物語 御伽草子 歴史物語・史論 軍記物語

平安時代初期

物語

『竹取物語』は、竹取の翁が竹の中から見つけて育てたかぐや姫が、美しく成長した後、貴公子たちの求婚を難題によって退け、天皇からの召しも断り、八月十五日に月の世界に帰って行くという伝奇的浪漫的な話です。『源氏物語』絵合巻において「物語の出で来はじめの祖」と言われているように、作り物語の最初の作品と考えられ、この時期の末頃の成立と推定されています。

平安時代中期~後期

歴史物語

歴史物語は、物語の形式・文体で歴史を叙述するもので、宇多天皇(在位887~897)から堀河天皇の寛治6年(1092)まで(正編は後一条天皇の万4年(1027)まで)を扱った『栄花物語』が、最初の作品と考えられます。ついで文徳天皇の嘉祥3年(850)から後一条天皇の万寿2年(1025)までを扱った『大鏡【おおかがみ】』が書かれ、独自の批判的視点に特色を示しています(『大鏡』については、院政期の成立と考える説もあります)。

軍記

戦乱を題材にした文学である軍記も、この時期に現れました。関東の平将門の承平・天慶の乱(935~940)を扱った『将門記』、奥州の安部氏討伐の前九年の役(1051~62)を扱った『陸奥話記』があり、合戦とそれが起こるに至った経緯を叙述しています。

院政期

物語・歴史物語

院政期は、物語文学が衰退に向かった時期ですが、なおいくつかの作品が作られました。女装の男君と男装の女君の兄妹を主人公とする異色作『とりかへばや物語』や、『在明の別』などが伝わっています。また歴史物語として、『大鏡』の後を嗣ぎ、後一条天皇の万寿2年(1025)から高倉天皇の嘉応2年までを収めた『今鏡』が書かれました。作者は藤原為経(寂超)とする説が有力です。

鎌倉・南北朝時代

物語

鎌倉時代に入っても、王朝文化への憧れから宮廷社会の恋愛を題材とした物語が数多く作られました。鎌倉初期の物語評論『無名草子』には、多数の作品名が見られますが、現存する物語はわずかです。現存の物語では、継母の迫害を逃れた姫君が長谷寺観音の霊験により幸せな結婚にいたる『住吉物語』などは題材や趣向に工夫を見せ、絵入り本も数多く制作されました。

軍記物語

戦乱のたびに語り伝えられた英雄伝などが記録され、軍記物語が誕生します。鎌倉初期の『保元物語』『平治物語』は、和漢混交文で生き生きと武将たちの活躍を描きます。続く『平家物語』は平氏の興亡を語る軍記物語の一大巨編で、多くの語り手や読者の手を経て、改訂・増補が繰り返されました。南北朝の内乱を中心とする『太平記』は政治や社会への鋭い批判がうかがえます。

歴史物語・史論

平安時代の『大鏡』『今鏡』のあとを受けて、鎌倉初期に『水鏡』、南北朝期には『増鏡』が書かれました。京都の宮廷生活を描いた『増鏡』には、作者の王朝社会への憧れがうかがえます。また、相次ぐ戦乱を反映して、歴史の背後にある原理を解き明かそうとする史論も登場します。北畠親房による『神皇正統記』は、神道を基本に南朝の正当性を強く主張しています。

室町・安土桃山時代

御伽草子

室町時代から江戸前期にかけて、お伽草子と総称される短編の物語が数多く作られます。都市文化の発達に応じて、それまでの貴族の恋愛や英雄の活躍だけでなく、『浦島太郎』『文正草子』など庶民を主人公にしたものや、異類による合戦を描いたなどの物語が盛んに作られたのです。その多くは絵が付けられ、絵巻や奈良絵本として、さまざまな人々に愛好されました。

軍記物語

源義経の悲劇的な生涯を描いた『義経記』や、曾我兄弟の仇討ちを物語る『曾我物語』など、合戦の群像ではなく、個人の運命を描いた物語が作られます。悲劇の運命をたどった者への共感と鎮魂の思いの込められた「語り」を通して、人々に享受されました。「判官物」「曾我物」として、物語だけでなく芸能や絵画などにも展開し、後世まで長く語り継がれていきました。