならぶ最重要テーマの一つとなるのが「文体」である。西洋や東アジアから押し寄せるいくつもの言葉の類型を吸収脱化するとともに、近世期以前の漢文、和文、俗文などの文体をも引きつぎ併存させていった言葉の雑居状況こそ、古今東西の文化が激しくぶつかりあった近代日本文学の特徴であるからだ。
本共同研究では、この「文体」への実証的かつ理論的なアプローチの手がかりとして、文範・辞書・作法書・アンソロジーなどの「文例集」に着目した。近代では上述の言語状況をうけて、実にさまざまなジャンルの文例集が刊行されている。これらの「ジャンル辞書」ともいうべき資料群と文学作品を比較検討することで、個々の作品の文体的特性、あるいは作品を享受した読者たちの認識の枠組みが浮かびあがってくると考えたためである。共同研究メンバーである北川扶生子氏、栗原悠氏、倉田容子氏、合山林太郎氏、馬場美佳氏、堀下翔氏、湯本優希氏に多田を加えた8名で「文範研究会」を組織し、メンバー以外の研究者の参画をうながすべく、2022年度と2023年度に完全オンライン形式の研究会を年5~6回のペースで開催した。発表者は延べ17名、参加者は毎回20~30名程度で、世代も居住地域も異なる多彩な参加者の意見交換の場となった。資料は多田が個人的に蒐集した文例集コレクション1,200点程度を基盤としつつ、東京大学文学部国語研究室松村文庫・東京学芸大学附属図書館望月文庫、三康図書館などの調査も行った。
文学史が描く「文語文から口語文へ」という文体推移の前提は今日なお根強いけれども、今回の調査と研究会では、事態はそう単純ではなかったことがわかってきた。たとえば「言文一致文」ひとつとっても、演説・落語・翻訳・説教・写生文・おとぎ話といったいくつもの「話しかたの類型」がある。漢詩や和歌(短歌)、俳句といった伝統詩歌にルールがあることは言うまでもないが、近代詩や童謡にさえ作法書が数多く存在する。書簡や紀行文、日記などの作法書にはこうした「書きかたのルール」が堆積していった様が如実にあらわれており、女性の言葉を規定する作法書やアンソロジーは、それ自体が一つのジャンルとなるほどの量だ。近代の文学者たちは、これらのジャンルごとの類型を巧みに使いこなし組みあわせながら新しい言葉を紡いでいた――そうした歴史が見えてきたのである。
一方でこれらの文例集には、読者たち、とりわけ当該ジャンルを書いてみようと試みる「書く読者」を導く役割もあった。文学辞典を装いながら、引用元の言葉を改変しつつ用例として示したり、引用例を新時代の文学にかぎって文学の言葉を根こそぎ変質させようと目論む本もある。若い読者たちを自分たちの言葉に招き寄せ編成していくこうした試みが、次世代の文学動向と関わっていることも見えてきた。
こうした研究の成果として、最終年度に国文学研究資料館編『文体史零年 文例集が映す近代文学のスタイル』(2025、文学通信)という論集を、共同研究メンバーに研究会参加メンバーを加える形で刊行した。論考が取り扱うジャンルは、演説・翻訳・小説・和歌(短歌)・写生文・和文・漢詩・女性・連句・美文・小品文・自然主義などの作法書、辞書、アンソロジー。論考で扱えなかった「文例」のひろがりを掴んでいただくために、カタログ「文範百選」も掲載してある。執筆者に恵まれたおかげで、既に「図書新聞」紙に中山弘明氏の懇切な書評が載り、日本近代文学会東北支部のシンポジウム「文学史をどう描くか」にて多田が本書にもとづく報告を行うなど、好意的な反響を呼んだ。
さらに「国文学研究資料館文例集コレクション」として寄贈した1,700点ほど(共同研究期間中に数が増えた)の目録と、出版記念座談会「徹底討議5万字 語りつくす文体史のゆくえ」を文学通信のHP に掲載している(後者はご要望を受け、『徹底討議5万字! 語りつくす文体史のゆくえ』(2025 ・12、文学通信)として刊行)。なぜかまた手元に100冊ほど溜まりはじめた文例集を眺めながら、あたらしく開けてきた「文体史による文学史」のゆくえを楽しみに見つめているところである。

