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大分合同新聞連載

    平成27年2月12日(木)夕刊 マレガ・プロジェクト報告3 佐藤晃洋

    概要調査を進めていく中で、キリシタン禁制政策開始期である17世紀前半の史料が散見された。
     例えば、1646(正保3)年の「きりしたん宗門重而御改ニ付五人組御書物之事」がある。島原・天草一揆以後、幕府によりキリシタン禁制政策がさらに強化される中で、臼杵藩がそれまでの「拾(十)人組」を「五人組」として再編するとともに作成させた文書である。
     サンプルとして撮影した「きりしたん宗門重而御改ニ付五人組御書物之事」の8月16日付文書を見ると、池原村(臼杵市)1軒と寺小路村(同市)4軒で編成された五人組がキリシタン禁制に関して守るべき5項目を記して、5軒の当主が署名押印している。そして家ごとに檀那寺(檀家の所属する寺)が檀家であると署名押印して証明した文書を貼り付けている。家内に檀那寺が異なる者がいる場合は、それぞれの檀那寺からの証明をもらっている。
     5軒目の寺小路村善吉の場合は、2人が戸次(大分市)妙正寺の檀家、4人が野津(臼杵市)普現寺の檀家であると、それぞれの寺が証明した文書を重ねて貼り付けていて、5軒合計30人の証明となっている。


    写真:1646(正保3)年の「きりしたん宗門重而御改ニ付五人組御書物之事」。この五人組の中には転びキリシタンとして、1614(慶長19)年に転んだ1人、1622(元和8)年に転んだ2人が含まれている。

     「きりしたん宗門重而御改ニ付五人組御書物之事」は臼杵藩におけるキリシタン禁制政策や五人組制度、寺請制度を考える上で画期を成す文書だといえる。藩の宗門方は、提出された文書をキリシタン禁制関係の基礎台帳的なものとして保管していたと考えられる。同様の史料がマレガ神父収集文書群には約100通含まれている。
     臼杵藩におけるキリシタン禁制に関する文書としては、現在臼杵市には一部の村などに残る写しと藩の御会所(家老らの協議の場)で議題とされた記録以外には、ほとんど文書が残っていなかった。
     マレガ神父収集文書群には、村などから提出されて藩の宗門方が保管していた文書が多数含まれていることから、この文書群の調査研究が進んでいくことで、臼杵藩におけるキリシタン禁制に関するさまざまなことが具体的に明らかになると考えられる。

     (大分県立先哲資料館 館長・佐藤晃洋)

    ※ このページの記事は、大分合同新聞に掲載された記事を元に、研究の進展に応じて修正等が加えられています。記事掲載にあたり、中心となって活動した大分先哲史料館と大分合同新聞からの了解を得て作成されています。肩書はすべて当時。

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