催し物

特設コーナー

常設展示の一部のスペースを使って、百人一首をテーマに、当館所蔵資料等展示しています。

百人一首の広がり―カルタと浮世絵―
会期:平成26年12月1日(月)〜平成27年1月20日(火)

 百人一首は、かの藤原定家[ふじわらのさだいえ]が選んだ秀歌撰で、鎌倉時代初期の文暦2年(1235)頃に成立しましたが、身分を問わず爆発的に読まれた(親しまれた)のは、江戸時代に入ってからのことです。
多種多様な注釈書や歌仙絵[かせんえ]入り本のほか、書道手本、往来物などにも盛んに取り入れられて、江戸時代の人びとの〈教養〉の形成に深く関わりました。
 今回は、浮世絵とカルタという書冊以外の資料を取り上げて、百人一首受容の豊かな一面を探ります。江戸時代の人びとの〈知〉や〈遊び〉の様子を、ぜひ追体験して下さい。

特設コーナーの様子



<百人一首かるた>

 カルタは、天正[てんしよう]年間(1573−92)に遙かポルトガルからやってきた。「歌留多」「賀留多」などとも表記するが、もとは Cartaというポルトガル語だ。この外来の遊戯が、日本古来の歌貝[うたがい]と結びついて、現行の「歌がるた」が生まれた。だからカルタは、よく知られた和歌さえあれば出来上がったわけで、実際、『伊勢物語』や『源氏物語』などのカルタもある。でも、最も流布したのは御存じ『百人一首』のカルタだった。展示品は、絹地金箔[きんぱく]散らしにしたためられた優品で、コンディションも良好。鶴丸紋[つるまるもん]の二重箱入り。




<文屋朝康[ふんやのあさやす]・藤原興風[ふじわらのおきかぜ]・題字>

左) 文屋朝康
 「白露に風の吹しく秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞちりける」 縦37,4p×横25,5p。朝桜楼国芳画。
和歌は、寂しい秋の野分のながめの中で、白露が光り落ちるのを、玉が散る様に喩えて詠む。和歌を読本『画本玉藻譚[えほんたまもばなし]』(岡田玉山作画、文化2年刊)などに登場する玉藻[たまも]の前に見立てて、「玉ぞちりける」を、那須野原で射殺されて露と消えたこととする。玉藻の前から光が発する怪は、『画本玉藻譚』に類似の挿絵がある。当画の玉藻の前から発する光は九本で、三国伝来の金毛九尾の狐である正体を表す。九本の光が描かれない後摺もある。
中央) 藤原興風
 「誰をかも しる人にせん 高砂の 松もむかしの友ならなくに」 縦37,4p×横25,5p。一勇斎国芳画。
和歌の意味は、昔の友人がみな死んでしまい、孤独を痛切に感じている老人の嘆きを詠む。その和歌の意味と「松」を、浄瑠璃『ひらかな盛衰記[せいすいき]』(文耕堂[ぶんこうどう]ら合作、元文4年・1739・初演)3段目切に登場する船頭松右衛門実は樋口次郎兼光[ひぐちじろうかねみつ]に見立てた。樋口次郎は木曽義仲の四天王の随一と言われた武将だが、多田行家を責めに行っている時に、義仲らが討たれて一人生き残った。船頭に身をやつして、義経の敵討ちをねらうが畠山重忠に見破られる。
右) 題字
  縦36,6p×横25,0p。大判[おおばん]錦絵の揃い物。全104枚。弘化3年(1846)制作。江戸、伊場屋[いばや]仙三郎板。絵師一柳斎広重[いちりゅうさいひろしげ]、一勇斎国芳[いちゆうさいくによし]、香蝶楼[こうちょうろう](一陽斎[いちようさい])豊国[とよくに]。柳下亭種員[りゅうかていたねかず]序文。
小倉百人一首の歌の一部分を、伝説や演劇に登場する人物に見立てたもの。題字、目録、種員の序文と、天智天皇の歌の図が2種類あるため、合計104枚になる。題字・序文には広重・国芳が絵師と記されるが、後半には豊国が描いた14作品があり、そのうちの2作品の落款に「一陽斎豊国」と記される。




<源俊頼朝臣[みなもとのとしよりあそん]・平兼盛[たいらのかねもり]・右近[うこん]>

左)源俊頼朝臣
「うかりける人をはつせの山おろし はげしかれとは いのらぬものを」縦37,2p×横24,0p。豊国画。
和歌の「山から吹き下ろす風が激しくなるようにとは祈らなかったのに」の部分を鳴神上人[なるかみしようにん]に見立てた。鳴神は朝廷に願いを聞き届けられないのを怨み、龍神を滝壺に封じ込めて天下を旱魃にしたが、朝廷から遣わされた雲の絶間姫[たえまのひめ]に堕落させられる。すると龍神は天に昇り、激しく雨が降り嵐となる。鳴神は八代目市川団十郎、雲の絶間姫は四代目尾上梅幸の似顔で描かれる。天保12年(1841)の天保改革で禁止された役者似顔絵が、復活した早い例である。
中央)平兼盛
「しのぶれど色に出にけり わが恋は ものやおもふと人のとふまで」 縦37,5p×横25,2p。広重画。
和歌は忍ぶ恋を詠んだもので、物思いをしているのかと人に尋ねられたという「ものやおもふと人のとふまで」を、藤原基任[もととう]の化物に名を聞いた伊賀局[いがのつぼね]に見立てた。『吉野拾遺』(著者・刊年未詳)の逸話により、当画の化物名「藤原仲成」が誤りであることが解る。伊賀局は、新田義貞[にったよしさだ]の家来で剛勇な篠塚伊賀守[しのづかいがのかみ]の娘で、新待賢門院に仕えた。現れた化物は、命まで奉った女院に供養してもらえないことを怨み、供養を頼む。初摺は白抜きで描かれる化物が、後摺では実線で描かれる。
右)右近
「わすらるゝ身をばおもはず ちかひてし 人のいのちの惜くもある哉」 縦37,4p×横25,5p。一勇斎国芳画。
忘れられる自分のことは何とも思わないが、誓いをたてたあなたが神罰で滅びることが惜しまれるという和歌を『平家物語』の俊寛[しゅんかん]に見立てる。俊寛は平家への謀反があらわれて、少将成経[なりつね]・判官康頼[やすより]とともに鬼界が島に流され、一人だけ大赦にあわずに島に残され、清盛の非情を怨みつつ死ぬ。浄瑠璃『平家女護嶋』(近松作・享保4年・1719・初演)2段目は、島に残ることを選んだ俊寛が、遠く離れる船に手を振る絶望を描く。茶色の汚れた衣裳は後摺は黄色になる。




次回の特設コーナー:
観相から見る日本文学史 会期:平成27年1月21日(水)〜平成27年3月中旬頃
※観相から見る日本文学史をテーマに、当館所蔵資料等を展示する予定です。



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