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第27回 国文研フォーラム 終了

 

 

第27回 国文研フォーラム
日時:平成26年2月19日(水)15:30〜17:00(開場15:00)
場所:国文学研究資料館 2階 オリエンテーション室


<第27回>
発表者:ジャン・ピエロ・ペルシアーニ 外国人研究員

タイトル:村上朝における和歌と漢詩の相互意識について

発表要旨:
十世紀は仮名文学の誕生と隆盛の時代であったことは改めていう必要がない。和歌が復興し、日記、物語等、様々な散文のジャンルが新しく登場した時代だった。だが、それまで文学界を独占していた漢詩・漢文学は急に衰退したわけではない。村上天皇の天暦・天徳期は特に和漢両道の隆盛期の一つとして知られている。
『栄花物語』が言うように、天皇が「御才もかぎりなし。和歌のかたにもいみじうしませ給へり」で、両道の繁栄に熱心に努めた。しかし、それはこの時代が「和歌と漢詩文の接近と融和」(近藤みゆき氏)の時代だったという意味なのであろうか。「和漢」という、大きくいえば、バイリンガルな文学活動というのは極めて複雑な現象で、その二つの言語・文化の並存の実態を明らかにする必要がある。
「和漢」という言葉自体は曖昧で、「和」と「漢」の関係について何も示唆してくれない。「和‐と‐漢」と読み取ることもできれば、「和‐より‐漢」、「和‐対‐漢」という解釈も可能であろう。
ヨーロッパのケースを見ると、国によって若干時期がずれるが、中世後期・ルネッサンスになってやっと俗語で書籍を書く(あるいは刊行する)ようになると、ラテン語のみで文筆する知識人層から強烈な反発が起こったのである。俗語は粗略で表現の手段としてラテン語(又はフランス語)に適わないものとしてみるのが一般であった。俗語で書物を書く人が、「貴重な内容を粗略で俗な言語で表現して申し訳ありません」と、読者に謝るほどであった。(聖書を英語に訳したウィリアム・ティンダルが焚刑されたことも有名である)。
では、平安時代の日本において、仮名文(形式化された俗語?)が登場すると、こういったレジスタンスはまったくなかったのであろうか?もしなかったならば、何故なかったか。あったのであれば、どんな形をとったのか?
これらの疑問は本発表の出発点である。特に今回は村上朝における和歌と漢詩の関係と相互意識の問題を取り上げる。当時の文人は和歌をどのように意識していたか。和歌を作る人々は、漢詩をどのようなまなざしをもって見ていたのか。『村上御集』や藤原師輔の『九暦』等を手がかりに、和と漢の関係は、実は思われているほど融和していたものではなかったと指摘する。

平成25年度年間スケジュール:

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