『源氏物語』とその前後


国文学研究資料館  第七十五回通常展示
平成十二年九月二十六日〜十月十三日
*この資料は十月二日から十三日までの展示についてのものです。



 『源氏物語』は、日本の古典文学作品の中で最も人口に膾炙している作品の一つでしょう。ミレニアムの今年は『源氏物語』から約千年が経っているわけですが、今なお、原文の活字テキストや現代語訳、評論などはもちろんのこと、漫画化されたものや『源氏物語』の電子テキスト、『源氏物語』の世界を映像で再現するCDまで陸続と出版され、人々に親しまれてきています。今回は、『源氏物語』の本文、『源氏物語』の時代とその前後、『源氏物語』の影響と享受という三点からの展示を試みました。

 なお、会期始めの四日間については、宮内庁書陵部の御好意により、特別展観として書陵部蔵青表紙本『源氏物語』の展示を行います。特別展観終了後は、展示品の入れ替えを行い、当館の資料のみの展示となります。






I 『源氏物語』の本文 ―さまざまな『源氏物語』―

 平安時代の古典文学一般について言えることであるが、藤原道長の『御堂関白記』の道長自筆本が陽明文庫にあるなどの稀な例を除いて、平安時代に書かれた書物の作者自筆本が残っていることは極めて稀である。『源氏物語』についても、紫式部自筆本はおろか、平安時代に書写された『源氏物語』の伝本や古筆切の断簡一葉ですら、現在までのところ発見されていない。

 書写によって流布していく書物は、転写の過程において、書写者の恣意的な改竄や不注意による誤写・脱字などが生じてしまうことは往々にしてある。鎌倉時代初期、ほぼ同じ頃に『源氏物語』の伝本を見較べた藤原定家と源親行の二人は、「無証本之間、尋求所々、雖見合諸本、猶狼籍未散不審」(『明月記』嘉禄元年(一二二五)二月十六日条)、「和語旧説真偽舛雑」(東山文庫本奥書)と、伝本相互の本文が混乱・矛盾していた当時の状況について述べている。今日知られるだけで、鎌倉〜室町時代末までの書写本は百数十本とされているが、池田亀鑑氏は、約三百点、冊数にして一万五千冊を調査した上で、『源氏物語』の伝本を、藤原定家による青表紙本、源光行・親行の父子による河内本、上記二系統に含まれない伝本を一括しての便宜的名称(従って共通の性格を持つ一系統の本文ではない)である別本、の三類に分けた。その成果として、『源氏物語大成』には、青表紙本二十五本・河内本二十本・別本十六本の校異が掲げられている。ただしこの三分類の正当性については現在再検討もなされている。

 藤原定家は、歌人としては勿論のこと、古典文学の書写・校勘の面での功績が多大であり、『古今集』『伊勢物語』『更級日記』など平安朝文学の主な作品は、多く定家書写の系統が流布本になっている。その定家本の『源氏物語』を青表紙本と称することは、すでに中世に始まっているが、後掲『明月記』元仁二年(一二二五)二月十六日条に家中の女性達を動員して『源氏物語』を書写させたことが記されており、尊経閣文庫蔵「花散里」「柏木」、関戸家旧蔵の「行幸」、保坂家旧蔵の「早蕨」などが、その時の書写の一部にあたるとされ、青表紙本の原本とみなされてきた。しかし定家の『源氏物語』書写は一回限りではなくて複数回に及んでいたらしく、青表紙本が単一の定家自筆本から派生したものという考え方には近年再検討が加えられている。

 これに対して、源光行とその子親行が、二十一部の古写本を集め、校合の上解釈を加え、定本として家に伝えた本が河内本である。光行・親行がともに河内守を歴任しているため河内本の名称が冠せられている。校勘に校勘を重ねて「殆散千万端之蒙」という。つまり河内本は、いわば新たに作り出された意味の通りやすい混成本文であった。河内本は南北朝期・室町初期までは青表紙本よりもむしろ盛んに用いられたらしいが、室町中期、宗祇・三条西実隆の頃から、定家の青表紙本を尊重すべきことが強調され、それ以後河内本は研究者の目にほとんど触れなくなり、近代まで世に埋もれてしまうこととなった。

 ちなみに中世におけるこの青表紙本・河内本という二つの校訂本文の完成と流布は、それまでの平安朝の本文の消滅をも意味していたと言えよう。『源氏物語』原典の精確な復元は現在ではもはや不可能と言ってよい。

 現在青表紙本の最善本とされるのは大島本であり、平成八年影印が刊行された。他には青表紙本系統の写本として、前掲の定家本「花散里」ほか、東海大学蔵桃園文庫明融本、元応二年奥書穂久邇文庫本、日本大学蔵三条西家証本、今回展示する宮内庁書陵部蔵三条西家青表紙本などが主な伝本であるが、他系統の巻の本文が混じっている場合も少なくない。また近年は青表紙本のみではなく、別本の研究も急速に進展しつつある。河内本については東山御文庫本、尾州家本、高松宮家本、中山家本等が紹介・複製(影印)刊行されている。

 版本については、古活字版が四、五種あり、整版では慶安三年(一六五〇)山本春正跋の『源氏物語』絵入本、いわゆる「絵入源氏」が最も古く、五十年以上も後刷りされ、中でも承応三年(一六五四)版が最も普及した。またこれを踏襲した万治三年(一六六〇)刊の横本と寛文頃(一六六一〜一六七三)刊の無刊記小本がある。そして詳細な注を加えた首書(かしらがき)源氏が寛文十三年(延宝元年・一六七三)刊行された。このほか、刊年不明(寛文頃か)の無注本(通称「素源氏」)があり、稀にこれを踏襲したらしい横本もある。これら版本の本文は共通しておおむね青表紙本三条西家本系統の本文に近いことが指摘されている。近世・近代の流布本であった版本の本文についても、近年研究が進められている。



〔1〕写本
一 藤原定家筆青表紙本『源氏物語』「柏木」「花散里」
                      【複製本:シ4―173】

 写 各一帖。尊経閣文庫蔵。前述のように、いわゆる青表紙本の原本と見なされている本。なお「柏木」は、途中までが定家の自筆で、後の部分は周囲の人物による別筆とされている。冷泉家の古典書写ではこのような方法が多く取られた。
〈参考〉明融本『源氏物語』「柏木」 【影印本:イ9―70―2】
室町末期の書写であるが、定家筆本と比較すると、この「柏木」に関しては、字形・字詰・行数から校訂の跡まで共通しており、定家筆本を忠実に写した臨模本として、青表紙本を再建する上で重視されている。

二 宮内庁書陵部蔵青表紙本『源氏物語』 【複製本:シ4―35】

 写 五十四帖。三条西実隆ほか写。「桐壺」巻末に、「此物語五十四帖以青表紙証本令書写校合 銘是当代宸翰也 殊可謂珍奇 可秘蔵々々 権大納言藤実隆(花押)」、「夢浮橋」巻末に、「此物語以青表紙証本終全部書功者也 亜槐下拾遺小臣(花押)」という実隆の自署の奥書がある。他の巻々は末尾に実隆の花押のみを記す。実隆奥書本、実隆加証奥書本、あるいは奥書の言辞から青表紙証本と呼ばれることもある。「玉鬘」「匂宮」二帖は青表紙本ではなく河内本に属する本文であり、「須磨」「梅枝」「柏木」「宿木」四帖は別本の本文とすべきことが指摘されている。旧日本古典文学大系(岩波書店)の底本。附属の「源氏物語筆者の数」によれば、実隆筆は、「篝火」一巻のみ。周囲の堂上人や連歌師などに依嘱して成った寄合書であり、外題に「当代宸翰」を奏請することで権威を高めた本か。

三 源氏物語(鈴虫) 【12―478】

 写 一冊。室町末期写。題簽が剥落して外題はなく、内題もない。「横地氏珍蔵記」「靄隅文庫」「菅原院印」の印記。本文は青表紙本系統に属する。朱による異文の校合の書入れがある。『源氏物語大成』の校異に採られた本。

四 源氏物語(浮舟) 【12―479】

 写 一冊。江戸中期写。外題「源氏宇治十帖 完」とあるが「浮舟」巻のみ。内題はない。「横地氏珍蔵記」「靄隅文庫」の印記。本文は青表紙本系統に属する。異文の校合の書入れがある。西下経一氏による付箋があり、「浮舟一巻 横地氏珍蔵記ノ印アリ、曽テ京都佐々木ヨリ購入シタル鈴虫一巻(河内本)モ同様ノ印アリ 昭和五年五月九日 西下経一」と記されている。

五 源氏物語 【サ4―14】

 写 五十三冊。江戸中期写。奥書なし。「夢浮橋」を欠く。「寿松堂之印」の印記がある。主として前半に異本と校合した書き入れや貼り紙等がある。

〔2〕版本
六 源氏物語(若菜上・総角) 【12―472】

 刊(古活字版) 二冊。「わかな上」「あけまき」各一冊のみ。刊記はない。「竹田蔵書之印」「竹田支雄」の印記がある。『源氏物語』の古活字版は数種あるが、うち寛永年中刊の無刊記本。本文は青表紙本系統に属する。朱の合点や、書入れなどがある。なお「あけまき」第三十六丁は補写したもの。

七 源氏物語(慶安本・承応三年版) 【サ4―26】

 刊 五十四冊。大本。承応三年(一六五四)、洛陽八尾勘兵衛刊。慶安三年(一六五〇)山本春正跋。この本文五十四帖・五十四冊に、「源氏目案」三冊、「引歌」「系図」「山路露」合わせて六十冊として出版された。各冊五〜一〇三丁、絵各一〜一〇図、総計二二六図、うち見開き一二図。この承応三年版は、慶安三年跋『源氏物語』、いわゆる「絵入源氏」の中で最も普及した。清水婦久子氏『絵入源氏』(おうふう、平成五〜)によれば、この慶安本は、@初版(無刊記)A再版(承応三年八尾勘兵衛の刊記・折り目に「桐壺一」の形式)B再版後刷本(刊記Aと同じ・ノドに「キリツホイ一」の形式)C出雲寺版(刊年なし、出雲寺和泉掾刊)D無刊記後刷本(無刊記)の五種に分類され、この慶安本は五十年以上も同版で増刷を繰り返した。清水説によるなら、本書は「桐壺」のみAに、他はBにあたることになる。
 山本春正は蒔絵師を本業とした地下歌人で、本書を編集すると同時に全二二六図の版下を描いたものと見られ、専業の絵師が出現する以前の大作として、注目すべきものである。この「絵入源氏」は、一般多数の人々に読みやすい『源氏物語』として提供された最初のテキストであり、濁点・読点・振り仮名・傍注などが付された形は、『首書源氏物語』『湖月抄』にも踏襲され、以後の『源氏物語』テキストの基本となった。また異版として次の八・九が作られた。
〈参考〉絵入源氏 CD―ROM
  本書は、当館の原本データベース『絵入源氏』の底本として用いられた。

八 源氏物語(万治三年本) 【サ4―1】

 刊 三十冊。横本。万治三年(一六六〇)刊。「洛陽かしは屋渡辺忠左衛門」刊。三十冊のうち、本文五十四帖・二十五冊が絵入本。他の五冊は、「山路の露 系図」一冊、「源氏目案」三冊、「引歌 表白」一冊。七の慶安本に基づき、横本に仕立てたもの。慶安本と挿絵の数は一致するが、挿入位置(本文の切れ方)は一致しない。また本書万治本は横本であり、その挿絵部分は慶安本に比べて上下は約七糎短く、左右は三・五糎長いため、慶安本の挿絵の上下部が略されたり、左右に新たに描き加えられたり拡大されたりするなどの違いが見られる。山本春正自身が全図を書き直したとの説もあるが、絵の描き方はやや粗雑である。

九 源氏物語(無刊記小本) 【サ4―33】

 刊 三十冊。刊記なし。寛文頃(一六六一〜一六七三)の刊か。小本。見返しに「にほひまと」の印記あり。第十四冊「むめかえ」冒頭第一丁は補写。三十冊のうち二十五冊が本文の絵入本、他に「山路の露 系図」一冊、「引歌」一冊、「爪印」上中下三冊。挿絵の数・挿入位置とも慶安本に一致するが、本書は小本であるため、慶安本の六割ほどに絵が縮小され、込み入った図が略されたり部分的に変えられているところもある。慶安本挿絵が見開きの右にあれば、本書も必ず右側に入れるというふうにすべて一致させている。与謝野晶子が十二歳の時から愛読していた『源氏物語』はこの無刊記小本であったと言う。
〈参考〉挿絵の比較
慶安本承応三年版(七)万治三年本(八)無刊記小本(九)
掲出部分は「夕顔」巻、某院で六条御息所の物の怪によって夕顔が絶え入る場面。挿絵全体の構図は三本とも基本的には同じであるが、万治本は承応三年本の上下の雲霞や下の格子を切り詰め、左右の襖や几帳を横に拡大して模様を書き加えている。無刊記小本は、小さいため全体に粗い描き方で、人物の表情や模様などがわかりにくくなっている。

〔3〕絵巻
十 源氏物語絵巻 【複製本:ヨ1―9】

 平安末期、保安元〜保延六(一一二〇〜一一四〇)年頃の制作で、『源氏物語』が絵画化された、現存最古の例である。白河院か鳥羽院の周辺で、何人かの貴族が数巻ずつを分担して場面を選び、好みの画家と書家を組み合わせて、互いに競いながら制作し、院・女院に献じたものと推定される。本来は五十四帖全体の絵巻であったらしいが、現存するのは一部のみである。絵巻の詞書の本文を、そのまま『源氏物語』の伝本とみなすことはできないが、平安朝の本文を今日に伝えてくれる現存唯一のものとしても重要である。国宝。徳川美術館・五島美術館に分蔵されている。掲出部分は「鈴虫」巻(五島美術館蔵)、六条院内の女三宮の念誦堂の場面、及び源氏が冷泉院のもとに参上して、冷泉院と源氏が対座する場面。また「宿木」巻(徳川美術館蔵)、夕霧邸での匂宮と六の君(夕霧の姫君)の露顕(ところあらわし)(現代の結婚披露宴)の場面、及び自邸で琵琶を弾く匂宮と中君、秋の庭を描く場面。
  〈参考〉『紫式部日記絵巻』(五島美術館蔵) 【複製本:リ1―21】
  〈参考〉『源氏百人一首』 『百人一首かるた』

II 『源氏物語』の時代とその前後 ―平安時代―

 
 『源氏物語』作者である紫式部は、歌人・漢詩人藤原為時の娘で、生没年は未詳だが、生年は天禄元年(九七〇)〜天元元年(九七八)頃、没年は寛仁三年(一〇一九)前後と推定されている。『源氏物語』の成立と事情を窺わせる史料は極めて乏しく、同時代史料としては『紫式部日記』がほとんど唯一のものである。諸説あるが長保三(一〇〇一)年〜寛弘二(一〇〇五)年頃が、『源氏物語』執筆開始の時期とされている。その後、当時の最高権力者である藤原道長の娘で一条天皇の中宮彰子のもとに出仕することになったのも、『源氏物語』によってその文才が認められてのことであろう。『狭衣物語』や『栄花物語』などに『源氏物語』の影響が指摘されており、また『更級日記』の記事や『源氏物語絵巻』の制作などからみても、成立後まもなくから筆写され、急速に流布していったものと推定されている。
 『源氏物語』はそれ以前に成立した文学を吸収し、それ以後に成立した文学に多大な影響を与えている。『源氏物語』と全く無関係な作家・作者を探す方が難しいほどである。『源氏物語』の時代とその前後の文学を、本と共に辿ってみよう。

十一 古今和歌集 【12―20】

 写 一冊。室町前期写。真名序を欠く。いわゆる貞応二年本の系統に属し、日朗写本の転写。奥書に「正和元十月日 延山御師仍需書 日朗」とある。正和元年は一三一二年。
 『古今和歌集』は第一番目の勅撰集、延喜五年(九〇五)成立、紀貫之ら撰。日本文学の美意識の原点・規範として以後の文学に多大な影響を与えた。『源氏物語』もその一つである。

十二 後撰和歌集 【サ2―29】

 写 二冊。江戸中期写。全体にわたり作者勘注や本文への注記などの書き入れがある。奥書はないが、定家書写本の系統に属する。
 『後撰和歌集』は第二番目の勅撰集、天暦九年(九五五)〜天徳元年(九五七)頃の成立、清原元輔ら撰。贈答歌が多く、詞書が長大で、物語的傾向を持つ。

十三 九暦(きゅうれき) 【12―700】

 写 一冊。天明三年(一七八三)写。奥書に「天明三年七月三日写畢(花押)」とあり、次いで弘化五年(一八四八)に林羅山旧蔵本で校合したことを記す朱筆の奥書がある。
 『九暦』は藤原師輔の日記。師輔は関白忠平の子、従三位右大臣、村上天皇中宮安子の父。『後撰集』以下に入集する歌人で『師輔集』がある。掲出部分は天徳元年(九五七)正月一日条。

十四 竹取物語【サ4―31】

 刊 二冊。大本。江戸中期刊。絵入り本。『竹取物語』の刊本は、慶長古活字版以下、十一種ほど知られている。刊記「茨城多左衛門板」。朱の注がある。
 『竹取物語』は作者未詳、九世紀末頃の成立か。『源氏物語』の「絵合」巻に、「物語の出で来はじめの親なる竹取の翁」とあり、物語の始発であると意識されていた。

十五 伊勢物語 【サ4―37】

 写 一冊。江戸前期写。奥書は「抑伊勢物語根源古人説々不同…戸部尚書在判」「近代以狩使…戸部尚書在判」の奥書、続いて業平らの略伝を記す。全体に朱注あり。百二十五段本。定家本のいわゆる根源本(「抑伊勢物語根源…」の奥書を持つ本)の系統に属する。
 『伊勢物語』作者・成立未詳。九世紀末から十世紀にかけての長い間に、物語の中軸をなす章段に増補され次第に生長・発展した作品と考えられている。『源氏物語』の「総角」巻に「在五が物語」とあるのは『伊勢物語』のことをさす。

十六 大和物語 【12―439】

 写 一冊。江戸中期、覚恕写。巻末に「寛喜三年八月十八日…」で始まる定家本の奥書があり、「覚恕(花押)」と記されている。定家本一七〇段(青柳の糸)途中よりの零本。昭和四年に西下経一氏が慶安本により校合(朱)。
 『大和物語』は歌物語、作者未詳。十世紀中葉に原形が成立し、一条朝の始め(一〇〇〇年頃)に現存本に近くなり、その後も流動したらしい。

十七 宇津保物語 【サ4―24】

 刊 三冊。万治三年(一六六六)刊。絵入り本。これは「俊蔭巻」のみ。「家治」ほか多数の印記あり。刊記「洛陽今出川林和泉掾開板」。
 『宇津保物語』は作者・成立未詳、天元〜長徳(九七八〜九九九)頃の間の成立かとされる。『源氏物語』に先立つ、文学史上最初の長編物語。

十八 落窪物語 【サ4―56】

 刊 三冊。寛政六年(一七九四)木活字版。巻頭に「野崎蔵書」の朱文方印。刊記は「くはん政六つのとし神無月初三日」と記される。上冊が巻一、中冊が巻二、下冊が巻三、四。岩波の旧日本古典文学大系の底本とされた刊本。
 『落窪物語』は作者・成立未詳、十世紀末には成立していたとされる。継子苛め譚の話型による物語。

十九 長恨歌抄 【ワ8―14】

 刊 一冊。古活字版(寛永年間)。序題・内題「長恨歌」、尾題「長恨歌抄」。刊記はない。『長恨歌抄』は『長恨歌』に注を付したもの。
 『長恨歌』は、唐の白楽天作、玄宗と楊貴妃についての長編詩。日本でも早くから享受され愛好された。和歌や物語、歌論、朗詠、説話ほかに多く見え、『源氏物語』でも諸処に「長恨歌」の引用が繰り返されている。

二十 和漢朗詠集 【サ1―2】

 写 二冊。室町末期写。奥書はない。箱書に「光源院殿義輝公御筆」とあり、足利義輝筆と伝えるが未詳。
 『和漢朗詠集』は藤原公任撰、寛弘〜寛仁(一〇〇四〜一〇二〇)頃の成立。漢詩文と和歌の撰詩歌集。成立当初から後世に至るまで広く享受され、後代の文学に大きな影響を与えた。前掲『長恨歌』からも採られている。

二十一 枕草子【15―580】

 写 三冊。江戸前期写。外題「清少納言 上(中、下)」。安貞二年(一二二八)と文明乙未(一四七五)の奥書を持ち、三巻本の系統に属する。箱書に「昌叱筆」とあるが未詳。昌叱(しょうしつ)は、連歌作者、天文八年(一五三九)〜慶長八年(一六〇三)。
 『枕草子』は作者清少納言、成立は西暦一〇〇〇年前後。清少納言は一条天皇后定子に仕えた。随筆であるが女房日記としての性格を持ち、『源氏物語』と共に一条朝の女房文学として記念碑的作品である。

二十二 紫式部日記【ヤ0―82―6】

 『扶桑拾葉集(ふそうしゅうようしゅう)』の一冊。『扶桑拾葉集』は徳川光圀編、元禄二年(一六八九)成立。伝本は夥しくあるが、これは享保十二年(一七二七)浅野氏備写、三十巻三十五冊。
 寛弘五(一〇〇八)年秋から同七年の間の一条天皇の中宮彰子のもとでの宮仕えの日記。掲出した場面(寛弘五年十一月一日)から、当時『源氏物語』には少なくとも、「物語の本ども」(定稿本)、「隠しおきたる」(草稿本)、「よろしう書きかへたりし」(改稿本)等があったようで、ともに紫式部の手を離れて流布していったことがわかる。

二十三 紫式部日記絵巻 【複製本:ヨ1―48】

 日野原家本一巻。重要文化財。十三世紀前半成立か。画は藤原信実、詞書は藤原良経と伝えられるが未詳。詞書六段、絵六段より成る。掲出部分は第三段、局で寝ている紫式部を藤原道長が訪ねる場面を描く。

二十四 赤染衛門集 【12―291】

 刊 四冊。貞享五年(一六八八)刊。刊記「武陽松葉清兵衛」。
 『赤染衛門集』は赤染衛門の家集。赤染衛門は長徳(九九五)〜寛弘(一〇一二)年間頃藤原道長室倫子に仕え、和泉式部・清少納言・紫式部・伊勢大輔・相模らと交友があった。紫式部は赤染衛門を好意的に評している(『紫式部日記』)。一条朝を代表する才女の一人。

二十五 栄花物語【サ4―43】

 刊 二十冊。古活字版(元和・寛永頃)、十一行本。「岡田真之蔵書」の印記がある。改装裏打されている。
 『栄花物語』は歴史物語。正編三十巻と続編十巻とがあり、成立も作者も異なるが、正編は赤染衛門作かと言われている。正編は村上朝以後の、後宮を中心とした歴史を叙述、特に藤原道長の栄華とその死までを描く。

二十六 伊勢大輔集【12―293】

 写 二冊。江戸後期写。外題・内題「伊勢大輔和哥集」。各冊巻頭に「藤波家蔵書」の印記。上冊は一類本(群書類従ほかの雑纂本)に属するが歌数や本文に異同があり、下冊は二類本(伝良経本ほかの部類本)に属するという取り合わせ本。
 伊勢大輔は大中臣輔親女。寛弘四(一〇〇七)〜五年頃、上東門院彰子に出仕、紫式部の同僚であった。『伊勢大輔集』には紫式部・和泉式部・赤染衛門・相模らとの交友が見える。頼通時代から後冷泉朝にかけて数々の歌合に出詠して活躍した。成立直後の『源氏物語』の影響が『伊勢大輔集』にあることが指摘されている。

二十七 源重之女集 【12―287】

 写 一冊。江戸中期写。外題は「源重之女集」、内題はない。奥書なし。内容は『源重之女集』ではなく、共に伝藤原行成筆の針切として伝わる『重之子僧集』と『相模集』の各残欠を続けて書写したもの。表紙は後補、朽葉色地に格子縞を引き、金で藤の花を描く。
 重之子僧は源重之の子、生没年・伝未詳。父の重之は三十六歌仙の一人で長保二年(一〇〇〇)頃没。相模は平安中期を代表する女性歌人で、正暦末頃(九九四)頃生、康平四年(一〇六一)以後没。

二十八 後拾遺和歌集 【12―240】

 写 一冊。室町末期写。外題「後拾遺和歌集 全」、内題「後拾遺和歌抄」。東野州筆と伝えるが、第一丁にそれを否定する貼紙がある。奥書・識語はない。作者に朱で注記が付されている。
 『後拾遺和歌集』は第四番目の勅撰集。撰者は藤原通俊、応徳三年(一〇八六)初奏覧、寛治元年(一〇八七)再奏覧。和泉式部・相模など女性歌人の入集が多く、女流文学全盛の時代を反映している。掲出部分は、巻一春上の、勅撰集にはじめて入集した紫式部の歌。『紫式部集』によると、初宮仕え後、里下りをしていた頃の作。

二十九 更級日記 【ヤ0―82―8】

 写 一冊。前掲『扶桑拾葉集』の中の一冊。
 菅原孝標女作。康平二年(一〇五九)以降の成立。孝標女は幼少の時、上総国で姉や継母から『源氏物語』を手にした。そして掲出部分、「昼は日ぐらし、夜は目のさめたるかぎり、火を近くともして、これ(『源氏物語』のこと)を見るよりほかの事なければ」といった具合に耽読した。先の『紫式部日記』の記事からわずか十三年後のことである。また受領層が揃いの『源氏物語』を持つほどに『源氏物語』が流布していたことを示している。

三十 浜松中納言物語 【12―608】

 写 一冊。江戸中期写。『浜松中納言物語』の現存伝本は五巻本であるが、これは巻一のみの零本。混態本か。漢字を表記する傍注や出典等を示す細字注などが付されている。
 『浜松中納言物語』は康平元年(一〇五八)以降の成立で、作者は菅原孝標女の可能性が高い。日本と唐土を舞台とし、夢と転生がモチーフの特異な物語。

三十一 夜寝覚物語 【13―1】

 写 五冊。室町末〜江戸初期写。「たか春の花のしをりにしのはれんわかわけくらすけふの山ふみ中邨秋香」「今泉文庫」「眞木園圖書記」等の印記。巻五の巻末に宝暦二年(一七五二)の旧蔵者による識語がある。金子武雄氏旧蔵。本書は『夜の寝覚』の改作本であり、通称中村本と称されるが、この中村本のほかには三条西家旧蔵本(巻三までの零本)が神宮文庫(巻二)と宮内庁書陵部(巻一・三)に蔵されるのみであり、現存では五巻揃いの唯一の伝本。『鎌倉時代物語集成』第六巻(笠間書院)他に本写本の翻刻がある。
 『夜の寝覚』は菅原孝標女が作者である可能性が高いが、前述のようにこれはその改作本。鎌倉末もしくは室町初期頃の成立か。ハッピーエンドに改作されている。

三十二 待賢門院堀川(たいけんもんいんほりかわ)集 【12―310】

 写 一冊。江戸中期写。巻末に「本云  右此本者二条為定卿以自筆正本写之 藤雅教(在判)  右飛鳥雅教卿以自筆之本書写校合畢」という奥書がある。総歌数一四三首で、流布本の通常の一三七首に『久安百首』の六首が補入されている。
 堀川(堀河)は歌人顕仲女。鳥羽天皇后待賢門院に仕えた。院政期の歌人達にも『源氏物語』は愛読され、後宮・女院などの文化圏でも広く深く享受された。この『待賢門院堀川集』の歌にも『源氏物語』の影響が指摘されている。

III 『源氏物語』の影響と享受 ―中世から近世へ―

〔1〕後代文学に与えた影響

 『源氏物語』が後代に与えた影響は巨大であり、あらゆるジャンルに及ぶ。和歌詠作における『源氏物語』取りは院政期から見られるが、それを意識的に方法化したのは藤原俊成・定家であった。韻文の世界において『源氏物語』は『古今集』等と並ぶ聖典として重要な位置を占めることとなる。一方、散文の世界においても、『源氏物語』は以後の物語文学を規制し、その呪縛のもとに『源氏物語』への憧憬と模倣とが繰り返されるのである。特にいわゆる中世王朝物語(擬古物語)には『源氏物語』の、中でも宇治十帖の影響は著しい。また源氏供養や『源氏物語』を模した行事、あるいは『源氏物語』の講義・論義、物語絵など、実際に展開されたさまざまな享受の片鱗を、種々の文献の片隅から窺うことができる。このほか連歌・俳諧・謡曲・室町物語(お伽草子)など、『源氏物語』が後代文学に与えた影響は極めて多岐に渡っている。

三十三 千載和歌集 【12―218】

 刊 一冊。文政七年(一八二四)刊。特小本。「皇都書林 吉田四郎右衛門 遠藤平左衛門 出雲寺文次郎」刊。
 勅撰和歌集においてはじめて『源氏物語』の巻名を詠じた歌が登場するのは藤原俊成撰『千載和歌集』である。掲出部分は巻十四、恋四、「寄源氏物語恋といふ心をよみ侍ける」という詞書の二首。巻名の「玉鬘」「関屋」を詠み込みながら、『源氏物語』の内容や作中和歌を踏まえて趣向を凝らした恋歌。院政期以降、題詠で『源氏物語』を詠む和歌は非常に増え、特に巻名を詠み入れた恋歌が多く、鎌倉期・室町期にも「源氏物語巻名和歌」はしばしば行われた。

三十四 六百番歌合 【12―364】

 刊 一冊。古活字版(寛永頃)、十二行本。「押小路文庫」の印記。巻一〜八。
 『六百番歌合』は建久四(一一九三)、五年の成立。新古今歌壇初期の後京極良経家歌壇における質量ともに空前の歌合。掲出部分では、「枯れ野」題の良経歌「みし秋を何に残さむ草の原ひとつに変る野辺の気色に」の第三句に「草の原、聞きつかず」という批判が出たのに対して、判者俊成が猛然と反駁し、これは『源氏物語』の「花宴」巻を踏まえていることを指摘、さらに「源氏さる(他本では「見ざる」)歌詠みは遺恨の事なり」という有名な言辞を放つ。この言葉は中世和歌と『源氏物語』の関係において極めて大きな意義を持つようになる発言であった。

三十五 無名草子 【影印本:チ4―154】

 水府明徳会影考館蔵の影印。津守国冬の転写本。
 著者は藤原俊成女説が有力。正治二年(一二〇〇)〜建仁元年(一二〇一)頃の成立。若い女房たちが語り合うのを老尼が書き留めたという形式をとった物語評論。物語・歌集・女性についての評論が展開される中で、『源氏物語』に多く言及されている。現在に伝わらない散佚物語も多く取り上げられている。掲出部分は『源氏物語』に登場する女性達についての批評。

三十六 明月記 【15―53(3)】

 写 四十八冊。江戸後期写。建久三年〜嘉禎元年。目録一冊、一〜四十五まで四十五冊、四十六・四十七は「後補」二冊、計四十八冊。頭書あり。
 『明月記』は藤原定家の日記。和歌詠作の上で定家は『源氏物語』を最も重要な古典作品として位置づけて受容し、また注釈『奥入』を著した。『明月記』掲出部分は『源氏物語』五十四帖の書写を示す部分。「自去年十一月、以家中女小女等、令書源氏物語五十四帖、昨日表紙訖、今日書外題」(元仁二年(嘉禄元年。一二二五)二月十六日条)とあり、家の女性達を動員して『源氏物語』五十四帖を書写させたと述べる。定家本青表紙本の成立に関わる有名な記事である。

三十七 新勅撰和歌集 【ア2―12―9】

 刊 一冊。小本。江戸後期刊。『二十一代集』の内。刊記なし。
 『源氏物語』以後の勅撰集はそれぞれ『源氏物語』からの影響を受けた和歌をおびただしく含むが、この『新勅撰集』もそのひとつで、第九番目の勅撰集、藤原定家撰。掲出部分は、釈教部、「紫式部ためとて、結縁経供養し侍ける所に、薬草喩品をくり侍とて 権大納言宗家 のりのあめに我もやぬれんむつましきわかむらさきのくさのゆかりに」とあり、紫式部のための一品経供養、いわゆる源氏供養である。これは藤原定家の母(親忠女)が御子左家の一族を動員して催した源氏供養であると推定されている。

三十八 源氏供養表白(げんじくようひょうびゃく) 【サ4―1―30】

 刊 一冊。万治三年(一六六〇)刊。横本『源氏物語』三十冊の内の、第三十冊末尾所収。
 伝聖覚作。聖覚は澄憲の子。父子ともに安居院流唱導・説法の名手として知られる。鎌倉初期の成立か。二十八に述べたような源氏供養に際して作られた表白が源氏表白である。澄憲作の漢文体『源氏一品経表白』に基づき、和文体で『源氏物語』の巻々の名を織り込んだもの。後に物語化されて『源氏供養草子』・謡曲「源氏供養」等を生む。近世には本書のように『源氏物語』刊本や『湖月抄』に付載されて流布した。

三十九 阿仏の文 

 写 一冊。室町前期から中期写か。外題「為家乃御前阿仏のふみ」、扉題「阿仏のふみ」。印記・奥書なし。『乳母のふみ』(『庭の訓』『阿仏の文』とも)は広本・略本があり、これは略本。略本は『扶桑拾葉集』にありその写しは多いが、古写本は少なく、そのうちの貴重な一本である。
 『乳母のふみ』(『阿仏の文』)は、広本が阿仏尼作、略本が後人による改作本とされている。娘の紀内侍へ宛てて書かれた女房の教訓書。阿仏尼は長く安嘉門院に仕えた女房であるが、女房にとって、『源氏物語』は必須の教養のひとつであった。掲出部分に「源氏・世継など、さるべからむ物をば、一わたり御らんじ候べく候。」とある。

四十 弘安源氏論議 【ヤ0―82―14】

 写 一冊。前掲『扶桑拾葉集』の中の一冊。
 『弘安源氏論議』は源具顕(ともあき)著。弘安三年(一二八〇)十月、春宮(後の伏見院)のもとで近臣達によって行われた『源氏物語』の論議十六番の記録。前半は忠実な論議記録で、後半はパロディ的な戯文。当時における『源氏物語』理解の深さ、享受の質の高さを窺わせる好資料。

四十一 増鏡 

刊 四冊。外題「増鏡 一(〜四)」。刊記なし。明暦頃の刊か。振り仮名つきの平仮名本。
 『増鏡』は歴史物語、作者・成立未詳。後鳥羽院誕生の治承四年(一一八〇)から後醍醐天皇の元弘三年(一三三三)までを、老尼の昔語りを作者が書き記す形で記述する。掲出部分は巻八十の「あすか川」、文永五年(一二六八)九月十三夜の「白河殿五首歌合」であるが、「御歌合ありしかば、内の女房ども召されて、色々の引き物、源氏五十四帖の心、さまざまの風流にして、上達部・殿上人までも、分ち給はす。」と書かれている。このように、鎌倉中後期、『源氏物語』が現実生活でさまざまな形で宮廷貴族に享受されていたことは、『とはずがたり』にも描かれている。

四十二 山路の露 【サ4―1―29】

 刊 一冊。万治三年(一六六〇)刊。万治本『源氏物語』(八参照)三十冊の内。
 『山路の露』は後人が創作した『源氏物語』「夢浮橋」巻の続編。成立・作者は未詳だが、建礼門院右京大夫作との説もある。後掲『源氏小鏡』に「その後山ちの露といふ物つくりて、たづねあひて対面し給へりと作りて侍り。それは五十四帖の外なれば、是にはなし」とある。
 なお『山路の露』と同様な後人の創作として『雲隠六帖』がある。『源氏物語』には光源氏の出家や死の場面は描かれておらず、早くより「幻」巻の後に「雲隠」という巻名のみで本文のない巻を置くことが始まったらしい。中世には天台三大部六十巻に準じて、『源氏物語』を六十帖とする考えがあり、雲隠六帖はそれにあわせて新たに補作された六帖の総称。

四十三 住吉物語 【12―625】

 刊(古活字版) 一冊。下冊のみの零本。本文第一丁に「睦堂」の印記。『住吉物語』の伝本はきわめて多く、うち古活字版には十行と十二行の二種三版があるが、これは元和寛永中刊とされる十二行本。
 『住吉物語』は作者・成立未詳の中世王朝物語。原『住吉物語』の成立は『源氏物語』以前、十世紀後半であるが、散逸した。『源氏物語』にも影響を与え、「蛍」巻にも挙げられている。現存本はその改作であり、一般には鎌倉期の成立かとされるが諸説ある。継子苛め譚の代表的物語で、他の物語に影響を与え、室町期には絵巻や奈良絵本としても広く享受され愛読された。

四十四 とりかへばや 【12―614】

 写 四冊。江戸初期写。外題はなく、内題「とりかへばや」。
 『とりかへばや』は作者・成立未詳の中世王朝物語。原『とりかへばや』の成立は院政期かとされるが、散逸して現存せず、現存本『とりかへばや』(『今とりかへばや』とも)はその改作であり、鎌倉時代初頭の成立かとされる。『源氏物語』の影響が強いが、性の偽装を素材に悲喜劇を展開する特異な物語である。

四十五 しのびね物語 【12―616】

 写 二冊。江戸中期写。外題「忍び音 上(下)」。上冊に「松濤園蔵書」、各冊首に「富小路」の印記。上冊途中まで朱による書入れあり。『しのびね物語』は現在三系統に分類されているが、その第二系統(宮内庁書陵部東山御文庫蔵本、天理図書館蔵一冊本、影考館文庫蔵本ほか)に属する。
 『しのびね物語』は作者・成立未詳の中世王朝物語。原作は平安末期成立の散逸物語であり、現存本はその改作で、南北朝の成立かとされる。悲恋遁世譚の代表的擬古物語。

四十六 我身にたどる姫君【13―2】

 写 四冊。室町末期写。外題はなく、内題として各巻本文第一行肩に「我身にたとる姫君」と小書。八巻で各二巻一冊。うち巻八の書写は粗雑である。奥書・印記はないが、九条家旧蔵本で、金子武雄氏旧蔵。伝本は他に前田尊経閣本と宮内庁書陵部本(いずれも近世初期写)があるのみ。三本間にさほど優劣・差異はなく、同一系統に属するとされている。『鎌倉時代物語集成』第七巻他に本写本の翻刻がある。
 『我身にたどる姫君』は作者未詳の中世王朝物語。鎌倉中期の成立。七代、約半世紀にわたって、「我身にたどる姫君」の生涯とその一族を描く長編物語。

四十七 恋路ゆかしき大将【13―3】

 写 一冊。室町末期写。外題はなく、内題として各巻本文第一行肩に「恋路ゆかしき大将」と小書。奥書・印記はないが、九条家旧蔵本で、金子武雄氏旧蔵。四巻一冊。この物語は本来五巻であるが、そのうち巻四後半と巻五を欠く。伝本は他に桂宮本が知られるのみで、これは巻四後半以下の断簡群。『鎌倉時代物語集成』第三巻他に本写本に翻刻がある。
 『恋路ゆかしき大将』は作者・成立未詳の中世王朝物語。鎌倉後期ないし南北朝・室町時代の成立か。貴公子三人の恋愛遍歴を描く。

四十八 狭衣 【タ4―51】

 刊 一冊。寛永(一六二四〜四四)頃刊の丹緑本。上巻はなく、下巻のみの零本。絵は片面六図がある。丹緑本は、江戸初期の寛永から寛文頃(一六二四〜一六七三)、版本の挿絵に赤・緑・黄などの淡彩を手で加えた筆彩本のことで、手間と費用のかかる絵巻に比べると手軽に量産できる彩色絵入本であった。
 『狭衣』は『狭衣物語』から、狭衣少将と飛鳥井姫の恋物語の部分を採って潤色した改作で、室町物語化されたものである。

四十九 物語書目備考 【13―4】

 写 一冊。文政七年(一八二四)序・写。伴直方の自筆稿本。外題「物語書目備考 附録」。「中川氏蔵」「眞木園圖書記」「洒竹文庫」「伴氏家印」「金子」等の印記あり。巻頭に「物語書目備考のおほよそ」として序文を記し、最後に「文政七年八月伴直方」と記す。
 物語の目録書。伴直方編。作り物語から説話集・偽書まで、種々の物語名を、いろは順で記し、注などを付す。国会図書館本ほかの伝本があるが、本写本はそのもとの草稿本として知られている本。多数の貼紙・書入れ等がある。

五十 源氏供養 【タ7―6―17】

 刊 一冊。明和二年(一七六五)刊。能の本五十九冊の内。外題「紫式部」とある。印記なし。「日本橋通壹町目 御書物師 出雲寺和泉掾」刊。
 『源氏供養』は謡曲。夢幻能。世阿弥作。一説に金春禅竹作。前掲『源氏供養表白』(伝聖覚作)を素材としたものである。

〔2〕注釈書・梗概書などの形成

 院政期以降、青表紙本・河内本のような本文の整定と共に進められたのが注釈作業である。出典・有職故実・引歌・語釈などの詳細な訓詁注釈の源氏学は南北朝期の『河海抄』を頂点とする。室町期になると物語の場面を重んじ、登場人物の心情や文意の解釈などに力を入れた注釈が作られていく。また連歌の隆盛に伴い、地下の連歌師が貴族達に代わって源氏学を担う主流となり、連歌師の用いる梗概書等が作られ、武士達をも含んだ広範な享受層を獲得し、厖大な量の注釈が生み出され、室町末には『岷江入楚』に代表される諸注集成へと向かう。そして近世になると、出版によって、『源氏物語』が普及すると共に、『湖月抄』など啓蒙的な注釈が作られ、やがて国学の勃興により『源氏物語玉の小櫛』のような達成を見るに至る。また系図や辞書などの参考書も必要に応じて作られた。

五十一 源氏釈(げんじしゃく) 【12―591】

 写 一冊。昭和四年写。宮内庁書陵部蔵本の新写。書陵部本は「明石」巻までの残欠本。
 『源氏釈』は、藤原伊行著。平安末期成立。『源氏物語』の最古の注釈書。世尊寺伊行は能筆家としても知られ、娘に建礼門院右京大夫がいる。本書は、伊行本『源氏物語』の本文の行間や余白に、引歌や漢詩文・故事など書き入れていたものを、物語本文とともに抜き出して別冊化したもの。出典が主で語釈は少ない。抄出については、伊行自身ではなく、後人の所為とする説もある。断片的ながら平安末期の物語本文を知ることができる。

五十二 奥入(おくいり) 【複製本:シ4―115】

 写 一冊。藤原定家筆。大橋寛治氏蔵、国宝。
 藤原定家著。天福元年(一二三三)以降の成立。定家は所持していた本の各帖の奥(巻末)に、随時、『源氏釈』や引歌・出典・有職故実などについての自身の見解を書き付け、最晩年にその注記部分を切り取って別冊の一帖とした。これが『奥入』であるが、第一次本・第二次本・別本など諸本がある。青表紙本の中には定家筆本や明融本など、巻末に『奥入』があるものがある。

五十三 紫明抄(しめいしょう) 【12―531】 

 写 九冊。巻十欠。昭和三年写。内閣文庫蔵本の新写。
 源光行の子、源親行の弟、素寂著。鎌倉後期成立。十巻十冊。永仁二(一二九四)年以前の成立河内本系の本文を引き、『源氏釈』『奥入』を取り入れながら、引歌や故事出典を指摘し、また『文選』『白氏文集』『万葉集』『日本書紀』などを典拠として、仮名に漢字をあてることで語句の意味を示す。

五十四 河海抄(かかいしょう) (1)【12―513】 (2)【ヨ1―7】

 (1)写 二十冊。江戸中期写。各冊初めに「桑原文庫」の印記。奥書・識語の類はない。『河海抄』の伝本は多く、中書本(初稿本)と覆勘本とに大別されるが、中書本の系統に属するか。
 (2)写 巻子本一軸。室町末写。「松風」巻のみ伝存。もとは冊子本か。外題はなく、巻末に識語などもない。巻初に付された極札に「大炊御門殿経名公 第十三松風(印)」と記される。経名は室町後末期の人。伝本としては中書本の系統に属する。
 『河海抄』は四辻(よつつじ)善成著。貞治(一三六二〜六八)年間の初め、足利二代将軍義詮の命により撰進。『奥入』『紫明抄』などの先行注釈書をふまえつつ、さらに豊富な資料を引用する博引傍証の注釈であり、室町以降の注釈書への影響も多大である。「准拠」の問題など、今日の研究においてもなお立脚すべき点が少なくない。また四辻善成は、後年にその秘説を別冊化した『珊瑚秘抄』を作成している。

五十五 仙源抄 【12―516】

 写 一冊。江戸中期写。筆者の跋文のほかには、奥書・識語の類はない。項目数の上では耕雲本・神宮文庫本に近い系統の本。
 『仙源抄』は長慶天皇著、弘和元(一三八一)年の撰述。『源氏物語』中の約一千語の語句を注し、「いろは」順に配列したもの。『水原抄』『紫明抄』『原中最秘抄』といった河内方の説、定家自筆本との比較、さらに後醍醐・後村上天皇の説などを批判統合し、自説を「愚案」として記す。

五十六 源氏大鏡 【12―550】

 写 三冊。昭和三年写。東京大学蔵本の新写。
 『源氏大鏡』は『源氏物語』の梗概書。三巻。著者未詳、南北朝時代の成立か。梗概の内には『源氏物語』の和歌をすべて含め、またその途中で随時、語釈・有職故実・和漢の故事・引歌・人物の系図などにふれる。梗概化には、河内本または別本の本文を使用しており、南北朝時代の流布本文の資料としても重要である。

五十七 源氏小鏡 【サ4―23】

 写 一冊。永禄四年(一五六一)写。「藤裏葉」からの下冊のみ。外題に「源氏写本」とあるがこの表紙は後補。永禄四年(一五六一)の書写奥書がある。
 『源氏小鏡』は『源氏大鏡』とならぶ『源氏物語』の代表的な梗概書。著者未詳、南北朝時代の成立か。異本が多く、書名も様々である。『源氏大鏡』と異なり、和歌はすべてを引くわけではなく、各巻に連歌寄合の語を載せる。連歌師たちの必須教養であった『源氏物語』の世界を、直接原典を読むのではなく、こうした梗概書によって、巻の主要な場面を知識として身につけていたのである。

五十八 源語秘訣(げんごひけつ) 【12―519】

 写 一冊。享保七年(一七二二)写。外題「源氏物語切紙」、内題「源語秘訣」。内容も『源語秘訣』であるが、十五箇条のうち一条を欠き、注記の一部に省略がある。巻末に文明十三年(一四八一)十月十日の中院通秀の奥書があり、その裏に「享保七年壬寅五月望日」とある。
 『源語秘訣』は一条兼良著、文明九年(一四七七)二月成立。『花鳥余情』に「秘説これあり、別にしるすべし」等とした条についての注で、全十五箇条。秘説として子の冬良に与えたもの。

五十九 源氏物語系図  【12―592】 

 写 一冊。外題・内題なし。江戸中期写。遊紙裏に「福森」の墨書と「福森蔵書」の印記。巻末に耕閑軒(兼載)本を書写した旨の奥書がある。三条西実隆が長享二(一四八八)年以後に作成した系図で、成立時期により四種に分類されるが、これは文亀四年(一五〇四)本の系統に属する。この系統の伝本は数多い。
 『源氏物語』読解の便のために作中人物を系図化したもの。このような系図は中世から近世にかけて種々作られた。『源氏物語』の研究・享受資料としても貴重なものである。

六十 岷江入楚(みんごうにっそ) 【12―517】

 写 五十五冊。江戸中期写。第一冊のみ朱筆の書入れあり。『岷江入楚』の伝本は多いが、内容的にはそれほど異同はない。
 『岷江入楚』は中院通勝(なかのいんみちかつ)著、慶長三(一五九八)年成立。細川幽斎の要請を受けて成った『源氏物語』の諸注集成。三条西家説を中心として、それまでの源氏学の集大成を試みたもの。集成された諸注釈は「河」(『河海抄』)・「花」(『花鳥余情』)・「弄」(『弄花抄』)・「秘」(称名院=三条西公条説)・「箋」(三光院=三条西実枝の『山下水』と通勝自身の聞書)・「或抄」(『長珊(ちょうさん)聞書』)の六種。掲出部分は「桐壺」巻冒頭。

六十一 湖月抄(こげつしょう) 【サ4―6】

 刊 三十四冊。延宝三年(一六七五)頃刊。「長文庫之印」の印記。「帚木」「夕顔」「若紫」「松風」「薄雲」「朝顔」「若菜上」「柏木」〜「夢浮橋」を欠く三十四冊のみの残欠本。
 北村季吟(きぎん)著、延宝元年(一六七三)年成立。書名は、紫式部が石山寺に参籠し、八月十五夜の月が湖を照らすのを見て『源氏物語』の想を得たとする中世の伝説に基づく。中世の注を継承しつつ、自説をも加えて簡潔にまとめられており、物語本文と一体化させることで、『源氏物語』の普及と研究に大きく寄与した。

六十二 紫家七論(しかしちろん) 【12―514】

 写 一冊。明和六年(一七六九)写。外題「原本紫家七論」、内題「紫家七論」。第一丁に「東洲文庫」。巻末に、明和六年に山本伊左衛門威政が書写した旨の奥書がある。『紫家七論』の伝本は多いが、内容的には大きな異同はない。
 『紫家七論』は安藤為章著の物語評論で、元禄十六年(一七〇三)成立。『源氏物語』と紫式部に関する、はじめての本格的作家論。「才徳兼備」「文章無双」「作者本意」などの七項目を立てて、紫式部の伝記や思想などについて論じたもの。

六十三 源語梯(げんごてい) 【サ4―30】

 刊 一冊。天明四年(一七八四)刊。
 『源氏物語』の辞書。五井純禎(蘭洲)著。天明四年成立。ことばをいろは順に配列し、その中をさらに天地・時候などの部門に分類している。詳細な語釈を施し、俗語をもって訳しているところに特色がある。

六十四 源氏物語玉の小櫛 【12―480】

 刊 九冊。寛政十一年(一七九九)刊。外題「玉の小櫛」、内題「源氏物語玉の小櫛」。「橘氏蔵書」「芳宜園蔵」の印記。
 本居宣長著。寛政八年(一七九六)成立。契沖以降の国学者の『源氏物語』研究は、宣長によって大成されたと言ってよい。「もののあはれ」論はもちろんのこと、年立や語釈についても今日なお評価が高く、近代の『源氏物語』研究の端緒をなす画期的な業績である。

六十五 源氏装束文化考 【12―511】

 写 一冊。江戸末期写。外題「源氏装束図式文化考 下」。本来は上中下三巻のうちの、下巻のみの零本。
 巻末に自跋があり、中野貞利著、文化年間(一八〇四〜一八一八)の成立か。直衣など装束の図が描かれ、説明と『源氏物語』の本文が引用される。

〔3〕さまざまな享受

 院政期・中世期にも、『源氏物語絵巻』が作られ、さまざまな形の『源氏物語』享受があったことは前述したが、近世期には更に著しく大衆化した。文学作品への影響のみならず、『源氏物語』の絵、『源氏物語』のパロディを含んだ作品、草双紙的な翻案作品が書かれ、双六などの遊芸をはじめ、「源氏」と冠する多数の語彙が存するようにあらゆる分野に及び、文化全般において『源氏物語』の影響は枚挙に暇がなく、その享受の仕方はきわめて多彩であった。このような享受の様相は現代にまで続いていると言えよう。

六十六 源氏大和絵鑑(やまとえかがみ) 【12―487】

 刊 一冊。下巻欠。菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画。全十四丁、絵片面十四図。「貞享二年丑四月吉日 大和画師筆菱川師宣 大伝馬町三丁目うろこかたや開板」の刊記を有する霞亭文庫本等の諸本と同版か。貞享二年は一六八五年。
 各半丁で『源氏物語』各一巻を描いたもの。黄、紅などの手彩色がある。菱川師宣は寛文から元禄頃の人で、版本の挿絵画家としては名の明らかな最初の絵師。

六十七 俗解源氏物語 【ナ4―133】

 刊 六冊。享保六年(一七二一)刊。江戸山口屋権兵衛刊。奥村政信画。
 桐壺・帚木各三冊。各冊十一〜二十一丁、絵は各四〜五図。奥村政信は江戸の人で、元禄末期から宝永年間にかけて多くの絵を描いた。

六十八 源氏物語五十四帖絵尽 【12―600】

 刊 一冊。文化九年(一八一二)刊。渓斎英泉画。
 『源氏物語』五十四帖から、それぞれ一首ずつ歌を選び出し、絵を配したもの。これに新たに頭注などを加えた『源氏物語絵尽大意抄』は天保八年(一八三七)に刊行された。

六十九 偐紫(にせむらさき)田舎源氏 【ナ4―229】

 刊 三十八冊。合巻。初編〜三十八編。文政十二年(一八二九)〜天保十三年(一八四二)刊。江戸鶴屋喜右衛門刊。初編〜五編は天保三年の再板。
 柳亭種彦作、歌川国貞画。合巻の代表作。『源氏物語』を室町時代に移し、草双紙式の翻案を試みた長編合巻。将軍家斉の私生活を窺わせるとして、三十八編で絶版の処分を受け、三十九・四十編は未刊。

七十 (1)そのゆかり源氏すこ六 【12―496―1】

 刊 一枚。文久三年(一八六三)刊。改印「亥改」。豊原国周画。亀遊堂近久刊。

    (2)其紫湖月雙六(そのゆかりこげつすごろく)【12―496―2】

 刊 一枚。弘化四年〜嘉永五年(一八四七〜五二)刊。改印「村松」「福」。歌川国輝画。和泉屋市兵衛刊。
 『源氏物語』の双六であるが、もとになったのは『偐紫田舎源氏』や『室町源氏』と言われる幕末の合巻である。どちらも幕末のもの。



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