![]() |
『源氏物語』は、日本の古典文学作品の中で最も人口に膾炙している作品の一つでしょう。ミレニアムの今年は『源氏物語』から約千年が経っているわけですが、今なお、原文の活字テキストや現代語訳、評論などはもちろんのこと、漫画化されたものや『源氏物語』の電子テキスト、『源氏物語』の世界を映像で再現するCDまで陸続と出版され、人々に親しまれてきています。今回は、『源氏物語』の本文、『源氏物語』の時代とその前後、『源氏物語』の影響と享受という三点からの展示を試みました。 なお、会期始めの四日間については、宮内庁書陵部の御好意により、特別展観として書陵部蔵青表紙本『源氏物語』の展示を行います。特別展観終了後は、展示品の入れ替えを行い、当館の資料のみの展示となります。 |
I 『源氏物語』の本文 ―さまざまな『源氏物語』―平安時代の古典文学一般について言えることであるが、藤原道長の『御堂関白記』の道長自筆本が陽明文庫にあるなどの稀な例を除いて、平安時代に書かれた書物の作者自筆本が残っていることは極めて稀である。『源氏物語』についても、紫式部自筆本はおろか、平安時代に書写された『源氏物語』の伝本や古筆切の断簡一葉ですら、現在までのところ発見されていない。 書写によって流布していく書物は、転写の過程において、書写者の恣意的な改竄や不注意による誤写・脱字などが生じてしまうことは往々にしてある。鎌倉時代初期、ほぼ同じ頃に『源氏物語』の伝本を見較べた藤原定家と源親行の二人は、「無証本之間、尋求所々、雖見合諸本、猶狼籍未散不審」(『明月記』嘉禄元年(一二二五)二月十六日条)、「和語旧説真偽舛雑」(東山文庫本奥書)と、伝本相互の本文が混乱・矛盾していた当時の状況について述べている。今日知られるだけで、鎌倉〜室町時代末までの書写本は百数十本とされているが、池田亀鑑氏は、約三百点、冊数にして一万五千冊を調査した上で、『源氏物語』の伝本を、藤原定家による青表紙本、源光行・親行の父子による河内本、上記二系統に含まれない伝本を一括しての便宜的名称(従って共通の性格を持つ一系統の本文ではない)である別本、の三類に分けた。その成果として、『源氏物語大成』には、青表紙本二十五本・河内本二十本・別本十六本の校異が掲げられている。ただしこの三分類の正当性については現在再検討もなされている。 藤原定家は、歌人としては勿論のこと、古典文学の書写・校勘の面での功績が多大であり、『古今集』『伊勢物語』『更級日記』など平安朝文学の主な作品は、多く定家書写の系統が流布本になっている。その定家本の『源氏物語』を青表紙本と称することは、すでに中世に始まっているが、後掲『明月記』元仁二年(一二二五)二月十六日条に家中の女性達を動員して『源氏物語』を書写させたことが記されており、尊経閣文庫蔵「花散里」「柏木」、関戸家旧蔵の「行幸」、保坂家旧蔵の「早蕨」などが、その時の書写の一部にあたるとされ、青表紙本の原本とみなされてきた。しかし定家の『源氏物語』書写は一回限りではなくて複数回に及んでいたらしく、青表紙本が単一の定家自筆本から派生したものという考え方には近年再検討が加えられている。 これに対して、源光行とその子親行が、二十一部の古写本を集め、校合の上解釈を加え、定本として家に伝えた本が河内本である。光行・親行がともに河内守を歴任しているため河内本の名称が冠せられている。校勘に校勘を重ねて「殆散千万端之蒙」という。つまり河内本は、いわば新たに作り出された意味の通りやすい混成本文であった。河内本は南北朝期・室町初期までは青表紙本よりもむしろ盛んに用いられたらしいが、室町中期、宗祇・三条西実隆の頃から、定家の青表紙本を尊重すべきことが強調され、それ以後河内本は研究者の目にほとんど触れなくなり、近代まで世に埋もれてしまうこととなった。 ちなみに中世におけるこの青表紙本・河内本という二つの校訂本文の完成と流布は、それまでの平安朝の本文の消滅をも意味していたと言えよう。『源氏物語』原典の精確な復元は現在ではもはや不可能と言ってよい。 現在青表紙本の最善本とされるのは大島本であり、平成八年影印が刊行された。他には青表紙本系統の写本として、前掲の定家本「花散里」ほか、東海大学蔵桃園文庫明融本、元応二年奥書穂久邇文庫本、日本大学蔵三条西家証本、今回展示する宮内庁書陵部蔵三条西家青表紙本などが主な伝本であるが、他系統の巻の本文が混じっている場合も少なくない。また近年は青表紙本のみではなく、別本の研究も急速に進展しつつある。河内本については東山御文庫本、尾州家本、高松宮家本、中山家本等が紹介・複製(影印)刊行されている。 版本については、古活字版が四、五種あり、整版では慶安三年(一六五〇)山本春正跋の『源氏物語』絵入本、いわゆる「絵入源氏」が最も古く、五十年以上も後刷りされ、中でも承応三年(一六五四)版が最も普及した。またこれを踏襲した万治三年(一六六〇)刊の横本と寛文頃(一六六一〜一六七三)刊の無刊記小本がある。そして詳細な注を加えた首書(かしらがき)源氏が寛文十三年(延宝元年・一六七三)刊行された。このほか、刊年不明(寛文頃か)の無注本(通称「素源氏」)があり、稀にこれを踏襲したらしい横本もある。これら版本の本文は共通しておおむね青表紙本三条西家本系統の本文に近いことが指摘されている。近世・近代の流布本であった版本の本文についても、近年研究が進められている。 |
〔1〕写本
写 各一帖。尊経閣文庫蔵。前述のように、いわゆる青表紙本の原本と見なされている本。なお「柏木」は、途中までが定家の自筆で、後の部分は周囲の人物による別筆とされている。冷泉家の古典書写ではこのような方法が多く取られた。 |
|
写 一冊。室町末期写。題簽が剥落して外題はなく、内題もない。「横地氏珍蔵記」「靄隅文庫」「菅原院印」の印記。本文は青表紙本系統に属する。朱による異文の校合の書入れがある。『源氏物語大成』の校異に採られた本。 |
|
写 一冊。江戸中期写。外題「源氏宇治十帖 完」とあるが「浮舟」巻のみ。内題はない。「横地氏珍蔵記」「靄隅文庫」の印記。本文は青表紙本系統に属する。異文の校合の書入れがある。西下経一氏による付箋があり、「浮舟一巻 横地氏珍蔵記ノ印アリ、曽テ京都佐々木ヨリ購入シタル鈴虫一巻(河内本)モ同様ノ印アリ 昭和五年五月九日 西下経一」と記されている。 |
|
写 五十三冊。江戸中期写。奥書なし。「夢浮橋」を欠く。「寿松堂之印」の印記がある。主として前半に異本と校合した書き入れや貼り紙等がある。 |
|
刊(古活字版) 二冊。「わかな上」「あけまき」各一冊のみ。刊記はない。「竹田蔵書之印」「竹田支雄」の印記がある。『源氏物語』の古活字版は数種あるが、うち寛永年中刊の無刊記本。本文は青表紙本系統に属する。朱の合点や、書入れなどがある。なお「あけまき」第三十六丁は補写したもの。 |
| 慶安本承応三年版(七) | 万治三年本(八) | 無刊記小本(九) |
|---|---|---|
|
|
|
|
写 一冊。室町前期写。真名序を欠く。いわゆる貞応二年本の系統に属し、日朗写本の転写。奥書に「正和元十月日 延山御師仍需書 日朗」とある。正和元年は一三一二年。 『古今和歌集』は第一番目の勅撰集、延喜五年(九〇五)成立、紀貫之ら撰。日本文学の美意識の原点・規範として以後の文学に多大な影響を与えた。『源氏物語』もその一つである。 |
|
写 二冊。江戸中期写。全体にわたり作者勘注や本文への注記などの書き入れがある。奥書はないが、定家書写本の系統に属する。 『後撰和歌集』は第二番目の勅撰集、天暦九年(九五五)〜天徳元年(九五七)頃の成立、清原元輔ら撰。贈答歌が多く、詞書が長大で、物語的傾向を持つ。 |
|
写 一冊。天明三年(一七八三)写。奥書に「天明三年七月三日写畢(花押)」とあり、次いで弘化五年(一八四八)に林羅山旧蔵本で校合したことを記す朱筆の奥書がある。 『九暦』は藤原師輔の日記。師輔は関白忠平の子、従三位右大臣、村上天皇中宮安子の父。『後撰集』以下に入集する歌人で『師輔集』がある。掲出部分は天徳元年(九五七)正月一日条。 |
|
刊 二冊。大本。江戸中期刊。絵入り本。『竹取物語』の刊本は、慶長古活字版以下、十一種ほど知られている。刊記「茨城多左衛門板」。朱の注がある。 『竹取物語』は作者未詳、九世紀末頃の成立か。『源氏物語』の「絵合」巻に、「物語の出で来はじめの親なる竹取の翁」とあり、物語の始発であると意識されていた。 |
|
写 一冊。江戸中期、覚恕写。巻末に「寛喜三年八月十八日…」で始まる定家本の奥書があり、「覚恕(花押)」と記されている。定家本一七〇段(青柳の糸)途中よりの零本。昭和四年に西下経一氏が慶安本により校合(朱)。 『大和物語』は歌物語、作者未詳。十世紀中葉に原形が成立し、一条朝の始め(一〇〇〇年頃)に現存本に近くなり、その後も流動したらしい。 |
|
刊 三冊。万治三年(一六六六)刊。絵入り本。これは「俊蔭巻」のみ。「家治」ほか多数の印記あり。刊記「洛陽今出川林和泉掾開板」。 『宇津保物語』は作者・成立未詳、天元〜長徳(九七八〜九九九)頃の間の成立かとされる。『源氏物語』に先立つ、文学史上最初の長編物語。 |
|
刊 三冊。寛政六年(一七九四)木活字版。巻頭に「野崎蔵書」の朱文方印。刊記は「くはん政六つのとし神無月初三日」と記される。上冊が巻一、中冊が巻二、下冊が巻三、四。岩波の旧日本古典文学大系の底本とされた刊本。 『落窪物語』は作者・成立未詳、十世紀末には成立していたとされる。継子苛め譚の話型による物語。 |
|
刊 一冊。古活字版(寛永年間)。序題・内題「長恨歌」、尾題「長恨歌抄」。刊記はない。『長恨歌抄』は『長恨歌』に注を付したもの。 『長恨歌』は、唐の白楽天作、玄宗と楊貴妃についての長編詩。日本でも早くから享受され愛好された。和歌や物語、歌論、朗詠、説話ほかに多く見え、『源氏物語』でも諸処に「長恨歌」の引用が繰り返されている。 |
|
写 二冊。室町末期写。奥書はない。箱書に「光源院殿義輝公御筆」とあり、足利義輝筆と伝えるが未詳。 『和漢朗詠集』は藤原公任撰、寛弘〜寛仁(一〇〇四〜一〇二〇)頃の成立。漢詩文と和歌の撰詩歌集。成立当初から後世に至るまで広く享受され、後代の文学に大きな影響を与えた。前掲『長恨歌』からも採られている。 |
|
刊 四冊。貞享五年(一六八八)刊。刊記「武陽松葉清兵衛」。 『赤染衛門集』は赤染衛門の家集。赤染衛門は長徳(九九五)〜寛弘(一〇一二)年間頃藤原道長室倫子に仕え、和泉式部・清少納言・紫式部・伊勢大輔・相模らと交友があった。紫式部は赤染衛門を好意的に評している(『紫式部日記』)。一条朝を代表する才女の一人。 |
|
刊 二十冊。古活字版(元和・寛永頃)、十一行本。「岡田真之蔵書」の印記がある。改装裏打されている。 『栄花物語』は歴史物語。正編三十巻と続編十巻とがあり、成立も作者も異なるが、正編は赤染衛門作かと言われている。正編は村上朝以後の、後宮を中心とした歴史を叙述、特に藤原道長の栄華とその死までを描く。 |
|
写 一冊。江戸中期写。『浜松中納言物語』の現存伝本は五巻本であるが、これは巻一のみの零本。混態本か。漢字を表記する傍注や出典等を示す細字注などが付されている。 『浜松中納言物語』は康平元年(一〇五八)以降の成立で、作者は菅原孝標女の可能性が高い。日本と唐土を舞台とし、夢と転生がモチーフの特異な物語。 |
|
写 一冊。前掲『扶桑拾葉集』の中の一冊。 『弘安源氏論議』は源具顕(ともあき)著。弘安三年(一二八〇)十月、春宮(後の伏見院)のもとで近臣達によって行われた『源氏物語』の論議十六番の記録。前半は忠実な論議記録で、後半はパロディ的な戯文。当時における『源氏物語』理解の深さ、享受の質の高さを窺わせる好資料。 |
|
写 四冊。江戸初期写。外題はなく、内題「とりかへばや」。 『とりかへばや』は作者・成立未詳の中世王朝物語。原『とりかへばや』の成立は院政期かとされるが、散逸して現存せず、現存本『とりかへばや』(『今とりかへばや』とも)はその改作であり、鎌倉時代初頭の成立かとされる。『源氏物語』の影響が強いが、性の偽装を素材に悲喜劇を展開する特異な物語である。 |
|
刊 一冊。寛永(一六二四〜四四)頃刊の丹緑本。上巻はなく、下巻のみの零本。絵は片面六図がある。丹緑本は、江戸初期の寛永から寛文頃(一六二四〜一六七三)、版本の挿絵に赤・緑・黄などの淡彩を手で加えた筆彩本のことで、手間と費用のかかる絵巻に比べると手軽に量産できる彩色絵入本であった。 『狭衣』は『狭衣物語』から、狭衣少将と飛鳥井姫の恋物語の部分を採って潤色した改作で、室町物語化されたものである。 |
|
刊 一冊。明和二年(一七六五)刊。能の本五十九冊の内。外題「紫式部」とある。印記なし。「日本橋通壹町目 御書物師 出雲寺和泉掾」刊。 『源氏供養』は謡曲。夢幻能。世阿弥作。一説に金春禅竹作。前掲『源氏供養表白』(伝聖覚作)を素材としたものである。 |
|
写 九冊。巻十欠。昭和三年写。内閣文庫蔵本の新写。 源光行の子、源親行の弟、素寂著。鎌倉後期成立。十巻十冊。永仁二(一二九四)年以前の成立河内本系の本文を引き、『源氏釈』『奥入』を取り入れながら、引歌や故事出典を指摘し、また『文選』『白氏文集』『万葉集』『日本書紀』などを典拠として、仮名に漢字をあてることで語句の意味を示す。 |
|
(1)写 二十冊。江戸中期写。各冊初めに「桑原文庫」の印記。奥書・識語の類はない。『河海抄』の伝本は多く、中書本(初稿本)と覆勘本とに大別されるが、中書本の系統に属するか。 |
|
写 一冊。江戸中期写。筆者の跋文のほかには、奥書・識語の類はない。項目数の上では耕雲本・神宮文庫本に近い系統の本。 『仙源抄』は長慶天皇著、弘和元(一三八一)年の撰述。『源氏物語』中の約一千語の語句を注し、「いろは」順に配列したもの。『水原抄』『紫明抄』『原中最秘抄』といった河内方の説、定家自筆本との比較、さらに後醍醐・後村上天皇の説などを批判統合し、自説を「愚案」として記す。 |
|
写 三冊。昭和三年写。東京大学蔵本の新写。 『源氏大鏡』は『源氏物語』の梗概書。三巻。著者未詳、南北朝時代の成立か。梗概の内には『源氏物語』の和歌をすべて含め、またその途中で随時、語釈・有職故実・和漢の故事・引歌・人物の系図などにふれる。梗概化には、河内本または別本の本文を使用しており、南北朝時代の流布本文の資料としても重要である。 |
|
刊 一冊。天明四年(一七八四)刊。 『源氏物語』の辞書。五井純禎(蘭洲)著。天明四年成立。ことばをいろは順に配列し、その中をさらに天地・時候などの部門に分類している。詳細な語釈を施し、俗語をもって訳しているところに特色がある。 |
|
刊 九冊。寛政十一年(一七九九)刊。外題「玉の小櫛」、内題「源氏物語玉の小櫛」。「橘氏蔵書」「芳宜園蔵」の印記。 本居宣長著。寛政八年(一七九六)成立。契沖以降の国学者の『源氏物語』研究は、宣長によって大成されたと言ってよい。「もののあはれ」論はもちろんのこと、年立や語釈についても今日なお評価が高く、近代の『源氏物語』研究の端緒をなす画期的な業績である。 |
|
写 一冊。江戸末期写。外題「源氏装束図式文化考 下」。本来は上中下三巻のうちの、下巻のみの零本。 巻末に自跋があり、中野貞利著、文化年間(一八〇四〜一八一八)の成立か。直衣など装束の図が描かれ、説明と『源氏物語』の本文が引用される。 |
|
刊 一冊。下巻欠。菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画。全十四丁、絵片面十四図。「貞享二年丑四月吉日 大和画師筆菱川師宣 大伝馬町三丁目うろこかたや開板」の刊記を有する霞亭文庫本等の諸本と同版か。貞享二年は一六八五年。 各半丁で『源氏物語』各一巻を描いたもの。黄、紅などの手彩色がある。菱川師宣は寛文から元禄頃の人で、版本の挿絵画家としては名の明らかな最初の絵師。 |
|
刊 六冊。享保六年(一七二一)刊。江戸山口屋権兵衛刊。奥村政信画。 桐壺・帚木各三冊。各冊十一〜二十一丁、絵は各四〜五図。奥村政信は江戸の人で、元禄末期から宝永年間にかけて多くの絵を描いた。 |
|
刊 一冊。文化九年(一八一二)刊。渓斎英泉画。 『源氏物語』五十四帖から、それぞれ一首ずつ歌を選び出し、絵を配したもの。これに新たに頭注などを加えた『源氏物語絵尽大意抄』は天保八年(一八三七)に刊行された。 |
|
刊 三十八冊。合巻。初編〜三十八編。文政十二年(一八二九)〜天保十三年(一八四二)刊。江戸鶴屋喜右衛門刊。初編〜五編は天保三年の再板。 柳亭種彦作、歌川国貞画。合巻の代表作。『源氏物語』を室町時代に移し、草双紙式の翻案を試みた長編合巻。将軍家斉の私生活を窺わせるとして、三十八編で絶版の処分を受け、三十九・四十編は未刊。 |